06. 嫌な予感

「ああ、この暖かさ。この温もり…………」


 女性は激しく燃え盛る炎に振り返り、呟く。


 火の勢いは留まるところを知らない。

 村の家屋に次々と飛び火し、藁ぶき屋根を一気に焼き尽くす。

 

 屋根から散った火の粉が、地面に折り重なる無数の遺骸に降り注いだ。


 女、男、老人、若者、子ども。その遺骸たちに見境はない。

 ただこの村に住んでいたという一点を除けば。


 ぐずぐずに焼け爛れた皮膚から、臓物が覗く。

 殆どが腕や頭を断ち切られ、それらが人間であったとは到底想像できない。


 地獄はすぐそこに迫ってきていた。




$$$$




「いいんですか?」


「ええ。この街を発つまで、お好きなだけお使いください」


 クネル伯爵からのお誘いは願ってもみないものだった。

 なんと好意だけで見返りもなしに、しばらくの間ブラッドリーを泊めてくれるというのだ。

 更に、食事も用意すると。


「いやー、それは流石に申し訳ないです…………」


「いえいえ、そんなことないですよ。本来ならもっとお返しをしなければならないのに、申し訳ないのはこちらです」


 そう言ってクネル伯爵は笑う。

  

 なんて人柄の良い人なんだろうと、ブラッドリーは感心する。


 彼はこれからの目途も立っていなかったので、快くその誘いを受けた。

 この場にリリアはいなかったが、代わりにギエナがむずと腕を組み静観している。

 今にも異議が飛んできそうな雰囲気だが、ギエナは何も言わない。

 きっと伯爵の事を相当慕っているのだろうとブラッドリーは思った。


「素晴らしい。では、お部屋はあのゲストルームをお使いください。夜に改めてこの屋敷を案内させましょう」


「お気遣いありがとうございます。滞在の間、何か手伝えることがあればお手伝いします」


「ほほう、それは心強い。どうやら剣術に覚えがあるようですし、期待していますよ」


 クネル伯爵はそれを伝えると、用事があるのか屋敷を発たなければならないと言う。

 ブラッドリーが予定を尋ねると案外さらっと教えてくれた。


「定例会があるのです。周辺諸侯や私が束ねる騎士たちとの情報共有のようなものです」


 執事がクネル伯爵のためにドアを開けたところで、彼は何を思い出したのか振り返る。


「そうだ。今日か明日、もしかしたら来客があるかもしれません」


 彼はそう伝えると何人かの護衛を率い、馬車に乗り込み屋敷を去って行った。


 取り残されたブラッドリーは何をしようか迷い、なんとなくリリアに会いに行こうと思い立つ。

 彼女の部屋は確か、二階の一番西側。

 早速ブラッドリーが玄関を潜り、屋敷の中に入ると…………丁度ギエナと鉢合わせた。


「どーも、ギエナさん」


「…………ああ」


 気前よく挨拶したのに何とも言えない返事が返ってきて、ブラッドリーは肩を落とす。

 なんだろうか、嫌われているのだろうか。

 そしてそのまま彼女とすれ違い、立ち去ろうとして――――



「私は誤魔化せないぞ」



 彼女はボソッと、彼にだけ聞こえるように囁く。

 ブラッドリーは驚いて反射的に振り返った。


「誤魔化す? 何を」


「“気配”だ。…………お前から漂うその邪悪な気配、私は気が付いたぞ」


「気配って、もしかして占いとかそういう話? 悪いけど俺そーゆーの信じてないんだよね」


 彼は話をうやむやにしようと茶化すが、ギエナは真剣な眼差しで彼を睨む。


「惚けても無駄だ。今まで幾度となくお前のような人間を見てきたからな」


 さらに彼女の語気が強まる。


「人斬りに憑りつかれた哀れな兵士の姿を。殺しの匂いが消えなくなってしまった人間。お前は…………それだ」


 ブラッドリーは答えない。

 しかしさっきとは打って変わって、彼は真顔だ。

 昨夜リリアにも見せた、あの表情。


 ギエナもその変化に気が付いた。


「図星か」


 玄関ホールが静寂に包まれる。

 張り詰めた空気の中、二人はにらみ合ったまま微動だにしない。


 やがてブラッドリーは呆けた表情を浮かべ、肩を竦めた。


「さあね。週一回はちゃんとお風呂入ってるし、そんな匂わないと思うけど」


 またもやふざけてみせる。

 遂に、その一言がギエナの逆鱗に触れてしまった。


「いいか!」


 ギエナはすごむ。


「今は人畜無害な振りをしているのだろうが、私の目の黒い内はお嬢様に何かあったらタダじゃおかないぞ!」


「は、はいはい」


 思わずブラッドリーも威圧され、叱られた子供のようにしゅんとする。

 

 今にも剣を抜きそうなギエナは深呼吸をすると、何とか衝動を抑えた。

 そして苛立った足取りで立ち去ろうとして…………ブラッドリーがふと口を開く。



「…………あんたからも、似た香りがするよ」



 何を言われたのか理解できず、ギエナはそっと頭だけで振り返る。


「なんだと」


「俺もあんたみたいな人間を何人も見てきたよ」


 彼の表情は不気味なくらいまじめだった。

 さっきの呆けた表情が想像できないくらいには。


 ブラッドリーは悲し気な表情を浮かべる。



「――――誰かを守るために人を斬り続け、己の心を閉ざしてしまった心優しい人を」



 ギエナは色を失う。

 それは自分を見透かされた驚きからだろうか。


 彼女はしばらく肩越しにブラッドリーを睨みつけると、何も言わず今度こそ立ち去ってしまった。


 再びぽつんと取り残されてしまったブラッドリーは、唇を噛む。

 これは…………厄介な人間に目をつけられてしまったようだ。


 ロビーでしばらく彼女の処遇を逡巡していたブラッドリーは、自分の名を呼ぶ声に覚まされる。


「ブラッドリー。ここで何してるの?」


「…………おわっ! なんだリリアかよ」


 外出用の装いをしたリリアはステッキを携え、どこかに行く予定らしい。

 ブラッドリーは顔を顰める。


「あのなあ。親父さんに言われて、しばらく外出禁止なんじゃなかったかー?」


「う」


「う、じゃねーよ。ダメだろ、あんなに心配かけといて。また外に出るってのか?」


「仕方ないでしょ。ずーっと家にいると腕が鈍っちゃうじゃない」


「まあそれはそうだが」


 そういえば自分に彼女を止める権利はあるのだろうかとブラッドリーは悩む。

 自分は厚意で宿を提供してもらっている。

 そしてその家で二番目に偉い彼女を止める権利はあるのだろうか。


「だったら」


 ブラッドリーは妙案を思いついた。


「俺もお前についていく」


「え? 私に?」


「ああ。何かあったら心配だし、何よりクネル伯爵には世話になってるからな」


「あっそ。別にいいけど、お父さんに言いつけないでよ」


 リリアはブーツのひもを結びなおすと、ステッキのスリングをかけなおす。


「そうだ。寄っていきたい所とかある?」


 ブラッドリーはううむと考え込む。


 しいていうなら酒場に行きたい。

 真昼間から酒が飲みたいということではなく、例の魔王城についての情報をできるだけ収集したい。

 

 魔王がいなくなり、俺が死んでしまった後魔王軍の仲間は一体どうなってしまったのか。


 死にざまを目の当たりにした一部を除き…………少なくとも死んだところを確認していない奴らは生きながらえていると、彼は信じたかった。


「酒場かな」


「こんな日が昇ってるうちからお酒? 駄目よそんなの」


「ちげーよ。ちょっと、色々と確認したいことがあってな」


「何を?」


 彼はそこで言おうか迷った。

 しかし別にこそこそと隠すものでもないなと思い、一部だけ伝えることに。


「友人を探す。昔仲の良かった友人だ」


「もしかして旅の目的はそれ?」


「いや違う。あくまで旅の一環であって、目的は別にある」


 本当の目的は魔王軍の再興だ。

 なんて、そんなことを口走ればせっかく手に入れた寝床から追い出されること間違いない。

 それどころか、今度は本気で彼女と剣を交えることになるかもしれない。


「そういう事なら喜んで。酒場まで案内してあげる」


「ほんとか? そりゃ助かる」


 すると、リリアは怪訝な表情でブラッドリーの顔を覗き込む。


「ほんとーにお酒を飲むわけじゃないのね?」


「あたりまえだ! 俺を何だと思ってるんだ、ったく」


「何だって、会ってまだ二日じゃない」


 そういえばそうだとブラッドリーは思った。


 確かに彼女の言う通り、出会ったばかりでまだお互いをよく知らない。

 彼女を助けて、家に招かれ、剣の稽古に付き合い…………まだそれくらいだ。

 

 彼は自分でも自分がよく分からなくなっていた。


 まさか魔王軍の仲間以外に、こんなにも関心を持つなんて。

 これも女神の仕業なのだろうか。

 とも思ったが、なんだか違うような気もした。


 魔王軍のしがらみが消えたから…………?


「何してるの? 早く行くわよ」


「はいよ」


 ブラッドリーは一抹の不安を抱きながらも、なぜか居心地の良さを感じていた。

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