04. 一息

「あれが…………」


 ブラッドリーは与えられたゲストルームの窓から、大きな黒いドームを眺めていた。


 そのドームはこの街から遥か彼方にあるのだろうが、その巨大さからいまいち位置関係が分からない。

 しかしそれが何なのかは分かる。


 かつて世界の敵としてその命を狙われた魔王の根城。

 そう、魔王城だ。


 昔は立派な石城がそびえ立っていたのだが、今となっては謎のドームに包まれてしまっている。

 もちろん魔王の仕業ではない。

 だって魔王は…………死んでしまったのだから。

 

 ブラッドリーはそれを思うと悲しい気持ちになった。

 時の流れは無慈悲だということを、いつだって思い知らされる。

 人は、魔族は、変化に追われているのだ。


「これからどうするか」


 ひとまず一日だけ寝床と食事を確保できた。

 これは大いなる一歩だ。

 

 あとは今日が終わった後、これからどうやって食いつないでいくかが問題だ。


 彼ほどの腕っぷしがあれば冒険者や傭兵として働けなくもないが、素性が素性だ。

 バレたらどうなるか分かったことではない。

 一応正体と本名を隠し、名乗らず今まで戦ってきたつもりだ。

 が、もしかしたら偶然顔見知りと、なんてこともあり得る。


「困ったなあああ」


 ブラッドリーは不貞腐れると、窓枠に頬杖ほおづえを突く。


 魔王の事も気がかりだが、例のバケモノも気がかりだった。

 勇者が召喚したあの異界からの来訪者たちは一体何者なんだ…………?


 考えれば考えるほどに、謎は深まっていくばかり。

 まるで蟻地獄に自ら足を突っ込んでいるかのようだ。


 ブラッドリーはおもむろに、シャツの中にしまっていたペンダントを取り出し、開く。

 そしてそれを静かに眺めながら、そっと瞳を閉じる。


「…………俺はそっちに行き損ねたようだ」


 彼は苦々しい笑みを浮かべ、そう独り言ちた。

 とそこで、コンコンと部屋の扉が叩かれる。



「失礼します。お食事の準備ができました」



 ノックの音に続いて、メイドの声が晩餐の時間を告げた。

 既にお腹と背中がくっつきそうなブラッドリーは、飛びつくようにドアへ駆け寄る。


「今行きまーす!」




  $$$$$$




「美味い、美味いですよこれ!」


 ブラッドリーは長机に並べられた食事を行儀悪くかきこむ。

 その様子をリリアが目を細めて見ていたが、気が付く様子が無かったので彼女は諦める。


「それはよかった。どうぞ、たんとお食べ下さい」


「どうも、ほんとありがとうございます!」


「それでブラッドリーさんはどんなお仕事を?」


 ブラッドリーの手がピタリと止まる。

 口の周りにソースをベッタリとつけたまま、クネル伯爵の顔をまじまじと見つめた。


「それが…………今は特に何も。旅をしているというか」


「ほう、そうですか。旅はいいですな、私も若い頃は旅するのが好きでして。体力が衰えた今となっては叶いませんが」


 あぶねーと思いつつ、何とかその場をしのげてブラッドリーはホッとした。


「旅の前はどちらに?」


 ブラッドリーは再び顔を上げる。

 さっきから素性を探るような質問ばかりで、思わず気が付いてるのではないかと勘繰かんぐってしまいそうだ。


「旅の前は…………」


 しばらく逡巡していたがいい前歴が思いつかず、咄嗟に思いついた嘘を吐く。


「“戦い”を生業に。まあ、魔獣の駆除とか色々と」


 真っ赤な嘘である。

 本当は魔王軍の参謀として、人類を駆除してましたなどとは口が裂けても言えるわけがない。


 郷に入っては郷に従え、ではないが、彼もいざこざは避けたかった。

 もしバレれば、せっかくの寝床から追い出されることになりかねない。


「左様でしたか…………その経験のお陰で、娘はいまここに居るわけですね」


「あ、あはは。そうですかね、ハハ」


 ブラッドリーは乾いた笑いで応じる。

 

 やがてディナーも終盤を迎え、食後酒が運ばれてきた。

 甘い香りが漂ってくる。どうやらブランデーのようだ。


 久々の酒にブラッドリーは興奮気味だった。

 中毒とまではいかないが、味を忘れた頃に飲みたくなるのだ。


「このブランデー…………“レグノリア”産の」


「おや、これはこれは。お酒に造詣ぞうけいが深いのですね。仰る通り、こちらはレグノリアのブランデーです」


 ブラッドリーは身体じゅうにアルコールが染み渡るのを感じながら、大切に飲む。

 ピリリとした舌触りのあとに来る強烈な甘ったるい香りが癖になる。


「リリアも飲むか? 今日は特別だ、お客人もいることだしな」


「いえ、結構ですお父様。この後またトレーニングの予定がありますので」


 この後の予定を聞いたり、家族の微笑ましい会話のように思えるが…………ブラッドリーは違和感を覚えた。

 

 クネル伯爵は眉間にしわを寄せているし、リリアは自分の父親と目を合わせようともしない。

 なにやらピリピリとした空気が漂っている。


「――――また剣術の練習か」


 クネル伯爵が忌々し気に呟く。


「そうですが」


「…………何かに打ち込むのは素晴らしい事だが、剣術だけは止めなさい」


「大丈夫ですよ、お父様。騎士を志してはおりません。ただ、知見を広げるためにやっているだけのことです」


 リリアは素っ気なく弁明するも、クネル伯爵の表情は晴れなかった。

 剣術に対して意見のすれ違いがあるのだろうということは、客人のブラッドでも何となく分かる。


 しかし何故父親が剣術を嫌がるのか、ブラッドリーには分からなかった。

 単に危険だからという理由だろうか。


 とにかくすれ違う二人に気まずさを覚えていたブラッドリーは、残りのブランデーを楽しむことにした。


「ご馳走様でした」


 ぶっきらぼうにそう言うと、リリアはスタスタと食堂を去ってしまう。


 残されたクネル伯爵とブラッドリーは今度こそ、本当に気まずそうに目を合わせる。


「娘がご無礼を…………いつもだと礼儀正しい子なのですが、今日はあんな事があったので」


「気にしませんよ。それより、なぜそんなに剣術を止めさせたいんですか」


 ブラッドリーがそう尋ねると、クネル伯爵はナプキンを机の上に置き、大きなため息をつく。

 そして思いつめた表情で何かを語ろうとして、言葉に詰まった。


「それは、お話しできません。少々つらい話でしてね」


「そうですか…………何も知らず、申し訳ない」


「いいんですよ。不思議に思っても仕方ありません」


 そう言ってクネル伯爵は笑った。

 が、ブラッドリーにはどうもぎこちない笑い方に思えてしまう。


「誰にでも、過去はあるものです。クネル伯爵」


 ブラッドリーは感傷に浸る前に、席を立つ。


「おや、もうお済ですかな」


「はい。ごちそーさまでした。こんなに美味しい食事は、久しぶりですよ!」


「それはそれは、ご満足いただけたようでなによりです」


 ナプキンを机の上に置くとブラッドリーは部屋を出ようとする。

 そこで、クネル伯爵が呼び止めた。


「あの、ブラッドリーさん」


「なんでしょうか?」


「すこし娘の様子を見てやってはくれませんか? 親の私が客人にこんなことを頼むのもなんですが…………剣術練習の時に私が居ると、どうも気が散ってしまうみたいなんです」


「そうですか…………いいですよ。ご飯もご馳走になりましたし、それくらいならお安い御用です」


「感謝します。もし、何かアドバイスをしてあげられるようなら是非ともお願いします」


 ちゃっかり指導も頼まれてしまい、ブラッドリーは一本取られたと苦笑した。




 $$$$$$




「はあっ!」


 リリアの鋭い一閃いっせんが、藁人形を切り裂く。


 そのまま振り抜くことなく重心を切り替え、刃を突き立てた。

 無駄のない洗練された剣術。

 複数戦というより、一対一の戦闘に向く技巧ぎこうの凝らされた術だ。


 彼女は幼い頃から、騎士で護衛役のギエナや他の剣士から技を見ては盗んでいた。


 我流ではあるが、確立された基礎に築かれた応用技は強力だ。

 特に振り抜きからの突き立ては目を見張るものがある。



「――――お~い」



 不意に声が聞こえ、リリアは剣を下ろすと振り返った。

 

 そこに立っていたのはコートに赤いネクタイの青年。

 ブラッドリーだった。


「あら、こんなところに何の用? 悪いけど、今忙しいの」


「見てわかるよそんなの。それに、邪魔しに来たわけじゃない」


 ブラッドリーは近くにあった石垣に腰を掛ける。


「お前の様子を見に来たんだよ。親父さんに頼まれて」


「そう。……………お父さんは来ないのね」


 リリアは苛立たし気にそう言うと、再び藁人形を斬りつける。

 気のせいかさっきよりも激しい。

 剣先も少し乱れ始めていた。


「お前は剣士になりたいのか?」


「いえ、別に。将来は魔導士になるつもりだし、剣術はただの護身用。学んでおいて損はないから」


「ふーん。殊勝なこった」


 ブラッドリーは本当に感心していた。

 自分の得意とする分野以外に手を伸ばすのは、中々に難しい。

 大変だし、第一興味が湧かないからだ。


「それで、あなたは何してるの?」


「見てる。お前の剣術を」


「それだけ?」


「…………じゃあ他に何をしろって言うんだよ」


 すると、リリアは一つ悪巧みを思いついて、ニヤリと口元をゆがめる。


「そうね――――私と手合わせして頂戴」

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