03. 再会

「只今戻りました」


 疲れ果てたリリアは日が暮れる前に自宅へ戻っていた。


 召使たちのうやうやしい出迎えをいつものようにあしらうと、大きな玄関ホールの階段を上がり、自室に向かう。

 その途中、誰かに呼び止められた。



「――――お嬢様ッ!」



 この声は…………。


「“ギエナ”、ただいま。そんなに慌ててどうしたの?」


「どうしたもこうしたも!」


 燃えるような赤髪を後ろで一本に束ね、目元に大きな傷跡を持つその女性こそ“ギエナ・グランデドーラ”。

 リリアの警護役であると共に、王国騎士団の連隊長でもあった。


「噂を聞きました」


「あら、どんな噂?」


「お嬢様が…………診療所に誰かを運び込んだとか」


「あ」


「あ、じゃないですお嬢様!」


 流石は警護役だとリリアは感心する。

 

 診療所に駆け込んだのは今さっきの出来事なのに。

 恐らく彼女も知らない情報網か、監視役が居るのだろう。


「だからどうしたの? 別に怪我した人を運び込んだっていいじゃない」


「それがお嬢様の…………ご友人だったら?」


「う」


 リリアは眉をピクリと吊り上げた。

 なんだ、もうそこまでバレてしまっているのか。


「ちょっとトラブルがあって。別にあなたに迷惑をかける様な事ではないわ」


「見知らぬ男に助けてもらったとか」


「え」


「“え”、じゃないです!」


 ギエナは鬼の形相で彼女を怒鳴りつける。


「私はお嬢様の警護役。勝手な事をされては困ります! ギルドに通うことだってお父様は渋々承諾されたのですよ! なのに、人間を相手にしてはいけないという決まりまで破って…………」


 なんだ、そこまでしってるのか。

 リリアは観念して誤魔化すのを諦め、ギエナの怒声を軽くいなす。


 警護役であるギエナは気が気でないだろうが、恐らくこの事を知って一番怒るのは彼女の父親だろう。

 決まりを破っただけでも怒るだろうに、何かあったとなっては狂ってしまうに違いない。


 リリアは父の火の粉が飛ぶ前に、そそくさと部屋に戻ろうとして。



「――――リリア! リリア、来なさい!」



 しまったとリリアは肩を落とす。

 そして大きなため息をつきながら、あくまで平静を装って振り返る。


「お父様、只今戻りました」


 綺麗に整えられた白髭の老人が物凄い剣幕で立っていた。

 彼の名は“クネル・オクセル”。 

 オクセル領の領主であり、伯爵の称号を持つ貴族だ。


 そんな彼は今にも飛び掛かって、リリアを食ってしまいそうだった。


「…………何が言いたいか分かるか」


「いえ」


「いいかッ!」


 ごつごつと骨ばった手がリリアの肩をがっしり掴む。


「ルールを破るなとあれほど言ったではないか! それを守ることを前提に私は渋々頷いたんだ!」


「すみませんでした、お父様」


「それで。なんであんなところに、盗賊の巣窟なんかに行ったんだ!」


 リリアは言い淀む。


 しばらく静寂に包まれた。が、やがて彼女が口火を切る。





「――――盗賊だって、聞いたので」





 クネル伯爵はその頬を叩こうと手を上げたが、ピタリと止めてしまう。

 プルプルと震えるその手で再び肩を掴もうとして、引っ込めた。


 そしてさっきの仏頂面から一変、悲し気な表情を浮かべる。


「…………復讐か」


 リリアはその問いに答えない。

 ただ真顔で、凛とした表情で父親の悲し気な瞳を見つめるだけ。


 再び静寂が訪れる。


 今度はクネル伯爵がそれを破った。


「お前は私の花だ、リリア」


 そして彼は優しく彼女の肩に手を置く。


「お前の気持ちは痛い程分かる。しかし」


 彼は厳しく、しかし優しく娘に言い聞かせる。


「復讐は何も生まないぞ、リリア。それにお前も死んでしまったらどうする? あの子だってそれは望んでないはず…………」



「――――んなことねーよ、おっさん」



 不意に、飄々ひょうひょうとした声がロビーを突き抜ける。


「だ、誰だ」


 傍で静観していたギエナが身構える。


 三人の背後に立っていたのは――――コートを身に纏った、赤いネクタイの青年。

 

 リリアは「あっ」と声を上げる。

 彼は…………あの時の。


「――――“ブラッドリー”さん」


「よお、また会ったな」


 不敵な笑みを浮かべるその男こそ…………“ブラッドリー”だった。


「何者だ!」


 ギエナが剣の柄に手を掛けると、ブラッドリーは大げさに怖がるって見せる。


「おおっと、これは失礼。俺は曲者じゃない」


「何だとッ!」


「信じられないなら彼女に聞いてみてよ。な? リリア、だっけ?」


 突然パスが回ってきて、リリアは困惑する。


「え、ええ。その、彼は私の知り合いです」


「知り合いだと?」


 クネル伯爵は眉を顰めブラッドリーを舐めるように観察していた。

 

 一触即発の状況で勘違いされるのも嫌なので、リリアは仕方なく経緯を説明することに。


 自分の娘が、自分の“護衛対象”がその無礼な曲者に助けられたと聞き、ギエナとクネル伯爵は態度を一変させる。


「こ、これは失礼しました。お嬢様の恩人とも知らずに…………」


「娘の恩人とは知らなかった。私からも無礼をお詫びしよう。申し訳ない」


 ギエナとクネル伯爵は謝罪すると、顔を上げた。


「この度は、私の娘を助けて頂きありがとうございました。私が彼女の父の“クネル・オクセル”と申します。さっきまでの無礼は、どうかお許しください」


「別にいーんですよ。彼女にも言ったけど、大層なことはしてませんから」


「いえ、それでも。そうだ、何かお礼をさせてください」


「お礼ですか?」


「そうです。可能な限り、望むものを用意しましょう。何かお望みのものは?」


「んーそうですねえ」


 ブラッドリーは顎に手を当てて「これもいいなあ」と楽し気にあれやこれやと悩んでいた。


 ワイン一年分はどうだろうか。

 無類のお酒好きである彼にとっては垂涎すいずいものだ。


 郊外の別荘とかはどうだろう?

 引退してから住むための別荘なんかも確かにいいかもしれない…………。


 が、何を思いだしたのか彼は顔を真っ青にしてげっそりした顔つきになっていた。



「…………あのスンマセン、食事と今夜一晩だけ泊めてもらえませんか?」



 彼は魔王城を失ってしまったのことをすっかり忘れていた。


 そういえば復活した衝撃で忘れていたが、魔王軍は霧散むさんしてしまったのだ。

 となると寝床も当然無いわけで。


「それでしたらもちろん。用意させましょう」


 クネル伯爵は嫌な顔一つせず、メイドに客人の食事も用意するように命じる。

 それからゲストルームを清掃するようにとも。


 ふとリリアが頭をもたげた。


「そういえばブラッドリーさんはなんでここに?」


「え?」


 突然ブラッドリーが困り果てた表情を浮かべる。


 まさかなんの理由もなくとりあえず来たとか、そういうことでは無いだろうなと思った。

 が、家の場所を伝えてないのに妙だなと彼女は眉をひそめる。


 するとブラッドリーが頭をポリポリと掻きながら、リリアにこっそり耳打ちする。


「…………忘れ物を届けに来たんだよ」


「忘れ物? 何か忘れてましたっけ」


「そのー、あーなんというか。ここだと渡しづらいんだ」


 ブラッドリーがギエナとクネル伯爵に視線を向ける。

 リリアは何だろうかと不審に思いつつも、仕方なく人気の居ない場所へ案内することにした。


「中庭でいい?」


「そこは人がいないのか?」


「ええ。この時間だったらメイドもいないわ」


「いいね。そこで渡すよ」


 リリアは一言父親に断ると、ブラッドリーを中庭に案内する。


 ロビーの階段を降りて入口の向かい側にあるもう一枚の二枚扉を開け放つ。

 中庭はとても広く、隅に花壇。そして手間には訓練用と思しき藁人形が幾つか並んでいる。


「ここなら大丈夫?」


「ああ。――――ほれっ」


 ブラッドリーはなんの忠告もなくそれを投げ渡す。

 慌ててリリアが放り投げられたそれを、咄嗟に受け取った。


 そしてそれを確認して――――赤面する。


「こ、これ…………」


「おパンツ。お前のやつ、渡し忘れててさー。あはは、わざとじゃないんだけどな」


「う゛」


「え? どうした? そんな顔真っ赤にして…………」


 リリアは何も言わず、乱暴にポケットに突っ込むと苛立たし気に立ち去る。

 ブラッドリーがしまったと思ったときには、もう遅かった。


「ちょ、ちょっと待て! 悪かったって」


「うっさい死ね!」


 バタンと勢いよく扉が閉まり、ブラッドリーは独り中庭に取り残された。

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