02. 蜘蛛の糸

 青年は不敵な笑みを浮かべた。


「てか襲う前にズボン履いたら? よくもそんな粗チン晒せるなぁ! 犬の方がもっと大きいのに、ワンワンワンッ!」


 盗賊たちは青年の挑発に怒り狂い、武器片手に飛びかかってくる。

 が、青年は怯えるどころか狼狽える様子も無い。

 それどころか、さっきよりも活き活きとした表情だ。

 

 リリアは驚く。

 この明らかな劣勢を、彼が心の底から楽しんでいるように見えたから。


 盗賊たちはこぞって彼に襲いかかる。

 地下牢の狭さなど構いもせず、彼らはたけに合わない長ものを振りかざす。



「かかったな。————『』!」



 青年の口元が緩む。


 すると、男たちの持っていた片手剣や戦斧がふわりと宙に浮いた。

 彼らは一瞬の出来事に、思考が追い付かない。


 何だ。


 


 混乱のあまり、彼らは一瞬ピタリとその動きを止める。

 


————静止、すなわちそれは大きな“隙”。



 青年はまるで指揮棒タクトを振るうように、指先を躍らせた。


 宙に浮遊する無数の剣が独りでに動き出し、切っ先を地上に向ける。

 そして————何かに引き寄せられるように、男たち目掛けて一斉に飛んでいく。


 まるで鳥が湖面の魚を急襲するように、剣が物凄い勢いで降り注いだ。

 鳥がだとすると、魚は


 真っ赤な鮮血が噴水のように飛び交い、次々と盗賊たちが崩れ落ちる。

 剣が男の首を刎ね、石壁にガツンと突き刺さった。

 体から切り離された無残な頭部は、弧を描きながら飛んでいく。


 盗賊たちは一瞬にして肉塊の山に変わった。

 悲鳴をあげる間も無く。

 苦しむ間も無く。


 リリアがあっと声をあげる前に、殺戮はもう終わっていた。


 生き残ったのは————青年ただ一人。

 返り血に全身を染めたその姿は、地獄から這いずり出てきた亡者そのものだった。


「隙ありすぎ」


 青年は悠然とした様子で手を払うと、真っ赤に染まったむくろを見下ろす。

 リリアは驚きのあまり、言葉を失っていた。


 今何が起きた? 


 なんの魔法を使った?


 魔術に詳しい彼女ですら、彼の唱えた呪文を判別できない。

 そもそもあれは、魔法だったのだろうか…………。


「――――お、おやおやおや」


 青年はリリアと女剣士たちを目ざとく見つけると、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる。


「こんなところに可愛い野良の美女が三人も。しかも裸!」


 彼はリリアの元に歩み寄る。 

 そして、胸や股に隠そうともしない熱っぽい視線を向けた。


「ねえ!」


 リリアは勇気を出して、声を振り絞る。


「助けてっ! お願い!」


「は?」


「あいつらに捕らえられて…………この鎖を切って欲しいんだけど」


 彼女は恐怖を誤魔化すために目をつむった。


 この男も盗賊と同じだったらどうしよう。そんな不安が頭を過る。

 助ける代わりに…………なんて、そんな話になったらどうしよう。


 青年は困った様子で頭を掻く。

 そして、大きなため息を吐いてから言った。



「…………仕方ねーなぁ」



 すると、金属が断ち切れる音と共に、リリアの手首からスルスルと鎖が落ちていく。

 支えがなくなったリリアは脱力し、床にへたり込んだ。


「あ、あぁ…………」


 リリアは両手を突き出し、動かしてみる。

 握ったり、開いたり。

 そしてその手でそっと頬に触れ、つまんだ。


 夢じゃない。


 これは絶望の際の、現実逃避のための夢なんかじゃ無い。

 本当なんだ。

 本当に————この地獄から救い出されたんだ。


 リリアは涙をこぼす。


「ありがとう…………ありがとうっ!」


 奇跡だ。

 絶望の淵から私たちを救い出してくれた、救世主。


「ったく、俺は鎖を外しただけだよ。それより、あっちのはどうすんだ?」


 青年が指をさした方には、ぐったりと地面に倒れる女剣士と弓使いがいた。

 リリアはハッとして立ち上がると、青年に詰め寄った。


「は、早く治療しないと! さっきひどく殴られてたから…………」


 青年は顔をしかめ、一瞬肉塊に目をやると再びリリアに向き直った。

 

「お礼は後でたっぷりさせていただきます! だから、今はどうか彼女たちを助けるのを手伝ってください!」


 彼はハァとため息をつくと、やれやれと首を振った。


「いーよ。乗りかかった船だし、それに…………」


 いやらしい視線が、リリアの顔から胸、そして股へと滑り落ちる。

 それに気がついたリリアは「キャッ」と悲鳴をあげて縮こまった。


「あ、あなたは服を探してきて! ちょ、ちょっと! こっち見ないでよ!」


「わーったよ。はいはい…………別に減るもんじゃ無いだろーが、ケチ」


 青年はブツブツと愚痴を言いながら地下牢の倉庫らしき入口へと入っていく。




 $$$$$$$$$




 服を見つけ出し、女剣士と弓使いを抱えた二人は塔を出た。

 そして、しばらく歩いたところにある“ヴィガード”の街に駆け込んだ。

 

 ヴィガードは冒険者で賑わう街。


 今は訳あって緊張がほぐれないが、それでも普段と変わらぬ賑わいを見せていた。

 大通りは露店でぎっしり埋まり、トカゲ肌やドワーフ、エルフや人間など様々な種族でごった返している。


 二人はその人混みをかき分け、リリアのよく知る診療所に意識を失った二人を運び込んだ。

 そうしてようやく使命を果たした二人は、診療所の前の階段に腰を下ろし、ほっと一息ついていた。


「――――本当に」


 リリアが口火を切る。


「本当に、ありがとうございました」


 青年は照れ臭そうに頭をボリボリ搔くと、あまりのむず痒さに立ち上がった。


「いーんだよ。気にすんな」


「感謝しても、しきれません。初対面だった私たちを…………この恩、いつか絶対に」


「あーもーわかった! もういいから、もう感謝しなくていいよ」


「失礼しました…………少々しつこかったでしょうか」


 機嫌を損ねたのか、青年は面倒臭そうにそっぽを向いてしまう。

 リリアが不安げに青年を見上げると、意外にも彼はどこか遠くを見つめていた。


 不意に、青年が吐露する。


「気分を悪くしたなら謝る。感謝されるのは、その、あんまり慣れてないんだ」


「慣れてない、ですか?」


「ああ。今までほんと、悪口ばっかりだったから…………一体俺、どうしちゃったんだろ」


 青年は悲しそうに呟く。

 彼の過去に何かあったのだろうとリリアは察して、それ以上追求しなかった。

 

 しばらく気まずい静寂せいじゃくが続き、街の喧騒けんそうがうるさいほどに聞こえくる。

 リリアも青年も何を話していいか分からずにいた。


「そういえば」


 ふと、リリアが何かを思い出したかのように、突然口を開く。


「名前をまだ聞いてませんでした。私はリリア・オクセルと申します。あなたは…………?」


 そう尋ねると、突然青年は険しい顔でリリアの顔を睨みつける。


 彼のあまりの気迫に、リリアは思わず身を引く。


 なんでだろう、何か言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか?

 リリアがどう弁解しようか考えていると、青年は屈託の無い笑みを浮かべた。



「――――“ブラッドリー・ミュラー”。仲良い奴はみんなブラッドって呼んでる」



 怒っているわけではないと知って安心したリリアは、嬉しさのあまり立ち上がって手を差し出す。


「ブラッドリーさん、今日は本当にありがとうございました」


 ブラッドリーは面食らったように目を白黒させた後、恐る恐る彼女の手を握った。

 まるで初めて包丁を持つ子供のように。


「いーよ。エッチな身体も見れたことだし。ま、もうちょっと大きい方が好みだけど…………」


 そう言って彼はニヤリと笑う。

 笑顔の下で…………少し顔をしかめながら。


「ちょ、ちょっと! こっち見ないで。それと変な想像もしないで!」


 リリアが顔を真っ赤にして、恥ずかしさのあまり頭をブンブンと振る。

 ブラッドリーはその様子を楽しそうに見守っていた。


「んじゃ、そろそろ俺は失礼するよ」


 彼は今度こそ立ち上がり、尻の砂埃を払う。


「またどこかで会えるかもな」


 そう言って立ち去ろうとする彼の背中を見て、リリアは思わず声を掛けてしまった。


「――――ね、ねえ」


「なに?」


「なんで助けてくれたの。その…………見返りもないのに」


 リリアは言い切ってから後悔する。


 せっかく助けてくれたのに、自分の好奇心から馬鹿な事を聞いてしまったと。

 これで彼の機嫌を損ねてしまったら、それこそ恩を仇で返すことになってしまう。


 しかし、ブラッドリーが怒ることはなかった。


 代わりに、どこかやるせない寂しげな笑みと共に。


「分からん。なーんとなく、かな」


 それだけ言うと、今度こそ彼は立ち去る。

 手をひらひらと翻しながら人混みに消えるブラッドリーの背中を見て、リリアは引き止めなかった後悔に胸を焼かれていた。

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