一月五日 フローズン・ミドリマル・ガリータ

 時に芸術というものは、触れるべき文化である、と私は思う。人間に備わっている智や感情を育成、成長に作用し、新たな境界へと導いてくれる。私の日常は平々凡々な一般人だが、このカウンターに立つ時はカクテルという芸術を作るアーティストでありたい。それはただ作りたいという欲求だけでなく、私が提供するカクテルからお客様のいろんな顔を見てみたいからである。そんなカクテルに込められた言葉は「独特な個性と主張を持つ品格者」。


 私の親戚には、美術的に評価されるべき人物がいる。しかしその人は立年りゅうねん就いていた教諭で精神を病んでしまい、奥さんの地元で学童の職員をやっている。その人の描くキャラクターは今まで見てきた中で愛玩するほどの作品である。しかし精神を病んでからは筆を走らせることはなく、完全に離れてしまった。願わくば、私のお気に入りを敷き詰めたこの空間にひとつ飾らせてはくれないだろうか。

 そんなことを思っていた時、看板を返すために入り口に出ると、叔父さんの姿があった。他人の空似かと思ったが、叔父さんは左右で目の大きさが一目瞭然に違う特徴があるので、本人だとすぐに分かった。

「久しぶり、れいくん」

 私の下の名前、礼人あやとを礼くんと呼ぶのは叔父さんだけだ。

「お久しぶりです、叔父さん。珍しいですね、いつもは三が日終われば帰ってるはずなのに」

「今年は長めに休み取ったんだ。医者も休めと煩くてさ。だから今日は礼くんのお店に寄らせてもらったよ」

「嬉しい限りです。ご案内しますよ」

 看板をOPENにし、私は叔父さんをカウンター席に案内した。

「内装、趣味が全開でいいね」

「恐れ入ります」

 私はいつものように手拭き用のタオルとメニューを置く。叔父さんは最後のページからメニューを見ていく変わった人なので、おもむろにひっくり返す。

「へー。その日誕生日の人にはバースデーカクテル一杯無料なんて、面白いサービスやってるんだ」

「誕生日は、何もない日とは違った特別な日。私にできることはこのくらいですが、このためだけにいらっしゃるお客様も少なからずいらっしゃいます」

「それもそうだね。僕は今日誕生日じゃ無いけど、これは注文できる?」

「通常価格でご提供しますよ」

「じゃあ、頂こうかな」

「かしこまりました」

 私はメニューを下げて、必要なものをカウンターに並べていく。

 今日のカクテルはフローズン・ミドリマル・ガリータ。メロンリキュールを使ったテキーラベースなので、度数は決して弱くない。しかし、甘いカクテルがお好な方には絶賛されるほどのフローズンカクテルなので、夏は注文が多く入る。

 グラスは、事前に作ってあるスノースタイルのブランデーグラスを取り出す。スノースタイルとは、グラスのふちに塩や砂糖をまぶしてあるものを指す。それから目の前に並べたテキーラ、メロンリキュール、レモンジュース、クラッシュドアイス、シュガーシロップをミキサーに入れる。フローズンに仕上がったらグラスに入れ、ライムを飾り付ける。最後にストローを刺し、小皿にスプーンを添えれば完成だ。

「お待たせ致しました。本日のバースデーカクテル、フローズン・ミドリマル・ガリータです」

 専用のコースターも一緒に提供し、叔父さんはさっそく写真を撮る。

「綺麗な黄緑色だ。頂きます」

 スプーンでひとつ掬って頬張る。

「甘くてデザートみたいだ」

「メロンリキュールを使っていますので、夏はよく注文が入ります」

「分かる。それに塩のしょっぱさが甘さを引き締めてくれてるから飲みやすい」

「ありがとうございます」

 ドリンクと雑談を楽しんだ後、叔父さんは鞄から鉛筆を取り出した。そしてコースターの余白に可愛らしいキャラクターを描き、ペンを入れて私に返した。

「あげる」

「いいんですか?」

「うん。僕はこの言葉の『独特な個性と主張を持つ品格者』にはなれないし、たぶん、今描けるのはこれが限界」

「そうですか……。ひとつお願いしようと思ってましたが、無理強いはしないでおきます」

「お願いってなに?」

 叔父さんは聞く姿勢ではあったので、私は心苦しいと思いながらも依頼内容を話す。

「この空間のひとつに、叔父さんの作品を加えたいと思っていました。もちろん、これは私というクライアントとしてですので、お支払いもします」

「そっか。そこまで気に入ってくれてるのは本当に嬉しいよ。でも僕は金をもらってまで描けるような絵は、もうきっと描けないと思う。礼くんも知ってると思うけど、僕が病んだ理由は『絵に評価を付ける』という行為そのものが嫌なのに、それを仕事として選んでしまったことが原因、だと思う。評価を付けるのは他人に対しても自分に対しても。でも学校の先生ってのは成績を数値化しなければいけないから、それをやらないと仕事を放棄したことになる。給料をもらっている以上、やらなければいけない。でも結局、僕は自分の限界を見誤ってしまった。で、今に至る。滑稽だよね」

「そんなことはありません。叔父さんはすごく頑張ったと思います。絵を描くこと自体は、生きる上で必要なことではありません。だから叔父さんが描きたい時に描けばいいと思います。僕も、店の休業日は決めていますけど、僕の気まぐれで休む時もあります」

「ありがとう。礼くんはいつも優しいね」

「優しさ、とは違います。僕はただ、僕と縁を結んでくれる人たちが心身共に健康で過ごしてほしいと願っているだけなので」

「他人にとってはそれが『優しさ』なんだよ」

 それから叔父さんはもう一杯注文して、酔いが回れば雑談に華が咲いた。今日は珍しくお客様も少なく、話している時間の方が長かったような。深夜を過ぎたあたりで、叔父さんは店を後にする。

「礼くん、今日はありがとう。その聞き上手を見習いたいね」

「人の話を聞くのが好きなだけです。また来てください」

「次来るときは、傑作を持ってきたいね」

「それはいつになることやら、ですね」

「礼くんのためなら、遅くならないうちに来るよ。じゃあ、おやすみ」

「お休みなさい。道中お気を付けて」

 私は叔父さんが描き添えたコースターを眺め、以前より小さくなってしまった背中を見る。でもつっかえていた何かが取れたのか、少し伸びて見えた。次会えるのはいつだろうか。




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