一月二日 グリーン・アラスカ

 美しい緑色。私の好きな鉱石で例えるなら、グリーンガーネットに近いだろうか。極僅かに色付いた緑色は、純粋で透き通った心の持ち主を思わせる。しかし、グリーン・アラスカはアルコール度数五十五パーセントとかなり強い。お酒に弱い方はご注意を。カクテルに込められた言葉は「優雅で純粋な心の幼き者」。


 三が日の中日は割と暇だ。きっとほとんどの人は家でごろ寝をしながらテレビでも見ていることだろう。私は誰が来るかも分からないまま、独自のカクテルレシピを考える。自宅は店から徒歩五分の場所にあるアパート。築五十年は経っているだろうか。しかしリノベーションされていて、内装はかなり綺麗で使いやすい。何より三十平米の一Kにカウンターキッチンが備わっている。何か考え事をするには丁度良い場所だ。

「さて、そろそろ店に行くとするか」

 店に制服があるため、出勤時は私服で問題ない。といっても、店に勤めているのは私しかいない。裏の通用口は日が出ていても暗いため、電気が付けっ放しになっている。さっと着替えを済ませ、簡単な清掃をし、時間になれば入り口の掛け看板をひっくり返して「OPEN」にする。お客様がいない間はグラスを拭いたり、ボトルの残量を確認したり、やることは意外とある。

「こんばんは、彦田さん」

「こんばんは、水野さん。今日も締め切り前の追い上げですか?」

 水野さんは出版社勤めのライター兼編集担当。いつも締め切りに間に合わなくなると、一番奥のテーブル席を占領してノートパソコンを叩いている。今日はいつもより身軽のような気がした。

「違うわ。今日は新しく入った子を連れてきたの。お酒が大好きだっていうから、腕試しに『アスールここ』のレビュー記事を書いてもらおうと思って」

「それは困ります。あまり大々的に名が知れてしまったら、私の手が回らなくなりますので」

「ああ、どっかの記事に載せることはしないわ。彼、ライター経験が無いから修行の一環。私を唸らせてみろってところ」

「ははは、それは難関ですね」

 水野さんの後ろで肩掛け鞄に手を突っ込んでいた青年は、一歩前に出てきて名刺を差し出した。

「あ、あの! 僕、三島と申します!」

 緊張しているのか、慌ただしく早口になっていた。私は三島さんが余計に緊張しないように、柔やかに名刺を受け取る。

「これはご丁寧に。さあ、こちらにお掛けください」

 私は少し微笑ましくなりながら、二人を席に案内した。手拭き用のタオルとメニューを置くと、水野さんはさっとメニューを開いた。最後のページに書かれている「その日お誕生日の方は、バースデーカクテルを一杯無料でご提供します」という一文に目が止まり、そういえば、と漏らした。

「三島くん、今日誕生日だったよね? これにしなよ」

「え? あ、本当だ。じゃあこれにしようかな」

「私はノースポール。あとレーズン」

「かしこまりました」

 ノースポール。カンパリという約六十種類のスパイスが原料となっているイタリア生まれのリキュールに、ウォッカとドランブイをシェークして作る赤いカクテル。度数も約三十七パーセントと、そこそこ高い。

 水野さんの前にコースターを置き、その上にノースポールをすっと差し出すと、これこれ、と言わんばかりに早速手に取って一口目を含む。

「んー! カンパリの粋なスパイスが染み渡るー!」

「今日も上機嫌ですね」

 それとレーズンを提供して、次に作るグリーン・アラスカの材料を手に取る。作り方はとても簡単。シェーカーにジンとシャルトリューズ・ヴェールを注ぎ、シェークする。これだけである。グラスの飾り付けも要らない。バースデーカクテル専用のコースターと空のグラスを先に差し出し、三島さんの前でグリーン・アラスカを注ぐ。そして注がれた色味を見やすくするために、照明を少し明るくした。

「本日のバースデーカクテル、グリーン・アラスカでございます」

 飾り気の無い純粋無垢な薄緑は、彼にぴったりの色合いをしている。

「写真撮ってもいいですか?」

「どうぞ。満足いくまでお楽しみください」

「ありがとうございます」

 最近のスマートフォンは、デジタルカメラ顔負けの解像度を誇っている。三島さんはあらゆる角度からグリーン・アラスカを写し、その魅力を引き出そうとしていた。

「では、頂きます」

 少量を口に運ぶ。気に入ってくれたのか、少し頬が緩んだ気がした。

「このジンは飲んだことが無いです。でも美味しいです」

「それはシャルトリューズ・ヴェールという、フランスの薬草系リキュールです。私が使っているのは少し甘味のあるものを使っていますので、ジンの辛さは抑えられていると思います」

「彦田さんはカクテルに関しては知恵袋だから、どんどん聞いちゃってー」

「いやいや、水野さんほどではありませんよ」

「何言ってるんですか。バースデーカクテルにしかついてこないコースター、それも彦田さんが調べて作ってるんでしょ?」

「言葉もエンターテイメントのひとつですから」

 水野さんは執筆以外でお酒が入ると、喋らずにはいられない。それに世話焼きというかおせっかいというか、よく他人を気にする。三島さんはコースターに書かれた言葉を復唱して、私を見た。

「優雅で純粋な心の幼き者……。なんか、馬鹿にされているような感じもしますが……」

「いいえ。時には幼い心も必要なものですよ。例えば、エッセイやルポルタージュでその人にしか分からない言葉が続いた時、先を読みたいと思いますか?」

「難しい言葉ばかりを使われちゃうと、あまり……」

「そうでしょ? 私もその本や記事は読みたくありません。逆に、子供でも理解できるような分かりやすい言葉で書かれていたらどうでしょうか」

「たぶん、読む手は止めないと思います」

 私はまた柔やかに笑う。

「ライターというお仕事は、読まれるための文章を書くものだと、私は理解しています。もう少し加えるなら、その文章で感動させられるような、ほんの僅かでも心に変化がもたらされるならば、ライターとして立派に自立できることと思います。そのためには、まずあなた自身が純粋に何を感じたのかが、必要ではないですか? 今召し上がっているグリーン・アラスカを初めて口にした時のように」

「――! はい、そうですね!」

 私の拙い言葉でも、三島さんは何かを受け取ったような顔をしていた。私も嬉しいものだ。

「私も私の言葉で感動させたいなー」

 ベテランの水野さんでさえも、課題を抱えているようだった。


 水野さんは三杯、三島さんは二杯ほど楽しまれては、私の店を後にした。どんな文章が書き上がるのか、それはまたの機会の楽しみとしよう。




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