『鬼と人間・後編』


「某は此にて失礼、」

「まあ、少し待て。」


 露草は鬼灯丸を呼び止めると事前に用意していた物を手に立ち上がった。


 片方の手には任務から帰って来た鬼灯丸を何時でも出迎えられるように隠していた自身の草履、もう片方の手には使用人から分けて貰った『ある食べ物』。

 それらを持って両手が塞がっているにも関わらず露草は器用に障子を開けた。


 縁側から広がる庭園で鬼灯丸は顔を上げず片膝を立てたまま露草の指示どおり待機していた。


「面を上げよ。今は俺とお前しかいない。」

「そうはまいりません。」

「相も変わらず堅い男よな。」


 其処がお前の美点だがな、と露草は苦笑する。


 地に置いた草履を履いてから鬼灯丸に歩み寄れば仄かに漂う生臭い匂いが鼻孔を刺激した。先刻まで大量の物の怪を蹴散らしていたことが窺える。


 報告のために急いで体を清めてから来たのだろう。その気遣いがこの上なく喜ばしかった。


「手を出せ。僅かだが俺からの褒美だ。」


 自身は家を継いだ者として民と土地を守らなければならない。武士のように物の怪と戦えないことを時折歯痒く思うが、鬼灯丸の帰る場所を守り通すため主としての務めも果たしてきた。


「勿体無い御言葉。」


 鬼灯丸は感謝を口にした後、粛々と両手を露草の前に差し出した。


(昔よりも体だけでなく手も大きくなったものだ。)


 幼い頃に露草は鬼灯丸と邂逅を果たした。同い年の鬼灯丸は銀色の髪と橙色の瞳、二本の角以外は人間の少年と変わらない外見だった。


 長年に渡って自身の忍びとして仕えてくれたが、ある日をさかいに鬼灯丸は覆面で素顔を隠すようになった。


 露草はその理由を知っている。


(毎度のことながら詮索は野暮だな。)


 今はただ労うのみだ、と露草は鬼灯丸の手に褒美を置いた。


 鬼灯丸は受け取った両手を自分の前に引き寄せて顔を上げると、橙色の乾燥果物が掌の上に転がっていた。


 途端に瞳を輝かせて乾燥果物を見る鬼灯丸に露草は笑みを溢す。


「今日干し柿を貰ったのだ。お前、干し柿が好きだったろ?」


 露草が尋ねると鬼灯丸は感激のあまり巨像のような巨体を小刻みに震わせていた。覆面で隠されているため表情は読み取れないが鬼灯丸の気持ちは手に取るように分かってしまう。


 好物で気を引くのはあまりよろしくないが普段は寡黙で淡々と任務を遂行し、同族から畏怖される鬼灯丸がこの一時だけは自身の知る『幼馴染み』として戻ってきてくれる。


 その刹那が露草にとってかけがえのない『日常』であった。


「有り難き幸せ。御恩は一生忘れませぬ。」

「大袈裟だな。」

「この干し柿、家宝に致します!」

「いやそれはさすがに止せ。」



「美味いか?」

「はい、大変美味しゅうございます。」


 束の間の休息を噛み締めるように鬼灯丸は露草とともに縁側で干し柿を味わっていた。干し柿は露草の手の平に収まるほどの大きさだが、鬼灯丸が手にすると小粒の木の実と化す。


 食べる時も鬼灯丸は覆面を取らなかった。彼が口元に干し柿を近付ければ一瞬で消えて無くなり、直後覆面の下で咀嚼している。


 まさに目にも止まらぬ早業だが露草は一連の動作を見抜いていた。


 鬼灯丸が素顔を見せないように覆面の顎部分を少しずらして素早く干し柿を口内に放り込んで何事もなく静か食している。


 それを人間の目で追えるのは厳しい鍛練の末に得た洞察力の賜物だ。その気になれば覆面に隠された素顔を見るのは造作無いが敢えて見ないようにしていた。


 先祖返りした鬼は異形の顔になると聞く。


 元服を迎えた頃、突如鬼灯丸の体に変化が現れた。背丈が異様に伸び、強靭な体に変貌を遂げようとしていた。


 同時に鬼達が血相を変えて彼の命を奪おうと襲ってきた。


 露草は敵わぬと分かっていながらも鬼灯丸を守るため必死に彼らを制止した。なんとか説き伏せて両者共々命を取られずに済んだが暫くして鬼灯丸は覆面で素顔を隠すようになった。


 何故隠すのだ?もう命を狙われる心配は不要だぞ?と訊ねても鬼灯丸は頑なに拒み続けた。それから間もなくして露草は実父からこう言われた。


「お前が慈悲など与えなければ、あれはそうまでして生きようとしなかった」と。


 時が経つに連れて鬼灯丸の肉体は留まることなく強大な力を蓄え続けている。


 このまま彼の心までも物の怪になってしまうのでは?と不安を抱いたことは一度や二度ではない。


(もしあいつが物の怪に変わり果てたら俺はどうする?主として部下であるあいつを始末出来るのか?それとも、)


 友として喰われることを受け入れるべきか?


「主殿、どうなさいました?」

「いや、此度の干し柿は何時にも増して甘いと思っただけだ。」

「主殿から頂いた干し柿、大変美味でした。」


 有り難うございます、と頭を下げる鬼灯丸に露草は今も迷いを断ち切れぬ己を恥じた。


 彼らを見下ろす紅月は何も言わず嘲笑っていた。

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