36b.後輩と夏祭り

人を待っていると賑やかな祭囃子が聞こえてくる。


時刻は午後六時。


夏だけあってまだ空は夕暮れに染まっていない。


もう少ししたら一気に暗くなるだろうけど。


視界の先の道路沿いには屋台がびっちりと並んでいて、甘い匂いが食欲を刺激してくる。


「お待たせしました、伊織先輩」


「ん」


声をかけられて振り返ると、そこには後輩の姿があった。


今日の小海は夏祭りらしく浴衣を着て髪を上げている。


「どうですか?」


「似合ってるぞ」


恰好もだけど、それ以上にちょっと照れたような表情がとても良い。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


「それじゃ行きましょうか」


「おう」


返事をして歩き出す前にあることに気付く。


「手、繋ぐか?」


「伊織先輩、私と手繋ぎたいんですか?」


「そうだな、小海が嫌じゃなければ」


はぐれないために、なんて理由は語らなくていい気がするので省略。


「そんな聞き方されたら断れないじゃないですか」


「そんな聞き方じゃなければ断るのか?」


「秘密でーす。ほら、行きましょ伊織先輩」


言いながら手を握られて、柔らかさと温かさが伝わってくる。


その手をぎゅっと握ってみると、同じ強さでぎゅっと握り返された。




人ごみの流れに沿って歩いていると進行は自然と牛歩になってその分屋台へと視線が移る。


横に並ぶ後輩のうなじが眩しいがあんまり見てると気付かれそうなのでこっそりチラ見する程度に留めておいた。


「歩きづらくないか?」


人混みの中、手を繋いで歩く後輩に声をかけると不思議そうな顔をする。


「手がですか?」


「いや、足元が」


というか浴衣全般が。


履き慣れない下駄で足が痛くなるなんていうのも定番だしな。


「それなら大丈夫です」


「手は?」


「こっちも大丈夫ですよ」


「ならよかった」


繋いだ手が邪魔だって言われたらショックで死んでたかもしれない。


嘘だけど。


「でももし私が転びそうになったら支えてくださいね」


「はいはい」


その場合は一緒に転けそうだけど。


「それじゃまずどれにしましょうか」


「んー、とりあえず食いもんかな」


というか食い物以外の選択肢がない。


「くじ引きとか射的とかあるじゃないですか」


「どうせ当たらないくじ引きと落ちない射的なら、その金で宝くじでも買った方がマシだぞ」


「伊織先輩は捻くれすぎですよ!」


そうかなあ、わりと一般的な感想だと思うが。


「じゃあ小海はどうしたいんだ?」


「そうですね、まずはじゃがバターが食べたいです」


「やっぱり食い物じゃん!」


思わずツッコんでしまった。


「だって一人だと食べきれないんですもん」


「まあその理屈はわからなくもないが」


量的な話よりも、あの量のバターを一人で消化しようとすると胸焼けするよねって意味で。


「じゃあ決まりですね」


ということでじゃがバターの屋台の列に並んで注文をする。


受け取ってから脇道に避難して段差に腰かけ、カパッと蓋を開けるとバターの匂いが立ち込める。


危うく腹が鳴りそうになったわ。


それくらい食欲を刺激する匂いを漂わせながら、箸を持った後輩がジャガイモを割ってふーっと熱を冷ます。


「伊織先輩、どうぞ」


と言って差し出されたじゃがバター。


「先に食べていいぞ」


「いいから食べてくださいよ。はい、あーん」


半分ずつ順番に食えばいいのでは?と思ったが、後輩は譲る気がなさそうだったので諦めて口を運ぶ。


「ん、あっつ」


ホカホカのジャガイモとバターの甘じょっぱさが口に広がる。


「美味しいですか?」


「美味い」


「それじゃあ私も」


「交代するか?」


「いえ、自分で食べられるので大丈夫です」


「アッハイ」


断られたので後輩が食べる様子を見ていると、口に運んだのを一口噛んで、「んー」と満足そうな表情をする。


「美味いか?」


「はい、美味しいです」


「そりゃよかった」


「それじゃあ伊織先輩ももう一口どーぞ」


「ん」


交互に食べる理由はわからないが、ともあれ二人で半分ずつ分けてじゃがバターを完食する。


「やっぱり二人で食べるとちょうどいいですねー」


「そうだなー」


1/2個ずつ食べたわけだがすでにバターの暴力はもう満足した感がある。


「じゃあ戻りましょうか」


「おう」


ということで腰を上げると今度は後輩の方から手を差し出される。


それを握って再び屋台の通りへ戻った。




「あっ、クレープの屋台ありますよ」


「んー、ここで食わなくてもまだ先の方で買えるだろうから今はいいだろ」


お祭りの列は結構な長さがあり、同じ内容の店が始点から終点までに複数軒並んでいるはずである。


「伊織先輩、ここのお祭り来たことあるんですか?」


「いや、だけど屋台の列の長さがどれくらいあるかは知ってる」


全長で一キロ以上あるので、同じ屋台が二つ出てこないならそっちの方が驚きのバリエーションの豊かさである。


「なるほど」


「小海はこの祭り来たことないのか?」


俺はこういうのに縁がない人間だから初見でもおかしくないが、後輩は地元民なので何度かくらいは来たことあるんじゃないだろうか。


「去年も友達と来ましたけど、そもそも全部は歩かなかったですね」


なるほど、途中で横道に抜けるか引き返してそのまま帰ったのか。


セオリーに囚われない陽キャの発想である。


確かに最初から最後まで縦断する必要もないわな。


「ちなみにその時の友達はみんな女子ですよ」


「聞いてないがな」


「気になりませんか?」


「今こうして一緒にいられるならそれでいい」


気にしないというか気にしたくないというか、どちらにしろそういう話を気にしても楽しい気分にはならないだろう。


「そうですか」


「気にしてほしかったか?」


「んー、やっぱりいいです」


なんて話が締まると、ちょうどいいタイミングで声をかけられた。


「あっ、こはる!」


見るとそこには三人組の女子。


服装は私服で見た目は高校生くらい。


おそらく小海の友達だろう。


「浴衣かわいー」


「手繋いでる!」


「大学生の彼氏さんだー」


とテンション高めのノリに若干気圧される俺。


「こんばんは、小海の友達かな?」


「はい!」


「結構背が高いですね!」


「こはるは教えてくれないんですけど、どこまで進んでるんですかっ?」


「こはるのどこが好きになったんですかっ?」


「今日もこのあとはお泊りですかっ?」


怒涛の質問にどれを答えればいいのかと悩むと、その前に小海があいだに入って遮った。


「ちょっとみんな聞きすぎ!」


「えー」


「だってー」


「だってじゃなくて!」


ということで三人まとめて小海に連行されていくのを見守る。


とりあえずはぐれない程度の距離を開けて、四人で話していた彼女たちが然程時間をかけずに戻ってきた。


「とりあえずそういうことです」


小海の言葉は要領を得ないが、まああっちで話しはまとまったんだろう。


なぜか小海の顔が赤いのが気になるけど。


「お邪魔しちゃってすみませんでした」


「いやいや、小海の友達と会えてよかったよ」


「それじゃ今度文化祭やるので、よかったら来てくださいね」


「あっ、連絡先交換してもらってもいいですか?」


「それはだめっ」


「えー」


最後まで賑やかに去っていった三人組を見送って後輩に向き直る。


「なんだかすみません」


「俺は連絡先交換してもよかったけど」


「だからそれはだめですっ」


だめだったらしい。




「はいよ、クレープ二つ」


屋台の店主に差し出されたクレープを両手で受け取ってストロベリーの方を後輩に渡す。


「こぼさないように気をつけろよ」


「わかってますよー」


浴衣がお幾ら万円するかは知らないが、ジャムでも落としたら普通の洋服より大変だろう。


「んー、甘くて美味しいです」


パクリと一口運んで頬を押さえる後輩に倣って俺も一口。


ブルーベリーのジャムと生クリームの味、あと生地のバター風味が口に広がる。


「うまい」


「ですねー」


嬉しそうに同意する後輩に、あーなんかこういうの良いなと思ってしまった。


いや別に悪いことじゃないんだけど、なんとなくこういう雰囲気に慣れないのだ。


「伊織先輩、クリームついてますよ?」


「んー、どの辺だ?」


「ちょっと待ってくださいね」


言って後輩が横から顔を寄せると、唇の近くをペロッと舐めた。


「……、お前なぁ」


「嫌でしたか?」


「嫌ではないが、公衆の面前だということをだな」


少なくとも、ところ構わずイチャつくようなバカップルにはなりたくない。


せめて自宅であれば、そこまで気にすることもないが。


「それよりほら、こっちも美味しいですよ」


差し出されたそれは、舐めとられたブルーベリージャムのかわりだろうか。


言いたいことはあるが、目の前に差し出されたストロベリーの鮮やかな紅色に負けて言葉を飲み込む。


「ん」


クレープをくわえると自分のものとは違う甘みが口に広がる。


そのおかげか、細かいことを気にする気がなくなっていた。


「小海も食べるか?」


「いただきます」


かわりばんこに食べさせあってその甘さに頬を緩ませていると、まるでカップルみたいだなと改めて思う。


まあ実際カップルなんだけどさ。


「伊織先輩、甘い匂いがしますね」


それは当然クレープを食べた口元からだろう。


今キスをしたら、きっとクレープの味がする。


ただし、お互いに甘味に溢れた口の中でその味を感じ分けられるかと言われれば疑問だが。


とにかく。


「舐めて確かめようなんてするなよ」


「わかってますよ」


先ほどの忠告を忘れてはいないと後輩が笑う。


「そういうのは帰ってからにしますね」


別に部屋の中でならいいと言ったつもりではなかったのだが。




祭りの雰囲気もいくらか落ち着いて、俺と後輩もそろそろ帰ろうかという雰囲気になる。


じゃがバター、焼きそば、クレープ、りんご飴の他にも、射的や金魚すくいなどをやって十分に満喫した。


「それじゃあそろそろ帰りましょうか、伊織先輩」


「そうだな」


結局今日は一日中手を繋いでいた後輩は、今は逆の手で水風船をポンポンしている。


後輩の家はここから数分、俺のアパートは更にそこから十数分。


並んで歩くと祭りの喧騒も次第に遠くなって、文字通り祭りの後といった気分になる。


そろそろ手を離してもいいかな?なんて思ったりもするのだが、後輩が何も言わないので繋いだまま、帰り道を歩いていた。


「今日は楽しかったですねー、伊織先輩」


「そうだな」


どちらかといえば食欲方面の満足度の方が高かったが、まあ楽しかったのは間違いない。


すっかり日も落ちて暗くなっていたが、肌を撫でる風はまだ生温い。


この時期だと深夜でも普通に涼しくならないしなあ。


当然俺より厚着な浴衣の後輩は平気なんだろうかと視線を向ける。


改めて見る浴衣姿の後輩はやっぱりかわいい。


俺には釣り合わないくらいだな、なんて感想は置いておくとして。


胸が大きいと着物は似合わないなんて言われるけれど、実際に見ているとこれはこれでと言った気分になってくる。


まあ認識が昨今の二次元コンテンツに毒されているのは否定しないけど。


そんな風に思っていると、偶然にこちらを見た後輩と目線が合った。


「ねえ、伊織先輩。お願いがあるんですけど」


「どうした?」


急な申し出に、特に考えることもなく答える。


「そろそろ名前で呼んでくれませんか?」


「あー」


正直そろそろそんなこと言われるかなと思ってたけど。


「嫌ですか?」


「嫌ではないが、ちょっと恥ずかしいな」


「じゃあやっぱり呼んでください。今すぐ」


「なんでだよ」


ツッコミを入れてみたが、俺の恥ずかしがる姿を楽しみたいだけというのはわかりきっていたので答えは求めていない。


あとついでに、この状況をうやむやにして誤魔化すことができないのもわかっていた。


なので観念して、名前を呼ぶ。


「こはる」


「はいっ、伊織先輩」


嬉しそうなのはいいんだけど、やっぱり恥ずかしいな。


まあ、いいか。


「こはるも"先輩"つけなくてもいいぞ」


「伊織、さん?」


あー、凄く良い。


なんかツボに入ったわ。


新婚夫婦みたいでいいよね、さん付け。


「んー、やっぱり伊織先輩でいいです」


「えー」


なんて不満を表明しても結局こはるは再びさん付けで呼んではくれず、彼女の家についてしまった。


「それじゃあ、今日は楽しかったです伊織先輩」


「俺も楽しかったぞ」


「……」


「ん?」


その意味深な沈黙に疑問の表情を浮かべる。


「名前呼んでくれるの待ってるんですけど」


「やだよ恥ずかしい」


「だから聞きたいんじゃないですか」


わかりきった問答だが、待ってても家に入る気はなさそうだったので観念した。


まあ浴衣姿の後輩に免じておこう。


「おやすみ、こはる」


「はい、おやすみなさい、伊織先輩」


なんて返事するこはるは、今日で一番嬉しそうだった。




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更新大変お待たせしました。


後輩ルート、次回最終回になります。

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