21.元彼女(後)
「生坂くん?」
富士見さんの長くて綺麗なストレートの黒髪はあの頃から変わってなくて、普段は柔和な表情をしているのだが今はそれにぎこちなさがある。
まあしょうがないか。
実家からさほど遠くない大学だけあって高校時代の同級生も少なくなく、彼女も同じ進学先だと知ってはいたのだがこんなところで遭遇するとは予想していなかった。
ちなみに俺も、彼女と同じくらい微妙な表情になっていると思う。
そうかー、テニサー所属だったのかー。
勉強にもスポーツにも真剣でテニサーなんて響きが似合わない彼女だけど、そもそも女子だけで規模も控え目ながら真面目にサークル活動してるほうのテニサーらしいのでおかしくはないのか。
風評被害で先入観を持つのはよくないね。
ちなみにうちの大学のヤリサーはフットサルと演劇サークル。
バンドサークルは全体的に男ばっかりで比較的平和。
あと定期的に漫研の類のオタク系サークルがサークラに破壊されて消えては生まれて、また消えてを繰り返しているけど今は関係ないか。
「大学で会うのは初めてだね」
話しかけられて、距離感をどう測ったものかと悩んだが諦めた。
そもそも女子と器用に会話できるほど、トークにスキルポイント振ってねえんだ。
「学部違うしな」
学部が違えば生息地域が違うので、同じ大学に通っていてもほとんど顔を会わせる機会がない、なんてこともある。
共通の講義もあるからそっちで一緒になる可能性も無くはないけど。
ちなみに会うのが初めてという部分には、見るのは初めてじゃないという叙述トリックが含まれているのだが、わざわざそれを言葉にしたりはしない。
「とりあえず中入るか」
「うん」
流石にこんなところで立ち話もなんだし、それ以上にこんなところで二人きりという状況に困る。
連れだってラウンジに戻るとさっきまでよりもアルコールゲージが上昇していて、どのグループも盛り上がっているのが分かった。
「どっか合流する?」
聞くと富士見さんがううん、と首を横に振るので近くの席に腰掛ける。
俺もあの盛り上がってる連中の輪に混ざりに行くの若干面倒だなと思ってたので助かった。
「はい、コップ」
「うん、ありがと」
コップを渡して缶を傾けると、そんなに強くないアルコールが注がれていく。
3年前に振られた元彼女と(1日だけだけど)楽しくお喋りできるようなスキルは獲得していないのでとりあえず酒で誤魔化す作戦だ。
あわよくば酔い潰してしまえば、そのまま誰かにベッドまで運んでもらえばいい。
飲み会なんてそんなもんである。
「富士見さん、テニスサークルだったんだね」
「うん」
「サークル楽しい?」
「楽しいよ、練習は大変だけど」
「そういえば富士見さん高校の頃も運動部だったっけ」
「うん、バレーはもうやめちゃったけど。あっ、でも体育の授業はバレー取ってるよ」
そういえば体育祭でもバレーやってたななんて思い出す。
「生坂くんはサークルは?」
「俺は何もやってないかな。引きこもり一直線って感じ」
「でも大学は来てるでしょ?」
「大学には来る引きこもりかな」
「なにそれ」
と可笑しそうに富士見さんが笑う。
やっと柔和な表情が見れた。
こっちが彼女の本当の表情。
「単位ちゃんと取らないと半引きこもりにもなれないからね。大学生も大変だよ」
なんて社会人に聞かれたら殴られそうだが今は大学生だからいいのだ。
それに進級に必要な単位を取れていない人間というのが少なからずいるのが大学という場所なので、留年していないだけで最底辺ではないのだ。
下と比べても意味ない?
アッハイ。
「富士見さんは単位はどう?」
「このままなら三年には卒業分の単位は取れそうかな」
「すっげ」
四年にならないと取れないいくつかの講義を除いて、頑張れば三年時までで卒業OKの数まで単位数を取ることはできるのだが、当然四年想定のものを三年に短縮するので相応の労力が必要になる。
逆に言うとそれができれば最終的に週一登校まで簡略化できたりもするんだけど。
ちなみに俺はこのままだと四年になってもまじめに大学に歩いてくる必要がある。
あー、誰か俺の代わりに単位取ってくんねえかな。
「生坂くんは単位取れてる?」
「俺は朝起きるのが苦手だから」
「生坂くんらしい。高校の時もたまに遅刻してきてたもんね」
「それは忘れてくれ」
大学になった今だからこそ、朝は出勤しないという選択肢が取れるようになったのだが、当然高校生に重役出勤など許されないので結構面倒だったのだ。
「このままだと私が先輩になっちゃうかも?」
「富士見先輩、過去問見せてくださいよー」
「ふふっ、だーめ」
なんてコントをして二人で笑うと、高校の頃に戻ったような気分だ。
「なんだかこういうの懐かしいな」
今は大学生活を謳歌しているけれど、それはそれとして青春といえるような少し甘酸っぱい高校生活も実在していたわけで、どちらがいいと比べる訳でもなく懐かしい気持ちになることもある。
そんな風に意図せず漏らした言葉が、地雷を踏んでしまった。
ふっと、富士見さんの表情が曇る。
「あの時は、ごめんなさい」
あの時というのは言うまでもなく、俺が告白されて一日で振られた時のことだろう。
「気にしてないよ」
それは本心で、当時はショックというより狐につままれたような気分だった。
今はむしろ人の心は案外気まぐれだという体験が、結構そのあとの人生で役に立っている。
例えば「今夜連絡するね」と言われてからずっと連絡がなくても、まあそんなこともあるだろうと思えるようになった。
なんて俺の気持ちは十分には伝わってはいないようで、富士見さんの表情はまだ固い。
「生坂くんにいいよって言ってもらえて本当に嬉しかったの」
「うん」
あの時は富士見さんから告白されて俺がそう返したんだよな。
今思えば随分雑な答えだけど、当時の俺にはそれが精一杯だったのだ。
「だけど、うちに帰って、生坂くんと恋人になったんだと思って、急に不安になって。受験もあったし、うちのことでもゴタゴタしてて、やっぱり無理なんじゃないかって。生坂くんに迷惑かけて、最後には嫌われて、やっぱり別れようって言わせることになっちゃうんじゃないかって。だから私……」
一日で振られたときはそうはならんやろ、って思ったりもしたが、こうやって聞くとなるほどそういう事情もあったのかと納得できる気がしてくるから不思議だ。
まああの失恋で俺が本気でショックを受けていたなら、そんな言い訳を聞いても納得はできなかっただろうし信じる気にもならなかっただろうけど。
今は俺よりも富士見さんの方がよっぽどあの時のことに心を重くしているのがわかった。
人の心って不思議なもんだな。
とにかく、これ以上後悔されてても困るので、誤解は解いておこう。
「あの時のことは全然気にしてないから、富士見さんも気にしなくていいよ」
「本当……?」
「ほんとほんと。それよりもやっぱりよく見たら顔が気に食わないから振られた、とかじゃなくてよかったよ」
「そんなことないからっ」
おおう。
「ごめんなさい……」
さっきまで以上に富士見さんがシュンとしてしまった。
バッドコミュニケーション!
富士見さんのテンションゲージが下がった!
もうこの話題はどの方向に転がそうとしても地雷踏む気がする。
ということで、話題を折ろう。
「じゃあ仲直りの乾杯」
自分のコップに酒を注いで、次いで富士見さんにも注ぐ。
「ほら、コップ持って」
「うん」
「それじゃあ、乾杯」
「乾杯」
別に仲違いをしていたわけではないのだが、無理やりまとめてこの話はお仕舞い。
それからいくらか酒を飲めば、段々とぎこちない空気も消えて昔話に花が咲きはじめる。
まあ昔話って言っても二年か三年程度前の話だけど。
「そういえば知ってる?山田くん結婚したんだって」
「え?あいつ大学進学したでしょ?」
「うん、だから学生結婚」
「へ~~~」
高校時代の知り合いとはほとんど連絡を取らない駄目人間なので、富士見さんの同級生トークは何が出てきても新鮮だ。
「そういえば文化祭の当番で同じ組だったなー」
「私と凛ちゃんもね」
「そうだったそうだった。焼きそば鬼のように焼いたよな」
「ふふっ、懐かしい。凛ちゃんがナンパされて大変だったよね」
「山口さん(凛ちゃんの名字)今どうしてる?」
「元気に大学生してるって、この前恋人ができたって嬉しそうにしてた」
「青春だ、羨ましい」
そんな風に俺が羨むと、富士見さんに思い出したように聞かれる。
「伊織くんって阿智さんと付き合ってるの?」
「げふっ、げふっ」
「だ、大丈夫?」
「急に変なこと言うなよ」
当然付き合ってはいないわけだが、その質問自体が予想外すぎて咳き込んでしまった。
勢いで酒を吹き出さなくてよかったわ。
「そっか、付き合ってないんだ」
「あいつとは(大学でも)たまに話すけど、恋愛対象としてみたことは一度もないからな」
本当は毎日くらいの勢いで家に来てるけど、なんて本当のことは言わない。
「そもそもなんでそんな誤解が生まれたんだ」
「一番仲良さそうだから」
「正しくは、あれが一番仲が良さそうに見えるくらい俺と女子に接点がない、だな」
大学じゃさほど話さない葵よりも、更に他の女子と話す機会がレアだというそれだけの話。
……、言ってて悲しくなってきたわ。
積極的に彼女が欲しいとは言わないが、それはそれとしてかわいい女子とイチャイチャはしたいんじゃー!と心の中で叫ぶ。
虚しい。
「ねえ、生坂くん」
「んー?」
富士見がコップを置くと、代わりにスマホを取り出してこちらに寄せる。
「それじゃあ私と連絡先、交換してくれる?」
なにが”それじゃあ”なのかはわからないが、断る理由は思い浮かばない。
かわいい女子の連絡先が増えるなら大歓迎だ。
まあそれが活用されることはほぼ無いのだが。
とりあえず連絡先交換して、それから一度も使わない大学生あるある。
え?俺だけ?
うっそだぁ。
なんて思いながら、スマホをだしてテーブルに置く。
「よろしくおねがいします」
「こちらこそ、よろしくおねがいします」
お互いに座ったまま一礼。
なんだかお見合いみたいだ、なんてお互いに笑い合う。
こうして俺のスマホに入っている数少ない女子への連絡先が一件増えた。
「生坂、なにナンパしてんだよ」
それからもうしばらくして、グループから抜けてきた佐藤に肩を組まれる。
こいつ酒くせえ!
なんて思いながら肩組みを外して、富士見産に笑う。
「ナンパしてるように見えたって」
「生坂くんにナンパされちゃった」
あれ?
反応が満更でもなさそうだぞ?
と勘違いしそうになったけど、きっと気のせいだなと思い直す。
そんなにホイホイフラグが立つわけないじゃないですか、ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから。
「とりあえず二人ともこっち来て飲もうぜ」
「どうする?」
聞くと富士見さんがにっこりと微笑む。
「行こっか」
「了解」
「お二人様ごあんなーい」
こうして気付けば、俺はセミナーハウスに一泊していたのだった。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
ということで、長くなりましたが元恋人のお話でした。
次回は後輩、もしくは女友達の話です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます