14.後輩と勉強と

「伊織先輩」


「んー?」


「お願いがあるんですけど~」


いつものようにバイト先。


あとから休憩室に入ってきた後輩がニコニコしながらそんなことを言う。


後ろ手に持ったものは身体に隠されていて見えないが、まあそんなに面倒なことにはならなそうかな。


「どうした?」


「勉強教えてくださいっ」


やっぱめんどくせえな。


「小海何年だっけ?」


「二年ですよ」


「まあそれなら」


どうにかなるかな。


まだ夏だし。


これが冬くらいになってくると怪しいかもしれないが。


そもそも大学生が高校生より勉強ができるなどとは思ってはいけない。


「じゃあ休憩中に終わる範囲でな」


「ありがとうございますっ、伊織先輩」


嬉しそうに後輩が横に座ると、身体を寄せる。


「それでここなんですけど」


言って指されたのは数学の教科書。


つーか近い。


距離が近い。


もっと言うと顔と胸が近い。


胸とか肘に当たりそうだし。


「どうしました?伊織先輩?」


「なんでもない」


小海が心底不思議そうな顔をしているのが演技でなければ、無意識の行動のようで別の意味で心配になる。


「それでどこだ?」


「ここですここです」


あー。


はーん。


ふーん。


まあギリかな。


「つまりここをこうしてこう!」


と解いた問題を後輩に教えつつ、こっそりと間違っていないか確認する。


多分大丈夫そうだ。


「なるほどー」


って後輩も言ってるしな。


その反応がチェッカーとしてちゃんと機能しているかは疑問が残るが。


しかし俺のそんな内心とは無関係になぜか後輩は嬉しそうだ。


「伊織先輩って優しいですよね」


「そんなことないだろ」


「ありますよ」


自覚はまあ、無くはないが。


「でもどうしてそんなに優しくしてくれるんですか?」


「実はな、小海は俺の妹に似てるんだよ」


「えっ、本当ですか!?」


「いや、嘘だけど」


「え?」


「え?」


不思議そうな顔をした後輩が、そのまま静かに眉を上げる。


「……、怒りますよ」


だって後輩がかわいいから優しくしてるなんて言えねーしな。


うん、この話はやめよう。


「小海は志望校とかあるのか?」


二年の夏なら志望校を決めるには遅くはないが早くもない。


「ありますよ、A大です」


「俺の大学と同じ名前だな」


世の中珍しいこともあるものだ。


「ずばり伊織先輩の大学ですよ!」


「えっ!?」


予想外すぎて普通に驚いてしまった。


よく考えれば俺がバイト先に選ぶ距離だし進学先の候補としては妥当な流れなのかもしれないが。


「なんですか、私の学力じゃ足りないと思ってるんですか」


「いや、そういう訳じゃないが」


「じゃあ私が後輩になるのが不満なんですか」


「そういう訳でもないが」


強いて言うなら実家から通える距離の大学行ってもなんも面白くなくね?と思うのだが人それぞれか。


「まあ、応援してるよ」


「ほんとですか?」


「そんなところで嘘言ってもしょうがないだろ」


「伊織先輩どうでもいいことで嘘つくじゃないですか」


さっきみたいに、と言われれば反論できねえ。


「応援してる」


「じゃあ入学出来たらお祝いしてくださいね」


「考えとくわ」


「やたっ」


まあそれまで後輩と交流があるかもわからないが、一時的にモチベーションが上がるだけでも十分だろう。


「小海は大学入ったらやりたいこととかあるか?」


「やりたいことですか?」


「そうそう、目的があるとやる気が出るだろ」


「なるほど。やっぱり一晩中カラオケしてみたいですね」


「あー、それくらいなら毎日のようにできるぞ。なんなら研究室がカラオケボックスみたいになってる所もあるしな」


「そんなの許されるんですか!?」


「実在しているし誰にも注意されてないという意味では許されてるな」


まあカラオケは珍しくても、研究室にゲーム持ち込んで毎晩出入り自由のゲーム大会になってるような所ならいくらでもあるしな。


「大学って自由なんですねー」


「ちょっとは楽しみになってきたろ」


「はい」


ということで、小海のやる気ゲージがいくらか上がったようなので俺のお仕事は終了。


「じゃあ勉強頑張らないとな。ほら」


「はーい」


俺が手でスッと目の前に寄せると、再び後輩は教科書に向かった。




「ありがとうございましたー、伊織先輩」


「どういたしまして」


「それにしても、伊織先輩ってちゃんと大学生なんですね」


「俺がちゃんと大学生してるかはともかく、三年の範囲は期待するなよ」


そもそも教科によっては二年の範囲でも怪しい。


そしてそんな俺より学力も記憶力もヤバい奴が大学には沢山いる。


大学生ってなんだろうな。


いやもちろん、ちゃんと学生の本分に従って勉学に励んでいる大学生もいなくもなくもなくもないが。


少なくとも俺の周りには極少数で、サークル活動に励む者、飲み会に命を懸ける者、趣味に傾倒する者、合コンの為に生きる者と、多種多様なダメ人間の方が圧倒的に多い。


類友だろとは言うな。


あと真面目にサークルやってる奴や趣味を特技まで昇華させている奴もいるので全部が全部ダメなわけでもないけど。


更に数えるほどだが彼女持ちもいるな。


「伊織先輩は彼女とかいないんですか?」


「いるように見えるか?」


「いないようにも見えませんけど」


こりゃ一本取られた。


大抵こう返したら彼女いないと納得されるもんだが、後輩にそんな安易な返しは通用しなかったらしい。


「当然いないぞ」


うちにドラえもんみたいな奴ならいるけどな。


よく考えたら俺が彼女作ったらドラえもんには帰ってきたドラえもんしてもらわないといけないんだな。


それはそれで寂しいような……、いやそうでもねえな。


「彼女とか作らないんですか?」


「んー、それは難しい質問だな」


俺はこれまで約20年生きてきて、三度失恋したことがある。


一度目は中学の頃。


優しくてよく話しかけてくる女子に告白して玉砕したこと。


あの時は本当にあの子が俺を好きだと信じて疑わなかったから、断られたとき天地が崩れるかと思った。


あれ以来、俺に優しいように見える女子は、実はみんなに優しい女子なんだという現実を知ったんだった。


二度目は高校の頃。


放課後に同級生に告白されて意気揚々と彼女持ちになったら、翌日の朝にフラレて非彼女持ちになった。


あの時は友人たちに幻覚でも見たんだろって言われて信じてもらえなかったんだよな。


あれ以来、女子の気持ちはよくわからんとずっと思っている。


三度目は……、まあいいか。


とにかく三度の失恋で知ったのは、恋人を作るのは難しいということ、恋人と恋人同士でいることはもっと難しいということ、そして女子の気持ちはよくわからないということ。


まあじゃあ男の気持ちなら分かるのかといえばなんでも分かるなんては言えないけれど。


どちらにしろ女子と付き合える気がしないんだよな。


流石に未来永劫独身を固く心に誓っているわけではないけど。


それとは別に、そもそも彼女作ってどうすんのって話はある。


遊ぶ?ごはん食べる?一緒にいる?


それ彼女じゃなくてもよくね?


なんなら葵とほぼ毎日やってるし。


旅行する?


俺旅行とか別に好きじゃないんだよな。


なんなら二ヶ月の夏期休暇で一言も人と話さなくても平気だったし。


今は葵がいるから変なことになってるけど。


キスする?セックスする?


そりゃまあ出来ることならしたいけど、それだけのために彼女作っても絶対すぐ別れるでしょ。


いや、すぐに別れるとしてもとりあえずセックス出来ればアドは取れるか……。


なんて流石に最低すぎるわな。


そんな赤裸々な心根を素直に吐露したりはしないけれど。


今のところは予定はない。


つーか、そもそういう相手もいないんだけどな。


「ってことだ」


「どういうことですか?」


後輩が不思議そうな顔をする。


俺の脳内モノローグは後輩には伝わってなかったらしい。


当たり前か。


まあ元から説明する気もないしな。


「俺にそういう予定はない。小海はどうなんだ?」


都合の悪い質問は同じ質問を聞き返して誤魔化すに限る。


「私も今のところ予定はないですね~」


「なら一緒だな」


まあ小海は普通にモテそうだから、相手がいなくて作らない俺とは別次元の話だろうけど。


「じゃあ伊織先輩は、もし今女子に告白されたらどうします?」


「そんなの相手によるだろ」


主に顔とか性格とかおっぱいとか。


いや、個人的には巨乳至上主義者な訳でもないけど。


「じゃあ可愛くて性格も良い子ってことで」


そんな相手が俺を好きになる分けねーだろ現実を見ろと言ってやりたいが、言っても話が進まないのはわかるので黙っておく。


「それを聞いてお前はどうするんだよ」


「んー、別に伊織先輩がどう応えるか興味があるだけですよ?」


つまり面白半分か。


いや面白10割かな。


「そうだな、……ナシじゃないんじゃないか」


ここで否定すると面倒なことになる気がしたのでそう答えておく。


いや、本当に。


ローマの休日やってた頃のオードリーヘップバーンくらいの美人に告白されたらナシじゃないぞ。


「なるほどなるほど」


「何がなるほどなんだ」


うんうんと何かを納得している後輩は人の話を聞く気配がない。


もう面倒くさいからスルーでいいかな……。


「伊織先輩にもそのうち可愛い彼女ができるかもしれませんよ」


「根拠のない励ましを言うな」


逆に虚しくなってくる。


「本気で言ってるのに」


後輩が不満そうな顔をするが、重要なのは後輩が本気で思っているかじゃなくて、俺を好きな相手が居るか何だよなあ。




「んあ、そろそろ戻るか」


気付けば休憩時間は終わりかけていたのでそろそろまた勤労意欲を上げていかないといけない。


「勉強ありがとうございました、伊織先輩」


「どういたしまして」


個人的に善行に喜びを見つけるタイプではないが、かわいい後輩に頼まれたなら手伝いくらいはやぶさかではない。


ま、それも暇潰しの範囲内でだけどな。


なんて内心ツンデレをしながら休憩室を出る。


「お疲れさまです、生坂さん」


「おつかれー」


と丁度入ってきたキッチンメンと交代で持ち場に戻った。




★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


次回は葵と試験勉強です。(予定)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る