音楽探偵、五泉響の推理

星雷はやと

〜親友からの調べ〜




 校内のチャイムが帰宅を告げる。


 各々、部活や帰宅をするべく足早に教室を出る。僕はランドセルを背負い、重い足取りで昇降口へと向かった。


「……はぁぁぁ……分からない……」


 通学路を歩きながら、溜め息を吐いた。


 梅雨の独特な湿度を含んだ天気が、僕の憂鬱な気分を助長させる。僕をこんな気分にさせている原因は、親友からの手紙だ。親の海外赴任の為、海外の小学校に転校した親友である。

 その親友から一昨日手紙が届いた。彼からの手紙は珍しくない。それに連絡を貰えるのは嬉しい事なのだ。

 しかし、今回は素直に喜べなかった。そう今回は手紙以外に、オマケが付いてたのだ。


 画用紙に書かれた、8小節の楽譜である。


「何なんだよ……健ちゃん」


 ズボンのポケットから、楽譜が書かれた画用紙を取り出し広げた。

 八小節の楽譜には所々音符の横に、□と●が付いている。そしてそれは□=平たい魚、●=顔を隠した人、▲=小さな丘の下に点の絵が隅に描かれている。


 何度見ても分からない。


 ピアノを習っている姉に見せたが、首を横に振るだけだった。この謎の楽譜の事を考え、僕は日々鬱屈とした気分を抱えている。

 転校し親友の考えている事が分からなくなった。物理的にも心の距離も遠く離れてしまったようだ。


 異国の地に居る、友の名前を呼ぶ。


「……あ、ここは……」


 不意に聴き覚えのある旋律が鼓膜を揺らした。顔を上げると、姉が通っているピアノ教室の洋館があった。きっと先生が演奏しているのだろう。

 滑らかに奏でられる音達が、僕の気持ちを少しだけ軽くしてくれる。


「おや、お客様かな?」

「え!?」


 不自然に曲が途中で途切れた。すると玄関ドアが開いた。そして明るい茶色の髪に、ワイシャツにベストを着た男性が現れた。五泉響ごせんひびき先生だ。


「私に用事があるんだよね? 今は他に生徒さんも居ないから入って」

「えっ……はぃ……お邪魔します……」


 彼は柔和な笑みを浮かべると、家へと招き入れる。断る事も何も告げず逃げ帰る事も出来たが、その選択をする気にはならなかった。

 小学五年生の僕には、専門家の手助けが必要だと思ったからだ。


「島田さんの弟の陽介ようすけくんだね! 久しぶりだね、元気にしてたかい? 紅茶よりもジュースが良いよね? 林檎りんごジュース大丈夫かい?」

「え、えっと……あ、はぃ……」


 部屋に通されると、僕はソファーに座り周囲を見渡す。

 洋風な外観と同じく室内にはカーペットが敷かれ、レースのカーテンが部屋を優しく照らしている。奥には彼の漆黒しっこくのグランドピアノが鎮座ちんざし、まるで映画で出てくる西洋の一室のようだ。

 先生は突然の来訪にも楽しそうである。僕はその事に、戸惑いながらも答えた。


「はい、林檎ジュースだよ。お代わりして良いからね。……ん? もしかして私が君の事を知っている事を不思議に思っているのかい?」

「……はい、だって……一度しか会ってないし……」


 目の前にグラスに注がれた、林檎ジュースが置かれた。先生は向かい側のソファーに腰掛け、トレーからソーサーとカップを手に取った。

 しかし、僕がジュースに手を付けない事に首を傾げた。そして思い当たった事を口にし、僕は頷いた。五泉先生に会ったのは、姉の迎えに母と一緒に一度訪れただけだ。


 じっと先生を見上げた。


「人の顔を覚えるのは得意だからね。それにランドセルに付いている給食袋に、名前が刺繍ししゅうされているから間違いないよ」

「えっ!? あ! 本当だ!」


 彼がカップをソーサーに戻すと、僕のランドセルを指差した。僕はその指を追うように視線を動かす。ランドセルの側面にあるナスカンに付けられた給食袋には、僕の名前が刺繍されていた。

 普段は気にした事も無かった。記憶が得意だと語るが、彼はそれだけでは無い気がする。


「君が私を訪ねてくれた理由は、そのポケットの中身かい?」

「……っ、はい。僕じゃ分からなくて……お願いします……」


 五泉先生はセンターテーブルに、ソーサーに乗ったカップを置いた。そして僕の訪問理由を、笑顔で言い当てた。姉から先生はハーフだとは聞いていたが、その青い瞳が全てを見通しているかのようだ。


 僕は画用紙を取り出し、五泉先生に差し出した。


「ありがとう。……うんうん、ふむふむ……」

「…………」


 彼は両手で画用紙を受け取ると、興味深気に楽譜を読み始めた。僕は手持ち無沙汰になり、グラスを手に取りジュースを口にした。


「うん、面白いね! 発想が素晴らしい!」

「……え……? 先生? もしかして、分かったんですか!?」


 時間にして5秒ぐらいだっただろうか。先生が画用紙から視線を上げ、無邪気に笑った。確かに彼に助けを求めた。

 しかしこんなに早いとは思わなかった。驚きと喜びで、僕は大きな声を出した。


「嗚呼、 君の親友は面白い事を思いついたね」

「……なんで……親友だって……」


 続けて彼は楽譜の送り主が、親友である事を見抜いた。先生と会ったのは一度きりで、親友の話をした事は勿論ない。見せた画用紙が送られた物である事も告げていない。更に言えば、親友の名前なんて画用紙に書いてない。

 それなのに何故、五泉先生は『親友』だと知り得たのだろう?僕はいぶかに先生を見た。


「それについては追々、説明をするよ。先ずはこの楽譜のメッセージを解説しよう!」

「…………はぃ」


 彼は僕の疑問にそっと微笑むと、スケッチブックを取り出しペンで何かを描き始めた。

『親友』への解答が得られない事に対して、不服であるが楽譜の謎を知りたい。不貞腐ふてくされながらも頷いた。


「先ずは、音には名前が付いている事から説明をするね」

「音って……ドレミですよね?」

「よく知っているね! そう、ドレミファソラシドはイタリア語での音名だよ」

「……イタリア語」


 くるりとスケッチブックを反転させ、五線譜に書かれた1オクターブの音符を見せた。僕の解答を聞き満足そうに頷くと、彼は音符の下にドレミと片仮名で記入する。

 姉の影響で音に名前が付いているのは知っていたが、まさか外国の言葉とは思わなかった。


「じゃあ、日本語での音名を知っているかな?」

「……え……ドレミ以外に? あるの?」


 イタリア語の驚きに続き、次は日本語での音階があると彼は笑った。思わず敬語を忘れ、首を傾げた。


「うん! あるよ。ハニホヘトイロハという日本語の音名がね」

「はに……ほへと……いろは……」


 再び先生はドレミの下に、日本語の音階を対応させる様に書き足した。僕は聞き覚えはないけれど、何処か口ずさみやすいその言葉を復唱ふくしょうした。


「さて! 日本語の音名が分かった所で、この楽譜の登場だよ。音符と呼応する音名を書いてみて、左側に絵が付いていない所だけでいいからね」

「……っ、はぃ……」


 飲み物が横に移動され僕の前に、親友からの手紙と先生が書いたスケッチブックが並べられた。先生から鉛筆と画用紙を受け取ると、無意識に唾を飲み込んだ。


「えっと……ここは……」


 彼にに言われたように、楽譜とスケッチブックを見比べながら画用紙に分かった言葉を書く。


 楽譜の始まりの音はドで、日本語では『ハ』になる。隣りの音はシで『ロ』。その音の上に描かれている、▲=小さな丘の下に点の絵は分からないので行間を取り次へと進む。

 2小節目は左側に絵が全て付いているので、考えずに飛ばした。

 そして3小節目の1音目が、レで『ニ』。2音目がミで『ホ』。3音目は絵が付いているので飛ばし、4音目がファで『へ』。

 それから6小節目の最後の音がレで『ニ』だった。


「おお! 凄いね! 出来たね!」

「……でも、これだけで……」


 五泉先生は僕の画用紙を覗き込むと、笑みをこぼした。喜ぶ彼とは逆に、僕の気持ちは晴れない。


 何故なら僕が分かったのは、1・3・6小節の少しだけだった。残りは音符の左側に絵が付き、読み解くことが出来なかったのだ。


「焦らない、焦らない。1小節目のシであり『ロ』の上にある▲はすみにある絵、つまりフェルマータ記号を示しているんだ。この記号は、音符の長さを延長……伸ばす役割りがあるんだ」

「伸ばす……えっと……『ハロー』?」


 彼は穏やかに微笑ほほえむと、先ほど分からなかった▲の絵を指差しその役割を教えてくれる。

 つまり『ロ』の音を伸ばす事だ。僕は伸ばし棒を記入し、前の音と繋げて声に出した。何故日本語の挨拶ではないのだろう?


「そう!正解!始めから記号をつけると法則と音楽性が分かりにくいから、敢えて『ハロー』にしたんだろうね」

「……はぃ……」


 ヒントによってやっと1小節が解けた。その事に達成感が込み上げてくる。そして僕の疑問にも先生は答えてくれた。

 今度は五泉先生のめ言葉に小さく返事を返した。


「じゃあ、次はこの音符の左側にある記号だね。音楽記号でも音を上げ下げしたりするのに、臨時記号を使うんだ」

「あげさげ……あ! 知ってます! シャープとフラット!」

「正解! では……そのシャープとフラットを日本語では何と言うか分かるかな?」

「……え……あげる、さげる……じゃないんですか?」


 臨時記号と言われ、姉が言っていた言葉を思い出し自信満々に口にした。すると先生はその記号達に日本語があると語る。その事実に驚愕きょうがくした。


「確かにその方が分かりやすいね。半音音を上げるシャープは『嬰』、半音を下げるフラットは『変』と呼ぶんだ」

「……えい……と……かい……あれ? もしかして!!」


 彼の説明を聞き再び楽譜を見る。すると音符に描かれている絵の意味が分かった。


「何か分かったかな?」

「はい! この平たい魚はエイだから『嬰』で、顔を隠した人は変だから『変』です! つまり『嬰』が□、『変』が●を表しています!」

「お見事! 次はこれの出番だね!」

「……平仮名の表?」


 絵の意味と日本語の音名が結び付いた事、楽譜の隅に描かれていた□と●の事を先生に報告する。彼は頷き大きな紙を卓上に広げた。それは年季の入った平仮名の一覧表だった。


「うん、それとこれ」

「……チェスですか?」

「そうだよ。日本語の音名に黒い駒を置いてごらん」

「……えっと、ハ……ニ……ホ……へ……ト……イ……ロ……」


 更に先生は黒い箱を取り出し開けた。中には黒と白のチェスの駒が並んでいる。彼の指示に従い、平仮名一覧表の該当がいとうする位置に黒い駒を置いた。


「出来たね。『嬰』と『変』は本来なら半音での影響を表すけど、君の親友はこの表の、ひとマスの上下として書いたんだ。絵の数は上下の数を表しているよ」

「ひとマスの上下……」


 黒い駒が置かれ上下のマスを其々指で叩いた。『嬰』の□がひとマス上がり、『変』の●がひとマス下がるという事だ。


「うん。例えば3小節目の3音目はシの音で『ろ』を起点とする。そして●が5個描かれているから、『変』で5マス下がる事が分かる。つまり『ん』を示して居るんだ」

「えっと……繋げると……『に・ほ・ん・へ』?」


 先生は白い駒を手に取ると、先ずは黒い駒が置かれている『ろ』に置いた。そこから5つ下がると説明をしながら、ひとマスずつ下がり5つ目の『ん』のマスに白い駒を置いた。3小節を繋げて口にした。


「正解! その法則通りに読み解くんだ。チェスの駒は好きに使ってね」

「……え……。1人で……ですか?」


 説明は終わったとばかりに、五泉先生はティーカップに紅茶を注いだ。その事に僕は動揺した。急に手助けを失い心細く感じたからだ。


「大丈夫、君なら解けるよ」

「……はい、やってみます!」


 優しく微笑む彼の瞳は、僕がこのメッセージを解ける事を確信しているようだ。彼から沢山ヒントをもらった。それに信じてもらっている。僕は鉛筆を持ち直した。


「えっと……2小節の1音目はシの音だから『ろ』で□が5つだから、5つマスを上がった『よ』で……4小節目は……●が……6小節目の……」


 僕の独り言と、チェストの駒を動かす音。鉛筆の削れる音が室内に響いた。


「出来たようだね」

「はい!!」


 どれくらいの時間が経っただろう。最後の文字を書き終えると同時に、先生がティーカップをソーサーに置いた。こういうタイミングまで彼は知っていたようだ。僕は解読した言葉を書いた画用紙を彼に渡した。


 解読内容はこうだ。


 はろー

 ようすけ

 にほんへ

 かえるよ

 あえるのを

 たのしみに

 してる

 けんた


 手紙には書かれていなかった、親友の帰国を告げるメッセージだった。


「うん! 凄いね! 1人でも出来たじゃないか!」

「あ、ありがとうございます……でも先生に手伝ってもらったからで……」

「先に生きている者が、新しい命に知識を貸すのは当たり前だよ。それに君は僕を頼ってくれた。人に助けを求める勇気は素晴らしいものだよ」


 画用紙に目を通すと先生は穏やかに笑った。彼からの賛辞さんじに、僕は何と答えて良いのか言葉が見つからなかった。

 ただ先生の元を訪ねて良かったと思えた。


「……何で『親友』だって分かったんですか?」

「ん? 嗚呼、画用紙の書いた部分をなぞってごらん?」

へこんでます」


 初めの疑問を口にした。彼に言われるがまま、画用紙の字をなぞると深く凹んでいる事に気がつく。


「書いている時、どんな気持ちだった?」

「何て書いてあるのか知りたくて、必死でした」

「じゃあ、こっちも同じくなぞってごらん?」

「……沢山凹んでる」


 解読した文字を書いて居る時は必死だった。そう答えると、先生は楽譜を指差した。指示に従い触れるとこちらも深く凹んでいた。しかも文字が存在しない箇所もだ。


「そう彼もこのメッセージを考え描くのに必死だった。何度も描き直してね。こんなに心が込もった物を送る相手は『親友』しかいないだろう?」

「……っ、はい!!」


 五泉先生が何かを懐かしむように、目を細めて笑った。先生にも『親友』が居るのだろうか。僕は勝手に、心の距離が離れてしまったと思っていたが違ったようだ。込み上げてくる気持ちを、そのままに元気良く返事をした。


「あ! 夕焼け! 帰らないと!」

「本当だ。気をつけてね!」


 いつの間にか部屋はオレンジ色に染まっていた。僕は慌てて楽譜とランドセルを手に持ち玄関へと走った。


 すると玄関扉が開き、黒髪にスーツ姿の男性が入って来た。


「響、捜査協力を……。失礼、来客中でしたか」

「やあ、奏くん。大丈夫だよ」

「五泉先生。公私混同こうしこんどうは止めて頂きたい」

「相変わらず、お堅いね古守ふるす刑事は」


 僕の後ろから五泉先生が彼に話しかけた。その声は親しみを感じる音色だった。2人のやり取りは軽やかで柔らかい雰囲気を感じる。


「五泉先生、ありがとうございました! 健ちゃんに楽譜で返事を書きます!」

「それは良い考えだね」


 靴を履くと先生に感謝を述べた。そして男性の横を通り抜けると、振り向き__。


「僕も先生やさんみたく、ずっと仲良しが良いです!!」


 僕の推理と思いを叫んだ。


「おやおや」

「なっ!?」


 扉が閉まる瞬間。微笑む手を振る先生と、驚く『親友』さんの顔が見えた。きっとそれが答えなのだろう。


 大人になるのが楽しみだ。親友への手紙を書くため、晴れやかな気持ちで家へと駆けた。

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音楽探偵、五泉響の推理 星雷はやと @hosirai-hayato

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