64話からパス ブルーカラーコンプレックス

 かつてこの地は、世界中の富を独占した者たちが集う地上の楽園、薄汚い欲望にまみれた歓楽の街であったという。地上では、各々が持ち寄った乗り物に生きた人間を乗せて、誰が一番早いのか?誰が最後まで走り続けていられるのか?などと言う、極めて下らない疑問の元、金と命を秤に乗せた賭けが行われ。地下では堂々と人間や、絶滅の危機に瀕した希少生物たちが競売に掛けられ、日を跨ぐよりもずっと前にゴミのように捨てられた。流動分子固定装置りゅうどうぶんしこていそうち自然樹光触媒しぜんじゅひかりしょくばいの作用によって半永久的なリソースを得たこの街では、まさに、金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる。といった、潜在的な不快感を煽り立てる言葉がまさに適当な場所であり。それを地で行く腐った油を詰めたボトルの如き連中が悠々と闊歩する堕落した人間性の掃き溜めとも呼べる場所なのだ。

奴らがいったいどこに行ってしまったのか?それが、肝心だ。



 ソロモンは、携帯していたエクスプロイターの動力シリンダーをスライドさせて、中のミラーリングバレルの劣化具合を確かめた。本来ならば、先の作戦を最後に壊れるはずだったこのエクスプロイターは死んだ仲間たちの破格の献身によって辛うじて残り数発撃てる状態が保たれていた。


「何を泣いているのです?ソロモン」

「・・・」

「価値の無い。全く。全く、価値の無い行為です。いやはや・・・あなたには失望しましたよ」


背後からソロモンの肩に大柄の細く白い女のような手が乗せられて、金色に装飾された指先が順番に折りたたまれて衣服に食い込んだ。ソロモンは手にしていたエクスプロイターを元の位置へと戻し、慣れた様子でその手を払い落とした。


給料野郎インカマー。何の用だ」


専用の昇降機で単身この地を訪れたインカマーは、まさに王のような威風堂々とした振る舞いに戻ったソロモンに対して体を真っ直ぐに向けると一歩引き、その背中に向かって両手の爪の先を胸の前でそれぞれ寸分の狂いなく合わせ、頭を下げ、彼なりの最大限の敬意を表した。

彼の縦長の虹彩がゆっくりと開かれ、もはや作り物のように入念に装飾された口と喉と胸元が僅かに動く。


「この前お話した案件について、そろそろお返事頂けないかと思いましてね。焦らせるつもりはありませんが、あなたはが最も価値があるものだとご自分でもお気づきでしょう?無論、お仲間方も・・・とかく、生命というものは、刻一刻と醜く劣化し、その価値は・・・常に、安くなっていくのです。安く安く。無価値なものへと」


「・・・」


「あなた達、経済生物が生み出す利益は細やかではありますがなかなかの物です。塵も積もれば山となる・・・。最も、そうなるように仕向けたのは、この、わたくしなんですけどね。ですが・・・」


「・・・」


「一度。壊れてしまえば・・・ッパァン!・・・それでおしまいです。あなたの言葉で言う所の。という奴ですね。ふふ。ですから」


「・・・」


「あなたが、まず、皆さんに対して規範きはんを示すのです。無価値なものから価値を。焼けた文明からから宝石ジュエリーを。酸素から金を。つちくれから命を。死から現金キャッシュを。さながら、何万年も前に滅びた愚か者たちの叡智。『錬金術れんきんじゅつ』のように。貴方でしたら、勿論、おわかりですよね?」


下らない口上に背を向けて、それら全てが終わるのを待っていたソロモンは、それ以上、続く言葉が無いようなので、ようやく口を開いた。まるで、彼等すべてを代表するかのように。


「膨れ上がる価値は、やがて世界をい尽くす」


どのような宝石よりも美しい燃える瞳がインカマーを捕えた。彼は蛇に睨まれた蛙のように体を強張らせ、遺伝子の奥底に眠る生物的な感覚の一時的な目覚めに愉悦した。彼は汗ばむ指先をすり合わせて、まるで無駄だと思いつつも、目の前の人物にそれを悟られぬように口角をほんのわずか持ち上げた。


「もしそうなるとしても、排泄されたものから再び価値を生み出すだけですよ」


言い終える前に、ソロモンは再び背を向け、それ以上なにも語ろうとはしなかった。

インカマーは、再び彼の背後に寄り、今度は両方の肩に指先を喰い込ませ、耳元で囁いた。


「お金を請求するつもりはありません。あなたが今日死ねば、ゴンドラ300。明日死ねば278を用意しましょう。あなたが特別目をかけている方々も、勿論同様に扱いますよ?わたしはあなたの死やあなたの素晴らしいお仲間たちの死が役立たずのに終わってしまうのがどうしても我慢できない。ただ、それだけなのです」


マーケットに訪れていた最後のゴンドラが上昇を始めた。

それと、すれ違うようにいくつものゴンドラがゆっくりと降下を始めていた。二人はその様子を視界の隅で捉えていた。


「そうでした。じきに業務が始まります。そろそろ失礼させて頂きますよ。あなた方と違ってわたしは時間に追われる身なのでね」


不快な気配が一度遠のいて、それは少し間を置き再びソロモンの耳元へと戻って来る。


「今日は一段と、騒々しいようですね?一体何があったのでしょうか?」


ソロモンは、耳元にへばりつく不愉快な実体のない悪意のような幻想をことごとく冷徹に無視し、文字通り耳を貸すことをしなかった。

インカマーは歩き出し、背後に向けて言う。


「ふふ。通路はいつでも使えるようにしておきます。あなたのお仲間たちの事もわたしは歓迎いたしましょう。ご機嫌用。わたしの黒い太陽ブラックサン・・・」


次の瞬間。ソロモンはエクスプロイターを抜いて構えた。






「・・・」





「・・・」







あわれだな」


白く気味の悪い巨体は何事もなくクルードのどこかに飲み込まれて消えた。

何者かを乗せたエレベーターが起動して、それはあっという間に地上まで昇り切り、エクスプロイターはすぐに元の場所へと戻された。



***



「見ろよこれ。ドジ―のやつ局員の部屋に転がり込んでる見てえだぜ」

「えぇ?本当に?」

「ああ本当さ、ほらこれ、ドジーんだ」

「ほんとぅ・・・爪や皮を剥がされて食べられなければ良いけれどねえ大丈夫かな?ドジー・・・?」

「いやあそれで済むならまだましだよ」

「ぇぇ・・・・・・ドジー・・・やだよ・・・ドジー」

「泣くな」



「アメリオのやつ仲間が二人出来たのかい・・・ってことは」

「ああ、珍しい事でもないだろ。上は食い物が違うらしいからなあ」



「ううん・・・?これは、仕事を・・・・仕事を・・・・?ねえこれどういう意味かな?」

「どれ?それは・・・ああ、ブルー共のになる仕事のマークだな」

「うそ!?大出世じゃない!」

「そうだな、ペミペの奴、羨ましいぜ」



「なぁこれ飛ぶように売れたから隠しといたんだけど・・・何に使うもんかな?」

「こうかな?」

「ちがうな、たぶんこれはこう使うんだ」(奇妙な装飾品を頭に装着する)

『おぉ・・・・』

「なるほど、つのか」

「兎に角、次は値段を2倍にあげよう」

「そいつはいい」



 食料分配局員に続いてやってきた上層階級の使いの者たちにあらかた品物を売り渡したブルーカラーたちは、各々が対価として渡された貨幣を覗き込んで口々にそう言った。それぞれの貨幣は、名を知る程度のゆかりあるものへと自然と流れ着き、早くもその返事となるシンボルを刻まれた物もあった。彼等の貨幣は、品物を取引するための『対価』であると同時に、地下と地上とを結ぶ簡単な『手紙』のような役割を果たしていた。しかしながら、言うべきか言わざるべきか。


「・・・レト」


「なあに?ヨナ」


随分前から、丁度良さそうな段差の上に上質な布を敷いて、その上にずっしりと腰を下ろしていたレトは僅かに含みを持たせてそう答えた。何か要求がある時、彼女が必ず対価を求める事をヨナは既に知っていた。

なのでヨナは、発言を行う前にすっかり冷えてしまった彼女の肩をさすって血流を促進させるというを行った。今回は、これが対価となる。ラヴィ氏や、他の妊婦たちが居たあの場所に比べて、ここは、人間達の熱によって誤魔化されているだけで肌寒い。


「彼等が頭に付けているあれば」

「ふん・・・」


あれは、頭部に装着する物では無い。


正しくは、上層階級の者らのステータスに準ずるサイズやデザインの物を股間に装着して、必要とあらばローブの隙間から相手にそれを見せる事で、一目でお互いを識別するための言わば階級章なのだ。決して、頭部に装着する物でもなければ、大勢の前で見せつけるような下品な代物では決してない。


「ヨナ?わたしを待たせるつもりなの?」


「ああ。すまない。あれは・・・あれは2倍の価値では安すぎる」


「ふん・・・・じゃあ5倍にしましょう」


「ああ」


この時、彼は自分がなぜこんな嘘をついてしまったのか分からなかった。


「レトさん!レトさん!」


ブルーカラーの娘の一人が、手にした硬貨を掲げて駆けてくる。

それに気づいたレトは、肩に乗せられていたヨナの手にそっと触れて、似合いもしない高圧的な態度を示す。


「どうしたの?慌てて」


「レトさん!レトさん!」


彼女だけではない。他にも何人も、同じような者たちが現れる。


「お前も?」

「あ・・ああ!俺はこんなの初めてだ・・・」

「誰に聞いても分からないってッ!!!」


集まった物たちが一斉に手にした硬貨を見せ合う。

それは、片面が不気味に黒く塗りつぶされた物だった。

レトが張りのある眉間にしわを寄せてそれらを覗き込んだ。


「なあに?これ」


『ん・・・おい!マーケットはもうおしまいだぞ!』

『なんだ?聞いてねえぞ!』

『さっきのあれ!隠せ隠せ!!ほら早く!』


最後のゴンドラが昇り始めた時、クルードの空間に吊り下げられたは今日、偶然そこにあったのだ。と、誰しもそう思っていた。しかし、それは違った。


ゴンドラのワイヤーが完全に伸びきると、最も近くにいたブルーカラーの若い男が激しい口調で抗議した。今までの物と明らかに違う、密閉されて本来透明の部分には内側から何かが張り付けられ中が見えなくなっていた。他の場所に降り立った物らもきっとそうなのだろう。


ざわめきの隙間を縫うように重々しく扉が開く。

まず初めに姿を現したのはエクスプロイターの銀色の銃口だった。その場でただ一人、ヨナだけがその事を知っていた。

「・・・レト!!!」

「え?」



銃声。そして、悲鳴。平和贈呈局員たちだ。



***



 地下の空間に、聞いたことのないほど恐ろしい人間の悲鳴が響き渡っていた。

当の昔に滅んだ優れた文明が生み出した優れた技術をもってしても、到底浄化しきれない密度の塵や灰が空中に巻き上げられて、その中を突然の襲撃者に住処を追われた人間たちが狂ったように走り回っていた。まるで、水たまりを長靴で踏みつけた時の泥だ。


「レト!・・・レト!」

「はぁっ・・・はぁっ!」


ヨナは視界不良の中、割れたタイルの上を、生暖かい水音を立てる地面を、必死で蹴ってレトの手を引いた。彼は、進む先に少しでも気配があればすぐに向きを変えて、必死に逃げた。そこは指の先が辛うじて見えるだけの、閃光と悲鳴、おびただしい恐怖の臭いが充満する場所だった。


「ヨナ・・・・!ヨナ!?・・・・みんなは?」


レトのかすれた声から肉体的な疲労の限界を感じ取ったヨナは、すぐに歩を緩めた。レトも、ヨナのそのような懸念に勘付いて、ふらつく両脚に渇を入れ自分は、こんなところで死ぬつもりはないのだ。と、決意を込めて彼の手を握り返した。


ヨナがあたりを見回して進路を変えて地面を蹴った。さっきまでいた場所はすぐに狂乱に飲み込まれて、それは瞬く間にこちらに迫っているように思えた。


「あの場に居た君の仲間たちはみんな、死んだ」


咄嗟に口から出た出鱈目は、少しでも自分の意識を集中させる為と、この状況下で他人の心配などというたわけた事を口にするレトへ対する苦し紛れの反撃でもあった。

当然、そんな事をしたところで二人を取り巻く状況がよくなる訳もなく、むしろそれは悪化する一方のように思えた。足元の不安定さが一層増して、ヨナの足へと絡みついた。新たに起きた崩落の踏み慣らされていない瓦礫の上に彼等は足を踏み入れたのだ。


彼女を背負っていくべきか?


唐突によぎった提案を、ヨナはすぐさま否定した。理由はわかり切っている。今、彼が両足を乗せている場所も、また、これから乗せる事になるであろう場所も、どちらもまるで知らない場所なのだ。通い慣れた古アパートの通路や、食料分配局の1階に繋がる暗く騒々しい通路とはまるで性質が異なるのだ。二人分、さらに腹の子の重さも乗せたまま、より素早く、より正確に、最も信頼性の高い場所を選びつつ足を乗せ、平和贈呈局員達や、狂ったように逃げまどうブルーカラー達を避け続けられる算段は今よりもずっと低いだろう。それに、身重の彼女は背う事が出来ない。あの腹の中には、彼等の仲間の一人が体を丸めて入っているのだ。それは間違いなくレトの子であり、誰かのなのだ。


「・・・」


「ヨナッ!!」


その時、ヨナの意識には確かな空白が出来ていた。

一瞬とはいえ、彼は成り行きに任せて、視界不良の中を進んでいた。ぽっかりと空いた『回収の穴』にあと一歩のところで彼の体が飲み込まれる寸前のところで、袖を引いたのはレトであった。


「・・・もう、あなたは!」

「ああ・・・レト。その、すまない」


明らかな自分の失敗にヨナは思わず、ブルーカラー達の習性を真似てそう言った。

レトが居なければ今頃自分は目の前の穴に自分から飛び込んでいただろう。だ。


「・・・?ヨナ?あなた・・・?」


 踏み鳴らされるクルードも人間たちが放つ叫びもエクスプロイターの銃声でさえ鳴り止まない動乱の中で、レトは、ヨナの口元に注目した。この時、彼女の心は確かに、新たな発見と永遠につながる未来への親和に満ちた自分たちの日常に舞い戻っていた。


「ヨナ・・・あなたもしかして?」


そうした束の間訪れた日常はいとも簡単にどこかへと隠れてしまう。これまで幾度となく歴史によって証明されて来た数々の事象の内の一つに過ぎない。


『みつけたよ?』

『ここにもいたね』

『殺してからリサイクル。リサイクルをしないとね』


平和贈呈局員たちだ。


 突如現れた壁のような大男を前にレトはうずくまり、耳をつんざくような悲鳴を上げた。その悲鳴に何か目には見えない特殊な力が宿っていたのかもしれない。もしくは、今まで知らなかっただけで、それが悲鳴に対する正常な反応なのかもしれない。兎に角、ブルーカラーの起こしたアクションは、この時も局員たちに災難をもたらそうとしていた。


良すぎる目、良すぎる耳が時として仇となるのだ。


先頭の男は、その他大勢の平和贈呈局員よろしく、最も新鮮な情報を優先しエクスプロイターの銃口をそちらへと向けた。


ヨナが示すべき答えは実に簡単なものだった。この視界不良の中、後ろにいる二人の銃口から察するに、、鮮明な悲鳴だけが聞こえたと言った様子だ。だとすれば、目の前の人物に丁寧に対処出来れば、とりあえずはレトは無事である目算が非常に高い。


 耳元に、そよ風が吹いているような気がした。柱の中を行き交う不規則な気流が、絶えず、穴から漏れ出しているのだ。彼は、自分に向けられていたゆっくりとスライドする銃口を握るグローブを手の平で追いかけて、その二つはすぐに衝突した。


撃鉄がファイアリングピンを弾く音のすぐ後に、放出されたエネルギーは空中の塵や埃や灰をガラス状に溶かしながらじゅうじゅうと音を立てて進んでどこかへ着弾した。


薄ら笑いを浮かべていた四角い大きな顔の口元が引き締まり、額が汗ばんで早くもそこには巻き上げられた塵などが張り付いていた。


「撃つな!!俺にあたる」


 彼等ときたら、いつでも決まって話し好きだ。いつだって、身体よりも先に口が動くのだ。ほかの局員が、たとえば、ヨナをはじめとする食料分配局員たちが、何かのきっかけで暴徒化したブルーカラーたちを制圧するために一定の殺戮の素質が求められるのと同じく。彼らの持つ優れた素質が独り歩きして、与えられた役目を越えたスタンドアローン独立を引き起こさないためにも、平和贈呈局員たちは皆、子供のように純粋で無知で、警告に応じない者に対して躊躇ためらいなくトリガーを引き、誰よりも屈強で、規律に対して一切の疑問を持たない戦闘単位、言うなれば、歩く暴力である必要があるのだ。与えられた素質によって生き延びて、与えられた素質によって皮肉にも自分たちは滅ぶのだ。なるで、天まで届く翼を得たイカロスのように。



 空気中で融解した灰や塵が地面に落ちるよりも先に、ヨナの鋭い蹴りが平和贈呈局員の胴体の中央を捕えて鈍い音を立てた。建物の壁でも蹴ったかのような感触がヨナの足先から全身に走った。しかしこれは建物の壁ではない、ずっしりと、押し詰められた肉の壁の中にははらわたがある。


 平和贈呈局員は一度体制を整えて、エクスプロイターを構え直そうとしたが、身体の中心から波のように広がる吐き気に飲み込まれて、ゆくゆくは体を折りたたむことしかできなかった。


 エクスプロイターさえも手放し、崩れ落ちる仲間の肩越しに、の姿が見えた。半身でこちらを睨み付ける目にはやはり何の感情も読み取れない。


敵だ!

残った仲間と共にエクスプロイターを構える。すると、敵の姿が忽然と消えたのだ。


逃げたか

逃がすものか

頭を撃とう

仲間の手当てが先だ

そうだ

立てるか?

歩けるか?


うずくまる仲間の制服の肩の部分にブーツの跡がくっきりと付いているのが見えた。付着した汚れの質感、周囲の環境、彼等の持つ優れた追跡術トラッキングのセンスが残された痕跡の持ち主の居場所を瞬時に暴き出そうとしていた。


上か

ああ


「う・・・


倒した局員の肩を利用して跳躍したヨナが立ち込めるもやの中から降ってきて、残る二人の平和贈呈局員を急襲した。落下のエネルギーを乗せたヨナの鋭い足刀は、抉るように正確な軌道を描いて、二人の平和贈呈局員の顎にそれぞれ命中した。

どちらの首の骨も砕ける寸前のところまで軋んで、突発的な激痛と衝撃によって二人の眼球をぐるりとまぶたの裏側に巻き込まれて、脳は一時的にその機能を停止した。ヨナの足元では、先ほど受けたダメージから早くも回復し、落としたエクスプロイターに手を伸ばしている平和贈呈局員の姿が見えたので、彼は、そのがら空きになった顎目がけて蹴りを放った。いつもならば、これで終わらせることが出来たはずであった。しかし。


「・・・!」

「・・・何故だろうね?わかるんだよ。何故かね」


下だけを見ていたはずの平和贈呈局員の分厚いグローブがヨナの蹴りの軌道を完全に先読みしてその威力を著しく弱めていた。

拾い上げられたエクスプロイターの銀色の銃口が一切の淀みなく動いて、ヨナはゆっくりとこちらに向けられる銃口の中に広がる暗闇を凝視した。心地よい懐かしさノスタルジーが広がり彼はそれを受け入れた。


「ヨナっ!!」


 収縮するヨナの視界の端の方からレトが現れて、平和贈呈局員のエクスプロイターに飛びつく。脳天まで血液が昇り、ヨナは自分が眠りかけていたことに気が付いた。撃鉄がファイアリングピンを弾いて銀色の銃口が赤く発光し、打ち出されたエネルギーは、柱の暗闇を永遠と照らしながら下へ下へと落ちて行った。


「ああ・・・なんて・・・なんてキレイなんだろうね・・・・・・・・カっ!!!!!!」


平和贈呈局員が最後に見たのは、その、この世のものとは到底思えない美しさと、恐ろしさであった。


「レト・・・!レト!」


ヨナはレトの体を指先まで検めて、幸運にもどこにも欠損が無い事が分かったので、いまももやの向こうで繰り広げられる狂乱の真ん中でひとまず、彼女を安定させた。

それには、うつぶせになったまま横たわる平和贈呈局員の巨大な背中が役に立った。


「レト・・・レト・・・」


彼女の額の汗がただならぬ気配を放っていた。

ヨナは自分の内のどこかもやもやとした感情を落ち着かせるただそれだけの為にその汗を拭きとって、彼女の肩に触れた。埃が溶けた汗を拭いた布はひどくざらついて、その事がヨナの不安を更に駆り立てた。


「あなたって子は・・・もう・・・ヨナ。怪我はない?」


悲鳴や地鳴りのような足音にかき消されそうな声でレトは絶え絶えにそう言った。


「怪我はない。でもここで少し休もう」


ヨナの提案をよそに、レトはすぐに立ち上がろうとして苦悶の表情を浮かべた。額からまた汗が噴き出し、体の不調を誤魔化すために彼女は食いしばった僅かな歯の隙間からゆっくりと息を吐く。


「行きましょう。私なら。大丈夫」


発言とは裏腹にレトはふらついて、その場で崩れ落ちそうになった。

すぐにヨナが支えて、安定させる。


?大丈夫にそんな意味は無い!少し休もう。動かない方がいい」


ヨナの態度は、暴力に等しい物だった。目を見開いて、声を荒立たせて、呼吸も乱して、もう少しだけ僅かな力を加えれば、この青年は粉々に砕けて別のなにかに変化してしまうかも知れない。いつ死ぬのか分からないこんな時であるにも関わらず、レトの胸中にそんな意地の悪い年寄りじみた好奇心が顔を出した。しかし、彼女は、すっかり重いと感じるようになってしまった腕や足や腰や肩の感覚と、かすむ目と、彼女が今まで仲間と培ってきた良心を持ってそれを鎮めた。


「そうね・・・じゃあ、もう少しだけ休みましょうか?」


レトはぐったりと深く息ついて、死体のように瞼を閉じた。

ヨナは、3人の平和贈呈局員のそばに転がるエクスプロイターに彼等の手が伸びない事だけを祈って、レトの体を出来るだけ自分の体で隠した。



***



 ついに来た!大人たちがコソコソ隠れて言ってたことが本当に起きちまったんだ!!


 大人の体では入ることすらできない狭い通路の中で、子供たちは身を寄せ合い、隙間から差し込む綺麗な真っ直ぐな光でちいさく部分的に照らされる仲間の顔を見あった。差し込む光を指さして一人が言う。


「なぁ、これすっげー真っ直ぐ。何かに使えないかな?だってほらすっげー真っ直ぐ」


すると、別の誰かが近くの仲間の頭を小突いた。


「バカ!それどころじゃないんだから!」

「でもさでもさ!」

「俺じゃないのに・・・・」


『聞こえるか?』

『けど見えないね』

『見えないな』

『でも、どこかにいるな?』

『ああ、沢山だ』

『わかるかい?』

『わかるとも』


沢山の仲間たちが生きて、それから死んでいったこの地を少しも敬おうともしない聞き慣れない足音がする。ただそれだけの事だというのに、子供たちは自分たちの日常が大きく代わってしまったと痛感した。もう、働き者で大好きな大人たちに会えないかもしれない。メガジュークの音に合わせて跳ねまわる事も、大人達の目を盗んで仕事の真似事をするのも、もう出来ないかもしれない。せっかく、マーケットで得たばかりの食べ物も食べられないかもしれない。大人たちに二度と誉めてもらえないかもしれない。二度と。そして何よりも、自分たちはこのまま、大人になれないのかもしれない。考えればまだまだ無限に湧いてくる不安に小さな胸は張り裂けそうになった。それが限界を迎えた時、心のセーフティーがこの時もきちんと働いて彼女を救う。

「みんな大丈夫かな?わたし達。このまま踏みつぶされちゃわないかな?」

「泣くな!」

「泣いてない!」

「あ・・・泣いてるよ?」

「泣いてないもん!!」

「ううん・・・!せまいぃ・・・!」

「ッ!ごっごめんね?なんだか最近お尻が・・・胸も」

「大丈夫!みんないつも通りにやろう!」

『うん!』


***


 狂乱、悲鳴。巻き上がる灰や埃は煙幕と奴らの主力兵器である指向性熱エネルギー放出装置の威力を弱めるための防衛機構の一つだ。

ヴィンセントは、ある日を境にずっと背負ったままの十字架の重さをこの時も強く実感していた。


「お前たち。お前たち」


クルードの各所に偶然発生した狭く小さな空洞は子供たち専用のシェルターであると同時に、貴重な情報網でもあった。手近な者たちから速やかに動員し、この場所は早くも5か所目であった。


「・・・」


彼の呼びかけに返事は無かった。


「おまえたち」


ヴィンセントは、地面に張り付くように伏せて再びそう言ったが、やはり返答は無かった。呼吸は少しも乱れなかった。彼は上体を少し起こして周りを見回した。

目を凝らすまでもなく、付近は巨体とエクスプロイターによってめちゃくちゃに荒れ果てて、さらには随分と湿っていたのだ。


「・・・手遅れだったか」


この地のどこで、いつ崩落が起きて、いったい誰が死んでいったい誰が生き残るのかを誰も知らないのと全く同じくして、人間の持つ根源的な運というものは感知する事などできないし、それによって巻き起こる偶然に、誰もが逆らうことは出来ない。相手が子供であろうが、病人であろうが、屈強な若者であろうが、それに掛かれば、全てが等しく無価値であるとでも言わんばかりに平等なのだ。

他の仲間たち同様、ヴィンセントもまた、その事を知っていた。

自分よりもずっと短い人生のいくつもいくつもが一瞬にして消え去った。

しかし、だからなんだというのか?生まれ落ちた生命は死という到達点と常にセットで存在しているのだ。若くして死んでいった仲間たちの死が運や偶然により自分よりも早く訪れたものだとしたら、偶然生き残った我々には、身体や声すらも失った仲間たちの存在を後世へと伝える責任がある。

先の事、次の世代が、この先どういった思想を重んじるのかはわからない。しかしながら、子を残せなかった己が執着は、とりわけ、そのような哲学にもとづいていた。一時的な感傷などで立ち止まるなどと、していいはずがない。


ヴィンセントはその場からすぐに立ち去ろうとした。

湿気や血の臭いは足元から這い上がりどんどんと濃くなる気がして、目には見えない何かが自分の体を捕えて魂を汚し、狂わせてしまうようなそんな気がしたのだ。


(・・・ヴィンセント?・・・・ヴィンセント・・・!)


杞憂が聞かせる幻聴か?いや違う。


もやの向こうに目を凝らして脅威が近くに無い事を確かめる、一歩踏み出した時に足元から聞こえてきたのは確かに子供たちの声だった。生きていた。これでクルードの36番居住プレートの防衛のめどが立つ。


「何人いる?」


ヴィンセントは再び地面に化け、暗闇から不気味に覗く目玉の群れに対して肩越しに質問を投げた。


「えと・・・・イチ!」

「に!」

「さん!」「さん!」

「よん!」

『ご!』「ごっ!」「・・・ご!」

「おい!」

「だって!さんはわたしだよ!」

「こんな時にどうだっていいだろ!」

「ヴィンセント!おなかがへったよ!」

「みんなは?」


「しーしー。おちつきなさい。わかったから」


ヴィンセントがそう言うと子供たちはピタリと騒ぎを止めた。


いい子だ。


彼は、周囲の騒ぎが収まる一瞬を忍耐強く待ち、口を開いた。

僅かな沈黙は同時に幼い仲間たちの有能さの証明にもなった。


「『ベースメンター』を動かすとみんなに伝えるんだ」


***


 一歩一歩、慎重に、段差と死体の欠片の無い道を選んで進む。とても脅威から逃げていると言える状態ではなかった。

もやの向こうで繰り広げられている活発な虐殺や侵略行為など、今まで再三さいさん目にして、無視して来た路地裏や、古アパートの一室や、見捨てられた居住区で行われてきたものに等しく、常に見えている人影と鮮明な音を除けばいつも通りの無関心な日常に成り下がっていた。


今までと何も変わりはしない、自分があちら側に回る可能性が増えただけの、ごくありふれたこの街の営みだ。けれど、きっとそれだけじゃないはずだ。


 レトはヨナの導きに従って、可能な限り足場の良い場所を選んで足を乗せ、慎重に歩を進めていた。目はかすみ、全身に走るひどい痛みを誤魔化す為の脳内物質が異常に分泌されて体を蝕んでいるのがわかった。苦痛を和らげるそれらが手足の感覚までもまとめてぼやけさせて、痺れさせて、著しく集中力を低下させ、息苦しく、とても憂鬱な気持ちにさせる。


かつて、氏族の仲間たちや両親が、あれほど誇りをもって敬愛していた者たちが死んで肉の塊に代わった瞬間に芽生えたあの感情、失望のようで、諦めのようで、あえて、もっと的確な例えをするならば興味が失せた。と言えるのかもしれない。この先で待つ再現のただ一人の観測者になりうるこの青年も、きっと同じ感情を抱くに違いない。目の輝きは失せて、ありふれた肉の塊に成り果て、即座に体は腐りだすだろう。彼女の憂鬱の大部分は、自分が存在しなくなった世界にのみ向けられていて、彼女自身それがどれほど馬鹿げたことなのかを知っていた。

朦朧とする意識の中で、知らず知らずのうちに体を満たしていた生き抜くための自信がガラガラと音を立てて崩れ去り、いっそのこと今すぐこの場でこれでもかと濡らしたタペストリーみたいに勢いよく地面とぶつかって死んでしまった方がましだと彼女に強く思わせた。


レトは、みにくい肉の塊に変わるであろう姿を誰にも見せたくなかった。

きっと、自分への興味が失せてしまうことになるであろうヨナの姿が見たくなかった。活発で元気なままの仲間たちとの時間が永遠に続いて欲しいと願っていた。誰よりも幼稚で愚かで無責任であると同時に心底かなえたいと思えるような強烈な願いだった。


「もういい・・・ヨナもういいわ」


レトの想定通りに、捕まえられている手に少し力を加えただけでヨナは足を止めた。破壊された水路から漏れた水がより低い場所を求めて、音もたてずに流れているのがわかった。


「もういい?何がもういいんだ?レト」


「あなただけでも逃げなさい」


「君はどうするつもりだ」


「私はここで死ぬわ。足手まといだもの」


目の前にはまるで何も知らない純真さだけが存在してるようだった。

舞い上がる塵や埃の中でヨナの両眼だけがはるか遠くで鋭く光り輝いているように見えた。ヨナは一言、そうかと言ってその場にレトを座らせた。


足元を伝っていた水には、やはり仲間たちの血が混じっている。数時間もしないうちにこの水は浄化され、汲み上げられ、街の人々は素知らぬ顔でこれを飲むのだろう。ふと、そんなことを考えると恨みや怒りよりも、悲しさが鋭く胸を貫くような気がした。しかし、それももうじき終わりを迎えるのだ。


 指先だけがかろうじて触れ合う手を持ち上げて脱力させると、ヨナと言う支えを失った手は自然法則にのっとりだらりと落ちた。それは、久しく感じる柔らかな絨毯の上で迎える絶頂のように心地の良い瞬間だった。


ヨナはそれを両手で捕まえた。


「ヨナ?」

「君はここで死にたいのかもしれない、それは構わないと思っている。だが、その子も同じなのかはわからない」


掴んだ両手に何か形容しがたい力が込められる。

レトは思わず、開いている方の手で自らの腹をさすった。


「この子」


どおおおおおおんん・・・・・・!!

どおおおおおん・・・・・・・っ!

ギャアアアアア!!!

ギャアッ!!!

どおおおおん・・・・・!!


「蹴ったわ」


***


 ヨナは、古アパートの手すりのように冷たくなったレトの肩を温めた。効果は薄く、元通りに温めるには時間がかかる。肩越しに伝わる息使いには確認するまでもない、強い疲労の色が現れていた。


「さあレト。つらいかもしれないが」


「ええ」


レトを立たせてその場を後にする。奇跡的に安全が保たれていた場所は、すぐに見えなくなってしまった。


「はぁ。はぁ・・・ヨナ?あなた・・・知っている?」


「何をだ?」


「生き物は死ぬ直前、脳からドーパミンっていうホルモンを分泌するの、ドーパミンはね別名快楽かいらくぶっしつとも言って・・・・美味しい、食べ物。例えば、ああ、果物や甘いケーキ・・・うふふ、ハンバーガーやキャンディ。そういうものをお腹いっぱい食べた時にもたくさん出るのよ。だから、今の私を食べたらきっとものすごく美味しいわ」


「ドーパミン?君を食べる?わるいが、理解できない」


「わたしはあなたを食べたいわ。ヨナ」


「・・・」


ヨナが返事を怠ったのは、ふと、ある疑問が彼の脳裏をよぎったからであった。その疑問とは、自分が名誉評議で殺害して来た多くのブルーカラー達の事だ。レトのいう事が仮に本当ならば彼等は死ぬ間際に分泌されたドーパミンによって幸福に包まれたまま死んでいったのだろうか?と、いうものだった。しかし、そんな疑問も一瞬にして消し飛ぶこととなる。


「レト!!」

「・・・ッ!!」


悲鳴や地鳴りのような足音さえもかき消して、轟音と共にもやの中から突如現れた巨大な物体が二人のすぐ近くを通過した。マーケットの対価を満載した箱や売れ残り、もしかしたらブルーカラー達のむくろ(死体)もあったかも知れない、そんな事を意に介さず、物体はクルードのいたるところから、たとえば、着色前の布の山、回収されたスクラップの隙間、噴水のそばの割れたタイルの下から、当の昔に機能を停止して斜めに傾いた掲示板の制御室から、メガジュークの音源誘導装置から、倒壊した建物のがれきの中から次々と現れて、人類の栄華の先に築き上げられた文明を蹂躙した。


「レト!?無事か?」

「ええ・・・ええ、大丈夫、大丈夫よヨナ」

「あんなものまで・・・一体」

「あれはね、わたし達の決戦兵器」

「君たちの、決戦兵器?」

「ええ。あれは・・・ベースメンター・・・!」


***


 2対からなる非接触式半永久ひせっしょくしきはんえいきゅうコグボックスユニット、それらは完全に密閉されていた。埋め込まれたクリスタル回路につながる動力は、別の次元から得られる事象ののほんの僅かを利用してメイン駆動シャフトに活用可能レベルに調節された概念がいねんを発生させる通称『次元エンジン』。駆動系のパーツや車体下部のラダーフレームに原子レベルで封入されたそれらを保護するのは、彼等お手製のリベリライト合金の打ち出し板金ばんきんフレーム・圧縮ラバー・5重整列ファイバーセラミクスなどからなる複合装甲だった。


「くそぅ。本当にやるのかよ」


平和贈呈局員たちの手から辛くも逃げ延びたブルーカラーの一人は真っ先に機体内部に潜り込むと、座席前方に折りたたまれている照準器の汚れをつばを付けた親指で拭いた。


「手順通りだ!手順通り!手順通り!!!」


途中で合流した仲間が泥足のまま座席について、続くもう一人も濡れた泥靴のままシートの上に立ち、蓋を締めた。うっすらと堆積した『機体の垢』を除けば信じられないほどに真新しい機内はあっという間に汚れてしまったが、3人は、座席や操作盤の上に容赦なく散らばる泥や汚れの中に仲間たちの意識のようなものを感じていた。

彼等はそれぞれが中心部に背中を向けてシートに付いた。


 様々なエネルギーや毒ガスなどにも考慮して完全な密閉状態が保たれた車内には、完全な平穏と共に完全な暗闇が訪れるかと思いきや、実際そうはならず、計器類や操作盤が放つわずかな光でぼんやりと照らされていた。誰もが知らなかっただけで、この場所はずっとそうだったのだ。

前方の一人が振り向き、取り乱しながら、乱暴に言う。

「右から順番だ!そこの出っ張りを押し込め!早く!」

「右?!みみみみみ右ってどっちだっけ!」

「蹴とばせ!!!」

「わかったよ!」

仲間の一人は指示通り制御盤を思い切り蹴飛ばした。2回、3回と蹴飛ばして、操作盤の一部が軋んで妙な音を立てる。それを耳にした3名は、刹那、それぞれがソロモンの失望の表情を思い浮かべた。無論それは、3人の無意識下にある希望が見せたただの思い過ごしに他ならないものであった。

本来、ソロモンが自分たちに失望するなんてことはあり得ない事であり。なぜならば、そもそもソロモンは自分たちに少しも期待などしていないのだ。3人の心の虚しさが表に出てくるよりも僅かに早く、近くにいる人間の突発的な脳波の乱れを検知して次元エンジンが正常に始動した。


「動いたっ!!!動いたっ!!」

「次ッ!」

「ソナー!!ソナー!!ソナーだッ!!」


ソナー係の男は指に彫られた入れ墨と同じ模様を数種類のボタンの中から見つけ出し操作した。


「あった!これだよな?!」


グゥン・・・・ギッ!!・・・・ギッ!!・・・・・ギッ!!!


「それだ!」

「ソナー起動!!!でっ!でで!出たっ!本当に出やがった!!」

「みんな。うまくやれよ・・・・!」

「なんてこった・・・!ゲート・ミズ・マリア(彼等の位置から最も離れた外周部)まで・・・・写ってやがる・・・それに」

「・・・ッ!」


ソナーに映し出されたよく知る故郷の大地と、恐らくは仲間達、と、隠れている反応は子供達だろう、まだまだ大勢が動き回っている。訳の解らない代物だがこいつは正確に決まってる。と、操縦者の男は思った。それに、局員の数は思ったよりもずっと少ない。


ソナーに出現したベースメンターの中にはすでに発進しているものもあった。男は覚悟を決めて、それでも、死んでいった大人たちの声なき教えに従い心赴くままアクセルペダルを踏み込んだ。


ブォオオオオオ!!!!!


・・・ブオオオオオオオオオオオオオオ‼‼‼‼‼‼


「ライドオーバー!36サブロック隊行くぞ!」


ブオオオオオオオオオッ!!!!!!


『うあああッ!!?』


 急加速の影響で一瞬乱れた視界が元に戻った時、男はついさっきまで正常に動作していた立体映像が消えてしまっている事に気が付いた。


「なんだこりゃ!どうなってんだ!何も映らなくなったッ!!」

「落ち着け!」

「範囲を拡大しちまっただけだ!壊れたわけじゃねえ!」

「・・・あ。ほんとうだ!直ったよ!・・・いてえ・・・ここにぶつけたんだ!」


立体映像は正常に動作して、クルードの様子をリアルタイムで映し出していた。

現在見えているベースメンターの総数は60機、それぞれが1秒ごとに連携しクリック音を発生させるため、巻き上げられた塵や灰が落ち着けばさらに正確な状況を知ることが出来る。

映像上では早くも仲間たちによる反抗作戦が決行され始めて、加速したベースメンターが次々と局員と思わしき反応の上を猛スピードで通過していた。

操縦輪そうじゅうりんを握る男が進路を左へと取る。

加速後まもなく、エクスプロイターの流れ弾が飛んできて、それは走行中の機体側面に命中して強烈な閃光を放った。3名の搭乗員は思わず悲鳴を上げた。

「やられたっ!!やられっ!!!た!!!やられたのか?!」

「大丈夫だ!俺たちはなんともねえ!けど!」

「あんなもの・・・なんで使えるんだ?!」

「おれたちを・・・・あれでっ!!・・・あれで!!」


ベースメンターは、彼等の故郷であるクルードの地をその重量で踏み砕いて、ぐんぐんと加速した。それが目指すは、最も近くに映し出されていた平和贈呈局員のチームと思わしき3個の生体反応であった。


「右のは・・・ガキどもだな数が多いから」

「こいつに乗ってる奴ら以外に3人で行動してる奴だ!!ソロモンが言ってた!3人だ!3人!」

「わかってる!こいつらだッ!行くぞ!」

「いけぇ・・・・!!!・・・・でも・・でもよ!」

そんなことをしたら?しかし。

「だけどやるしかねえっ!!」


機体が左に傾いて、3人の体はコーナーの外側へ引き寄せられた。伸びきったハーネスに引かれるのと少し似た感覚だが、経験した事の無い奇妙な、あえて言葉にするならば、機械的で、制御の効かない、こちらとの対話を極力拒むような冷たい感覚だった。加えて、映し出される立体映像はまるで、見えない地面の位置を自分だけが正確に知っているかのように、全てが傾く景色の中で唯一水平が保たれていた。それが彼等を一層不気味にした。


3個の反応に向かって、ベースメンターは吸い込まれるように加速する。


「・・・・!!」

「やれっ!やれっ!!」

「・・・・!!!」

「やったか?」

「・・・やった!!!やった!やった!!」

「ああやったに決まってる!!」

「ああそうだよな?」

「・・・守った!」

「やったんだ」


立体映像上の反応が一瞬重なり、36サブロック隊操るベースメンターは動輪を激しく空回りさせながら、その場からあっという間に姿を消した。


***


 レトは時々含み笑いを浮かべて、消えかけた鼻息はたまに歌のようになった。ヨナはしっかりと彼女の体を捕まえて、大きな水差しのように重い体を一歩ずつ前へ前へと推し進めていた。背後からは死という概念が具現化してこちらに迫り、一瞬でも気を抜けば彼女をさらってしまうようなそんな不思議な感覚にヨナは見舞われていた。

辺りの視界は段々と良好になり始めていた。


 クルードのそこかしこで轟く爆発音は、恐らくベースメンターの装甲とエクスプロイターがぶつかり相殺しあう音だろう。姿かたちは見えずともそれは凄まじい物で、たまたま近くで発生した衝撃によってヨナが足を踏み外してつまづくほどであった。

一度バランスを崩した体を、レトはもう自力で支えることが出来なかった。

ヨナは身を挺して、彼女の下に回り込んで体が半分ほど下敷きになったところで二人は地面に激突した。割れたタイルが突き刺さり、衝撃から一呼吸遅れて鈍い痛みが体に走る。

レトの首がだらりとヨナのグローブにぶつかり、目はうんざりと閉じたままだった。顔面は蒼白で、彼女はうめき声一つ上げなかった。


「レト、レト」


呼びかけにレトは答えなかった。しかし、確かにまだ、息はあったのだ。ヨナは、ぐったりと動かないままの身体を静かに抱き起した。手や足はあざや生傷がない場所を探す方が大変な程だ。ヨナは、もう逃げ回るのは難しいと思い始めていた。それは、レトの状態もさることながら、薄くなり始めるとばりが見せたものに強く起因する考えであった。


立ち上がり数歩歩けば肩に触れられるほど近くである。

地面から斜めに突き出す瓦礫のすぐ向こうに、平和贈呈局員たちが見えていたのだ。


「レト・・・レト」


「しー・・・・」


「・・・」


幸運にも、平和贈呈局員たちの関心がヨナ達に向けられる事は無かった。

彼等は新たな達成感を得られそうな気配を鋭敏に感じ取ると薄ら笑いを浮かべて、口を開いた。

「あれはなかなかすごいものだね?」

エクスプロイターの出力をあげながらもう一人が言う。

「上手に当てる必要がありそうだ」

銃声が一度響いて、少し遅れて、強烈な光が見えた。

「来たよ」

「来たね」


ドグァッ!!!!!!!


弾き飛ばされた3人の内一人はヨナのそばにどさりと落ちて、二人に気が付くと銃口を向けた、それから、自分の指が当の昔に全てへし折れている事実にも気が付いて、酷く具合悪そうにした後、絶命した。


「レト。立つんだ!」

「ええ・・・!」


千切れた手足や頭、目玉、内臓、指、血に、脳漿のうしょう、堆積した無機物、殺人的な熱量を押し固めたエネルギー、絶叫、それらの中を二人は必死に進んだ。後ろを振り返る余裕などどこにも無い。ヨナが先に口を開く。


「君たちは、そうやって、死んだように見せかける。いつもだ」


「・・・・ぅフフ・・・フフ」


「レト、もう少しだ」


レトの横顔に汗が伝うのが見えた。ヨナのその言葉を聞くと、レトは苦しそうに唸った。そして、頭をぐらぐらと揺らして、あー。あー。と言った。


「レト?」


彼女の中に存在していたある種の『仕組み』がその時壊れてしまったような気がした。指や髪のような見た目が壊れてしまうのとはまるで違う。物が持つ本質ストーリーが失われてしまうのだ。何の前触れも無くそれが訪れるとヨナは漠然とような気がした。


 呆気に取られているヨナを置き去りに、レトは小走りで駆けた。彼女の姿はすぐに帳に隠れて見えなくなる。ヨナも急いで彼女を追う。


「・・・フフ・・・・ぅフフ」

「レト!」

奇妙な事に、なかなか追いつけない。

「レト!危険だ!」

吹き飛ばされた欠片が壁にぶつかり水音を立てていた。水路が壊れてそこから噴き出ているものもあった。レトはそれらをまるで、幽霊のようにすり抜けて駆けて、挙句の果てに、上から水音が落ちて来る壁に激突してようやく止まった。壁の表面にはびっしりと彫刻が施されていた。近くで見れば、緩やかな弧を描くそれは壁ではなく、クルードを支える巨大な柱の内の一つだった。


「レト!」


ぐったりとうなだれるレトの衣服はひどく濡れそぼっていた。レトは柱にすがりつくようにがっくりと肩を落として、苦しそうに、大きく肩を上下させて呼吸し体を支えた。


「レ・・・」

「・・・ヨナっ!受け止めて!!」


レトの絶叫は、偶然近くで弾けたエクスプロイターの炸裂音で殆どかき消されていた。弾けた火花の一つが二人の近くに降り注いでヨナの頬に張り付き、音を立てて消えた。在り得ない高さまで轢き飛ばされた平和贈呈局員の男の上半身が両手を広げたままくるくると空中で回転していた。必死に逃げ回る者、立ち向かおうとする者、隠れる者、それぞれが同じ場所へと向かっている。


絶叫が聞こえた。


ああああああああああ!!!!


人は落ちる事しかできない。

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