第334話 クシナの意志(2)

(作者より)

昨日より連載開始のコミカライズはこちら!

https://comic-walker.com/detail/KC_005630_S/episodes/KC_0056300000200011_E



 ***



「だから……それはもう言った。あとは私が犠牲になればいいだけなんだ。私の前にも七人の生贄になっている子たちがいるのだから、彼女たちの犠牲を無駄にしないためにも──」


 そんな壊れた機械のように同じ言葉を吐くクシナ姫を見て、俺の堪忍袋の緒は早々に切れてしまった。


 俺は立ち上がり、クシナ姫を見下ろして言う。


「分かりました。クシナ姫、あなたのことはもう知りません。──行こう、風音、弓月」


「で、でも、大地くん」


「先輩! らしくねぇっすよ!」


「俺らしいって何だよ。風音と弓月の身を危険に晒すのに、これじゃやっていられない」


 俺はクシナ姫に背を向け、部屋を出ようとする。

 風音と弓月も、後ろ髪を引かれる様子ながらも、俺についてきた。


 懐に抱いていたグリフは、抗議するようにそのくちばしで俺の胸を突いてきた。

 自分の従魔にまで責められても、俺の苛立ちは収まらなかった。


「ま、待ってくれ! 頼む、このとおりだ!」


 立ち去ろうとする俺たちの背後からは、ミコトさんの声が聞こえてくる。


 それでも足を止めるつもりはなかった。

 ふすまを開いて、廊下に出る。


 ちなみに少し前には、特別ミッションの通知も出ていた。


───────────────────────


 特別ミッション『ヤマタノオロチを討伐し、クシナ姫を救う』が発生!


 ミッション達成時の獲得経験値……250000ポイント


───────────────────────


 また25万ポイント。

 クラーケンのときと同じパターンと考えると、ヤマタノオロチを倒せた場合には、元々の討伐ミッションと重ねて50万ポイントが入るのだろう。


 だとしても、クシナ姫の気持ちはもうどうでもいい。

 俺たちは俺たちの利を考えるだけだ。


 そうして俺たちが、部屋を出て立ち去ろうとしたときのことだ。


「……ねぇ、待って」


 クシナ姫の口から、そんな言葉が漏れた。


 立ち去ろうとしていた俺は、それで足を止める。

 ミコトさんに何を言われようが止まるつもりはなかったが、クシナ姫本人の言葉なら話は別だ。


 俺が振り返ると、瞳に涙をためた少女の姿が目に入った。

 その瞳は怯えた様子ながらも、俺の姿を確かに映していた。


 言葉を返すことなく待っていると、クシナ姫は次に、こんな言葉を紡いだ。


「私は、生きていてもいいの……? 生きたいと思っていいの?」


 普通だったら出てこない言葉だ。

 生きたいと思ってはいけない人なんて、この世に存在するのだろうか。


 俺は少し考えた後、こう答えていた。


「それを許していないのは、クシナ姫──いや、クシノスケ。キミ自身じゃないのか」


 俺にとっての彼女は、将軍家の姫君ではない。

 少年に扮した正義感の強い武士モノノフの少女、クシノスケだ。


 どこかそそっかしいところもあるが、俺は彼女のことが嫌いじゃない。

 彼女が生きていてはいけないなんて、到底思うはずもない。


 俺だけじゃないはずだ。

 風音も弓月も、当然ながらミコトさんも、そんなことは思っていないだろう。


 この場にあって、クシノスケが生きたいと思うことを許していない人物は、ただ一人だ。


「許していないのは、私自身……?」


 意外なことを言われたというように、クシノスケは目を丸くした。

 それからうつむき、しばしの沈黙。


 いたたまれないほどの静寂の時間が流れた。

 それでも俺は、ただ静かに待った。


 風音や弓月、ミコトさんも固唾を呑んで見守る姿勢。

 ただグリフだけが、「クピーッ?」っと言って俺の腕の中で首を傾げていた。


 やがてクシノスケは、顔を上げる。

 その瞳にたっぷりの涙をためながらも、俺の目を見て、はっきりとこう言った。



 ***



──side:クシナ──



「分かりました。クシナ姫、あなたのことはもう知りません。──行こう、風音、弓月」


「で、でも大地くん」


「先輩! らしくねぇっすよ!」


「俺らしいって何だよ。風音と弓月の身を危険に晒すのに、これじゃやっていられない」


 ダイチ殿は怒っていた。

 苛立っているように見えた。


 ミコトと一緒だと思った。

 何に怒っているのか、クシナには分からない。


 でも──どうしてか、クシナが自ら生贄になろうとしていることに対して怒っているように思えた。


 ミコトも同じに思える。

 クシナは自らの身を犠牲にする覚悟をしているのに、その覚悟が否定される。


 どうして。

 だったら私はどうすればいいの。


「……ねぇ、待って」


 分からない。

 分からないけど、こう言われているようにしか思えない。


「私は、生きていてもいいの……? 生きたいと思っていいの?」


 するとクシナの問いかけに、冒険者の青年はこう答えた。


「それを許していないのは、クシナ姫──いや、クシノスケ。キミ自身じゃないのか」


「許していないのは、私自身……?」


 クシナにとっては、意外なことを言われた気分だった。


「巫女」としてヤマタノオロチの生贄になることは、クシナの責務だと思っていた。


 でもそれを、「生きることを許していないのはクシナ自身だ」と言われてしまうと、頭が真っ白になる。


 そうなのだろうか。

 確かにミコトは、クシナに生きてほしいと考えているように思える。


 ダイチ殿やカザネ殿、ホタル殿もそれと同じだとしたら。

 クシナが「巫女」としての責務を果たすべきだと考えているのは、誰なのか。


 言われてみれば確かに、クシナ自身以外にいない。

 少なくとも、この場にはいないように思える。


 領民たちは?

 この国の平民たちはどう思うだろう?


 平民の娘たちが七人も生贄として捧げられているのに、クシナ一人がそれを免れ、ぬけぬけと生き延びることをどう思うだろう。


 それは──クシナを非難する者が、いるかもしれないと想像できる。


 事情をつまびらかに説明したとしても、将軍家の娘だけが特別扱いなのだと感じる者が、まったくいないとは思えない。


(ああ、そうか……)


 そこでクシナは気付いた。

 自分が何を恐れていたのかを。


 責務だとか何とかは、言い訳でしかない。

 クシナは、国の民からの非難を浴びるのが、怖かったのだ。

 一部の民から非難の声を向けられることに対して、覚悟がなかったのだ。


 そのために、クシナに生きてほしいと願っている、ミコトの想いを踏みにじっていた。

 自分たちの命を賭してでも、クシナを救うために戦おうとしてくれるダイチ殿たちの想いを踏みにじっていた。


 そう考えると、ミコトやダイチ殿たちが犠牲になるのが嫌だというのも、方便だったように思えてくる。


 頭の中がすっきりと晴れ渡った気分だった。

 もやが晴れ、すべてが分かった気がした。


 そうだ。

 ダイチ殿は再三聞いてくれていた。

 クシナ自身はどうしたいのか、と。


 クシナ自身の希望、それは──


 ミコトや父上や爺やほかの人たちと、もっと楽しく笑い合いたい。

 おいしいものだって、もっともっと食べたい。

 一日頑張って疲れた体を、温かいお風呂にどっぷり浸かって癒されたい。

 それから、それから──とにかく、もっとたくさん楽しいこと、嬉しいことを経験したい。


 クシナは新たな「覚悟」をする。

 そして自らの想いを、言葉に載せて叫んだ。


「生きたいよ……私、もっと生きたい……! お願いだよ、助けて。私を助けて! ヤマタノオロチを倒してよ!」


 死にたくない。生きたい。だから助けて。

 たったこれだけの言葉が、今、初めて言えた気がした。



 ***



 やがてクシノスケは、顔を上げる。

 その瞳にたっぷりの涙をためながらも、俺の目を見て、はっきりとこう言った。


「生きたいよ……私、もっと生きたい……! お願いだよ、助けて。私を助けて! ヤマタノオロチを倒してよ!」


 死にたくない。生きたい。だから助けて。

 彼女の口からこの言葉が出たなら、是非もないと思った。


 風音と弓月を見ると、二人とも笑顔でうなずいてきた。

 まあ二人は最初から反対していなかったみたいだしな。


 なんやかんや言って俺たちは、最後には気分で動くのだ。


 俺はクシノスケに向かって、その目を見て、はっきりとこう返事をした。


「分かった、俺たちに任せろ。ヤマタノオロチなんてひと捻りにしてやる」


「伝説の魔物だかなんだか知らねーっすけど、うちらにかかれば、チョチョイのチョイっすよ」


「何しろ私たち、同じように伝説の魔獣だって言われていた、クラーケンだって倒したことがあるんだから。大船に乗ったつもりでいていいよ、クシノスケちゃん」


 弓月と風音もそう続けると、クシノスケはついに、大声をあげて泣き出してしまった。


「うわぁあああああああっ! あ゛り゛がどぉおおおおおっ!」


 隣にいたミコトさんが頭を優しくなでると、クシノスケはミコトさんの胸に飛び込んでさらに泣く。

 泣き虫だなと思うのは酷だろうか。


 ミコトさんはクシノスケを片腕で抱き、もう片方の手で少女の頭をなでる。

 ミコトさん自身もまた、涙を流していた。


 剣聖と呼ばれる女武士モノノフは、主君の娘たる姫を抱いたまま、俺たちのほうへと視線を向ける。


「ダイチ殿、カザネ殿、ホタル殿。本当にありがとう。心より感謝する」


「はい。でもやるからには、一人の犠牲も出さずに倒しますよ」


「無論だ。もうこれ以上、悲しみを負う者を増やしてなるものか」


 そうして俺たちは、ヤマタノオロチ討伐のための計画を練り始めた。


 そして、翌朝。

 俺たちは決戦の場へと向けて出立したのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る