第333話 クシナの意志(1)

(作者より)

 繰り返しになりますが、告知です。


 本作『朝起きたら探索者になっていたのでダンジョンに潜ってみた』のコミカライズがスタートします。

 6月24日(月)より、カドコミ(旧コミックウォーカー)にて連載開始です。


 よろしくお願いします!



 ***



──side:クシナ──



 風呂を出たクシナは、湯上がりの浴衣姿で本丸御殿の廊下を歩く。


 ミコトに見捨てられた──今のクシナはそう感じ、心を打ちのめされていた。


(私は……私には、ミコトが何を怒っているのかが、分からない……)


 弱虫と言われた。

 いじけていると言われた。


 それが悔しくて、納得がいかなくて、心の中がずっともやもやしていた。


(私だって、いろいろ考えたんだ……それで、自ら生贄になるって決めたのに……)


 すでに七人の若い娘が、「巫女」としてヤマタノオロチの生贄に捧げられている。

 あとは自分がこの身を捧げれば、もうほかに誰も犠牲にならずに済むのだ。


 それなのに、ミコトは再びヤマタノオロチと戦おうとしている。

 あの気のいい冒険者たち──ダイチ、カザネ、ホタルの三人をも巻き込んで。


 そうしたらミコトや、あの冒険者たちまで命を落とすことになるかもしれない。

 クシナ一人を救うために、そんなに多くの者たちが犠牲になることはない。


 見つからなければいいと思う。

 明日にはもう、クシナはヤマタノオロチへの生贄として捧げられて、それですべてが終わるのだ。


(それに、私一人が生き残っていいはずがない……)


 すでに犠牲となった七人は、いずれも平民の娘だった。


 クシナは知っている。

 将軍家に生まれた自分が、いかに恵まれた環境にいるのかを。


 毎日おいしいものを食べられるし、温かいお風呂にも入れる。

 よく天日干しされた、質のいいふかふかの布団で眠ることだってできる。

 クシナは子供の頃からずっと、将軍家の跡取りとして何不自由なく暮らしてきたのだ。


 でも平民は違う。

 満足にご飯が食べられなくて、いつもひもじい思いをしている家だってたくさんあることを、クシナは知っている。


 すべての民が平等に豊かに暮らせればいいのにと思うが、どうもこの世の中は、それができるようにはなっていないらしい。


 そんな平民の娘が七人も、ヤマタノオロチへの生贄として犠牲になった。


「巫女」として選ばれた者には、多額の金一封が与えられ、最後の時間を豪遊して過ごす者も多かったという。

 それを望んで、自ら立候補した者もいたと聞いた。


 風の噂では、そうして自ら立候補した者も、ヤマタノオロチに食べられる直前になると「嫌だ、死にたくない」と泣き叫んだとも聞いている。


 それに対して、クシナには最初から望むものすべてが与えられているのだ。

 貧しい平民出の娘たちと違って、生まれたときから何不自由ない豊かな暮らしをずっとしてきた。


 平民の娘たちが望みかなわず生贄となったのに、ただクシナだけが生き延びていいはずがない。

 それでは帳尻が合わない。


 平民の娘たちがヤマタノオロチに捧げられる「巫女」としての役目を果たしたならば、クシナもまた同じように役目を果たさなければいけない。

 それが将軍家に生まれた自分の、せめてもの責務だと思った。


 とぼとぼと廊下を歩いていたクシナは、やがて自らの私室の前へとたどり着く。


 ふすまを開いて部屋の中に入ると、クシナは明かりもつけずに部屋の隅で縮こまる。

 畳の上で膝を抱えて、ただ静かに、思い悩みながら一人の時間を過ごした。


(私だって、自分の責務を果たそうとしているんだ……。それなのにミコトは、私のことを弱虫だと言う。なぜだ、なぜ分かってくれないのだ、ミコト)


 本音を言えば、クシナだって死にたくはない。

 生贄となってヤマタノオロチに食われるのは怖い。


 当たり前のことだ。

 温かく恵まれた境遇で育ってきたクシナに、自ら死にたい理由などあろうはずもない。


 けれども責務だと思うから、潔く決意をしたのだ。

 せめてその自分の想いは、育ての親も同然のミコトに否定されたくはなかった。


 ミコトには、笑って送り出してほしい。

「立派に責務を果たされますよう」と言って、自分の覚悟を肯定してほしかった。


 だというのに、ミコトは──


 どれほどの時間を、そうして一人で思い悩んでいたか分からない。

 自分が生きていられる最後の時間だというのに、どうしてこんな風に無為に過ごしているのか。


 分からない。

 自分が分からない。

 何もかもが分からない。


 そうして膝を抱えてうずくまっていると、いつのときか、こんな声が聞こえてきた。


「姫様、おられますか?」


「……ミ、ミコト?」


 ミコトの声だ。

 見捨てられたと思っていたクシナの胸に、わずかな喜びが宿る。


 クシナは慌てて立ち上がり、乱れた浴衣を正して出迎えにいく。

 部屋のふすまをそっと開くと、


「あ……」


 そこにはミコトのほかに、三人の人物の姿があった。


 男が一人、女が二人。

 いずれもクシナと同い年ぐらいの、若い冒険者。


 ダイチ、カザネ、ホタル。

 つい先日、西の町の誘拐騒動で知り合った、かの冒険者たちだった。



 ***



 息詰まるような緊迫感があった。


 上品な雰囲気の、畳敷きの一室。

 クシナ姫の私室と思われるその部屋に、ミコトさんと俺たちは足を踏み入れていた。


 クシナ姫を含めた五人は、いずれも座布団に座っている。

 姫の隣にミコトさんがつき、それと対面する形で俺たち三人が位置していた。


 浴衣姿のクシナ姫は、今は髪を下ろしており、女性らしい出で立ちだ。

 綺麗な姿勢で正座している姿を見ると、あらためて、絵になる美少女だなと感じる。


 だがその表情は暗く、うつむき加減だ。

 俺たちのことも、ミコトさんのことも、直視しようとしない。


 彼女の隣に、同じく綺麗な姿勢で正座しているミコトさんが、たびたび声をかけようとしては口をつぐんでいる様子が見えた。


 弓月が俺に身を寄せ、こっそりと耳打ちしてくる。


「先輩、これってどういう感じなんすかね?」


「コミュ力関係でお前に分からないものが、俺に分かるわけないだろ」


「んー、それもそうっすね」


「一つの躊躇いもなく納得されるのも、それはそれで少し寂しいものがあるが」


「なんすか。めんどくさい先輩っすね」


「俺もそう思う」


 俺たちがそんな無遠慮なやり取りをやっていると。

 不意に、クシナ姫が口を開いた。


「……見つけてしまったんだね」


 ミコトさんが俺たちのことを見つけた、という意味だろうか。

 続けてクシナ姫は、ミコトさんに向かってこう問いかけた。


「ねぇ、ミコト。この四人なら勝てるの? ヤマタノオロチに」


 風音と同じ質問。

 ミコトさんは、少しの間を置いてから答える。


「正直に言えば、分かりません。ですが見込みはあります」


「それはつまり、負けてミコトたちが命を落としてしまう可能性も、あるということだよね」


「……はい。ないとは言えません。ですが」


「だったら、やめよう?」


 そう言ったクシナ姫の瞳からは、涙があふれ出ていた。

 将軍家の姫君は、こう続ける。


「あとは私が犠牲になれば、すべてが終わるんだ。すでに七人の平民の娘たちが生贄に捧げられている。私だけが特別扱いだなんて、許されないよ。それに何より──ミコトたちまで犠牲になるのが、私は嫌だ」


 近くにあった手拭いを取り、涙を拭いながら、クシナ姫ははっきりとそう言った。

 だがミコトさんは、不服の意を表明する。


「姫様、それはこれから戦場に赴く者への冒涜です。──いや、そうか。まだそれ以前だったか」


 そこでミコトさんは、俺たちのほうへと向き直った。


 剣聖の二つ名を持つその女性は、畳敷きの床に伏せ、俺たちに向かって二度目の土下座をしてみせる。


「ダイチ殿、カザネ殿、ホタル殿、あらためてお頼み申す! どうかこの通り、ヤマタノオロチ討伐のため、力を貸してはいただけまいか! 上様も十分な褒賞を約束しておられる! 加えて私にできることであれば何でもしよう! だからどうか、どうか……!」


「だ、だからミコト、いいよ……! ダイチ殿たちまで、巻き込むことはない」


 それを止めるのはクシナ姫だ。

 対するミコトさんは、こちらも瞳に涙を浮かべつつ、クシナ姫を睨みつける。


「姫様! どうしてそのようなことを仰るのです!」


「どうしてって……! 私は私のために、ミコトたちが死ぬのが嫌なんだ! あと私だけの犠牲で済むのなら、すでに『巫女』として捧げられた娘たちの犠牲を無駄にしないためにも、私は……!」


「姫様……! どうか、お気を確かに」


 ミコトさんがクシナ姫の肩をつかんで揺さぶる。


 クシナ姫は「だって、だって私は」と涙とともに叫びながら、ミコトさんを振り払おうとしていた。


 そんなクシナ姫の姿を見て、俺は少しイラッとしてしまった。

 悲劇のヒロインを演じる自分に、酔っているように見えてしまったのだ。


 ミコトさんが言うとおり、俺たちを含めた戦力でヤマタノオロチに挑んだとして、百パーセント勝てる保証なんてどこにもない。

 いや、百パーセントがないのは、どんな戦いでもそうなんだが。


 俺たちはクラーケンとの戦いの経験から、ミッション経験値25万ポイントのモンスターがどれほどの強敵でどれほどの危険度なのかについて、肌感覚で想像がつく。


 かなりヤバい山であることは間違いないだろう。

 獲得経験値は大きいが、それだけならリスクの大きさを踏まえて、挑まない選択肢は十分に有力だ。


 何しろ風音や弓月の身の危険が、肌で感じられるレベルなのだから。

 もちろん俺自身が命を落とす可能性だってある。


 それだというのに──当のクシナ姫自身が、悲劇のヒロインを演じたがっている死にたがりでは、気に入らない。


 俺はいじけているクシナ姫に向かい、問いかける。

 このときの俺の目は、鋭く据わっていたかもしれない。


「クシナ姫。あなた自身はどうしたいんですか。俺はそれが知りたい」


 我ながら冷淡な声だったように思う。


 クシナ姫は一度だけ俺の目を見てきてから、すぐに視線を逸らし、そのまま俺のほうを見ずに言った。


「わ、私自身は、だから……いいんだ。あとは私が犠牲になれば、ほかに誰も死なずに済むから」


「姫様!」


「すみません、ミコトさんは黙っていてもらっていいですか。俺はクシナ姫の意志を聞きたいんです」


「うっ……だが……いや、分かった」


 俺が注意を促すと、ミコトさんは苦渋の表情で口をつぐんだ。

 俺は再び、クシナ姫に問う。


「クシナ姫、俺はあなたの本心が知りたいんだ。もう一度だけ聞きます。あなたは本当は、何を望んでいるんですか。やるなら俺たちも命を賭けるんだ。せめてあなた自身の口から、本当の気持ちを聞きたい」


 だが俺がそこまで言っても、うつろな瞳でうつむいたクシナ姫は、こう答えた。


「だから……それはもう言った。あとは私が犠牲になればいいだけなんだ。私の前にも七人の生贄になっている子たちがいるのだから、彼女たちの犠牲を無駄にしないためにも──」


 そんな壊れた機械のように同じ言葉を吐くクシナ姫を見て、俺の堪忍袋の緒は早々に切れてしまった。

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