第331話 今のうちらにできることを
蕎麦屋で出会った男たちは、今日のお代をこちらで持つことを伝えると、知っていることを喜んで話してくれた。
それはざっくり言うと、こんな話だった。
今から一ヶ月と少し前、伝説の怪物ヤマタノオロチが、百年の眠りから目を覚まし人々を襲い始めた。
恐ろしい力を持ったヤマタノオロチだが、ある手段をとれば、それを鎮めることができるという。
それは「巫女」と呼ばれる、条件を満たした八人の若い娘を生贄として捧げること。
八人目が捧げられた後、怪物は再び百年の眠りにつくのだと伝えられているらしい。
すでに七人が生贄となっていて、明日、最後の八人目が捧げられる予定。
その八人目が、将軍家の若様ならぬ姫様だということだった。
もちろん俺たちは、その姫様とやらが誰のことだか、すぐに分かった。
話を聞いた俺は、食事が喉を通らなくなった。風音や弓月も同じだ。
失敗したと思った。食事が終わってから話を聞くべきだった。
非常に心苦しかったが、店の人に謝罪して、自分たちの注文分と男たちのぶんの代金を払って店を出た。
夕焼けの時間も過ぎ、あたりがすっかり暗くなった時分。
俺たち三人は、大通りをとぼとぼと歩いていた。
宿を探さないといけないなと思いながら、ぼんやりと歩みを進める。
町の人々に、悲壮な様子はなかった。
子供は笑顔で駆け回っていたし、物売りは道行く人々に威勢よく声をかけていた。
ひょっとしたら事情を知らない人も多いのかもしれない。
話を聞かせてくれた男たちにも、かなり詳しい人と、そうでない人がいた。
だが俺は、こう呪わずにいられなかった。
「生贄って、どんだけ前時代的なんだよ」
このヤマタイの国は、食文化もそこそこ発展しているし、人々はそれなりに豊かに暮らしているように見える。
それと「生贄」という文化とのアンバランスさに、俺は言いようのない不快感を覚えていた。
「どうしてみんな、あんなに無関心でいられるんだろうね」
風音がそうつぶやくと、弓月がわずかに険の混じった冷淡な口調でこう返した。
「あんなもんじゃねーっすか。うちらだって、地球の反対側で飢えてる人がいたって、ちょっと可哀想だなって思うだけですぐに忘れて自分の日常に戻るっすよ」
「むーっ、そういうものかなぁ……」
風音はそれでもいまいち納得がいかないという様子で呻く。
弓月の言うことは、まあ分かる。
あと弓月自身も苛立っていることは、声の端々に宿ったニュアンスから分かる。
そんな弓月が、今度は俺に向かってこう問いかけてきた。
「どうするっすか、先輩。25万ポイントっすよ」
「分かってる。どっちの意味でも、25万なんだよな」
「うっすうっす」
そこに風音が、言葉を重ねてくる。
「クラーケンでも20万ポイントだったからね。しかも私たちが戦ったのは、それの不完全体でしょ。私たちもあれから、レベルは上がってるけどさ」
「そうなんだよなぁ……」
俺はそうつぶやいて、月が浮かぶ夜空をなにげなく見上げる。
基本的には、討伐ミッションの獲得経験値が高いほど、そのモンスターは強敵であると判断できる。
ヤマタノオロチの討伐ミッションが25万ポイントであることは、討伐成功時の獲得経験値が大きいというメリットと同時に、それだけリスキーな相手であることをも意味する。
俺の脳裏に浮かぶのは、クラーケンを討伐した後、意識を失っていた風音の姿だ。
あのときは、風音の無事が分かるまでは気が気じゃなかった。
それに加えて、HPが0近くなって消滅の危機一歩手前だったグリフのことも。
俺は、弓月の帽子の上に乗っかっていたグリフに手を伸ばして、胸に抱きかかえる。
グリフは首を傾げて「クピーッ?」と鳴いた。
もしあのクラーケンが完全体であったなら、結果はどうなっていたか分からない。
俺たちのほうが全滅していた可能性すらも捨てきれない。
そしてヤマタノオロチの討伐ミッションは、クラーケンのそれよりも獲得経験値が上なのだ。
「……少し考える。二人とも、何か意見があったら言ってくれ」
「うん、分かった。ごめんね、こういうときいつも大地くんにばかり頼って」
「先輩はうちらの大黒柱っすからね。頼りにしてるっすよ」
「私も、大地くんのこと頼りにしてる」
風音の手が、俺の手をそっと握ってくる。
俺はその手を、やんわりと握り返した。
一方で俺は、姫様ことクシノスケが、怪物に頭からバリバリと食われる姿を想像する。
わずかに吐き気が催したが、我慢する。
若い娘を生贄に捧げて、事を済ませようとする。
この国を守るべき兵士たちは、いったい何をやっているのか──というと、どうやらシンプルに、大軍をもって挑んでも勝てなかったらしい。
すでに七人が生贄となっている。
時間は巻き戻せない。
俺たちの手で救える可能性があるのは、たった一人だけだ。
百年先の将来まで見据えれば、そうでもないかもしれないが。
「運命に導かれし勇者たち、か……。この運命が仕組まれたものだとするなら、誰の仕業だよ」
夜空に浮かぶ、雲の陰に隠れた半月を見て、俺はそう怨嗟の言葉を吐く。
砂漠の都ラダージャで出会った、ラシャド老と呼ばれた老人の言葉を思い出していた。
運命を司る神のようなものがいるとすれば、そいつは間違いなく善良な存在ではないだろう。
そんな余計なことを考えていると──
「せーんぱい♪」
「うわっ」
俺がぼーっとしていた隙に、いつの間にか背後に回り込んでいた弓月が、俺の背中に飛びついてきた。
そのまま子泣きジジイのように抱き着いて、へばりついてくる。
「……おい後輩、何の真似だ。情緒がぐちゃぐちゃになるからやめてくれ」
「暗いムードやっててもしょうがねぇっすよ。前向きに考えるっす」
弓月の声からは険がすっかり消え、いつもの明るい雰囲気に戻っていた。
「つまり、前向きにお前とイチャつけと?」
「んー、そこまですることもねーっすけど。暗くしててもいいことないっす。今のうちらにできることを考えるっすよ」
「まあ、それはな」
確かに弓月の言うとおりではある。
俺たちにはどうすることもできないことについて思い悩んでも、建設的な何かが生まれるわけでもないのだ。
「分かったよ。お前の言うとおりだ」
「何ならうちとイチャついてもいいっすよ?」
「いや、どっちなんだよ。ていうかお前に抱き着かれても、背中に柔らかいものが当たったりしないからな。別に嬉しくない」
ちなみにこれは嘘だ。
「なんだとーっ! 先輩のくせに贅沢言うなっす! そんな先輩にはこうしてやるっすよ!」
「ぐえっ。喉、締まってる。ギブギブ」
弓月の腕が俺の首に絡みつき、締め上げてくる。
そんな仲のいい兄妹みたいな仕草でも、とっくの昔に弓月を異性として意識してしまっている俺にとっては──まあ、うん、いろいろアレだ。
俺と弓月の関係性も、ずいぶん変わったもんだよなぁ。
──と、そんな他愛もないことをやって、気を紛らわせていたときだった。
「大地くん」
風音が発する警告の声。
それから一拍遅れて、俺もまた、背後から誰かが駆け寄ってくる気配を感じた。
速い。まともな速さじゃない。
覚醒者、それも──
弓月が俺の背後からパッと離れる。
俺も、すぐさま背後へと振り返った。
息を切らせて通りを駆けてきたのは、一人の女性だった。
長い黒髪を持った二十代後半ほどの和装美女で、腰には刀を提げている。
一目見て分かった。ただ者ではない。
覚醒者、それも──限界突破をしている。
俺たちが警戒している中、その女性はあと数歩のところまで駆け寄ってきて、足を止めた。
女性は俺たちのほうをまじまじと見ると、次に、なぜかその瞳から涙を流した。
何事かと思い見守っていると、その女性、今度は地面に両膝をつく。
そのまま公衆の面前で土下座の姿勢になり、俺たちに向かってこう叫んできた。
「頼む、このとおりだ! あなたたちの力を貸してほしい!」
突然訪れたあまりにも意外な出来事に、俺は風音、弓月と顔を見合わせたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます