第327話 将軍と姫

 すみません、機能の使い方をミスったのか分かりませんが、時間に投稿されていませんでした(13時頃、手動で投稿)


 なおここから三話、大地視点から離れます。



 ***



 クシノスケこと、トクヤマ将軍家当主の一人娘、クシナ姫。


 大地たちとともにエチゴヤに押し入った夜より二日後の夕刻、その姿はヤマタイの国の都オーエドにある、オーエド城の城中にあった。


 オーエド城の中心、本丸御殿の大広間は、およそ百畳にもなる畳敷きの広間だ。

 幅もさることながら、奥行きが特に広い。

 三段の段差を持つ広間は、手前から下段の間、中段の間、上段の間と呼ばれている。


 将軍トクヤマ・ナヅチが座するのは、大広間の最奥、上段の間だ。


 対して、旅より帰還したクシナが畏まるのは、大広間の最も手前に位置する下段の間であった。


「父上、ただいま戻りました」


 畳の上でひれ伏した姿で、クシナは父に帰還を報告する。

 それを受けた将軍は、鷹揚にうなずいた。


「うむ。我が娘クシナよ、おもてを上げよ」


「はっ、父上」


 ようやく顔を上げたクシナは、その視線の先にあった父の顔に、少し驚いた。


 下段の間から上段の間はやや遠いが、それでもはっきりと分かる。

 父の顔は、どこかひどく憔悴していた。


 それは娘の行く末を想う将軍の苦悩を物語るものであったが、そうした真実はクシナの知るところではない。


 将軍は疲れた顔に微笑みを浮かべ、娘に問う。


「クシナよ。必ず戻ってくると信じておったぞ。旅はどうであったか」


「とても有意義な旅でありました、父上。最期のわがままを許してくれたこと、心より感謝しております」


 最期のわがまま──クシナはその言葉を、さしたる重みも乗せずに言ってのけた。


 彼女は怪物ヤマタノオロチに捧げられる、八番目の「巫女」だ。


 今日までに、すでに七人の「巫女」が生贄となっている。

 最後にクシナが捧げられることにより、ヤマタノオロチは再び百年の眠りにつくこととなっている。


 クシナは生贄となること自体に、強く抗いはしなかった。

 自らにしか担えない役割なのだと知った彼女は、いくらかの葛藤はしたものの、やがて国の民のために己の命を捧げることを決意した。


 ただクシナは一つ、小さな願いを口にした。

 自らの最期の日を迎える前に、城を出て小さな旅をしてみたいと願ったのだ。


 将軍はその願いを聞きとげ、クシナの外出を許した。

 そして今日、将軍の娘はその旅より帰還したのだ。


 その上で彼女は、そんなことよりもとばかりに、別の話題を口にする。


「ところで父上、旅先で遭遇した出来事につきまして、父上にご報告したき議がございます」


「なんだ。遠慮なく申せ」


「はっ。ここより二日、西方の町の代官、オオハラ・ツグマサの悪行についてでございます」


「ツグマサの悪行だと? 詳しく申せ」


「承知しました。これは嘘偽りなき事実にございますが──」


 クシナは将軍に、二日前の夜に見聞きした出来事について語った。


 話を聞いた将軍は、その顔にわずかばかり怒りをあらわにする。


「事情は分かった。お前が偽りを申しておるとは思わぬ。信頼できる家臣を選び、あらたな代官として遣わせよう。ツグマサにはわしが直々に沙汰を下す。それでよいな」


「はっ。ありがとうございます、父上」


「元よりわしの失策だ。ツグマサのやつめ、そこまで愚かだとは思わなんだわ。──だがクシナよ、そのようなことに関わっていてよかったのか? もっとほかに、やりたいことがあったのではないのか」


「いえ、父上。どうやら私にとっては、そうしたことこそが『やりたいこと』であったようです。西方の異国より旅をしてきたという、快い冒険者たちとも出会うことができました。このような想い、不謹慎でありましょうが──私は、楽しかったのです」


「そうか。左様な世直しこそがお前の本懐だったというのか。ならば、もはや何も言うまい」


 将軍は瞳を閉じる。

 想い更けるように沈黙し、しばらくの後、再び口を開いた。


「明朝の出立だ。最後の夜を、思い残すことのないよう過ごしなさい」


「はい、父上」


 クシナが答えると、将軍は目を伏せ、それからおもむろに立ち上がった。


 驚く娘に向かい、将軍は歩み寄る。

 下段の間まで下って娘の前に立つと、ひざを折り、愛しき我が子を抱きしめた。


「すまない、クシナ。どうして……どうしてお前なのだと、お前が城を出ている間、ずっと考えていた……」


「父上……お心遣い、感謝します。しかしそれは贔屓でありましょう。すでに七人の『巫女』が、オロチへの贄として捧げられているのです。八人目の『巫女』、条件を満たしている者が私しかいないのであれば、是非もありません。将軍家の娘に生まれた私だけを特別扱いするのでは、通りませぬ」


「分かっている。だからこのようなことは、お前の前でしか言わぬ。将軍である前に、お前の父として、運命を呪わずにはいられぬのだ」


「愛していただいていること、嬉しく思います。ですからこれ以上、思い悩まれないでください。覚悟はできています」


 将軍と娘は、しばしの間、互いを抱きしめる。

 しかる後に、クシナは大広間より退出した。



 ***



 将軍へのお目通りを終えた後。

 クシナは本丸御殿の廊下を、一人歩いていた。


 すると彼女の対面からもう一人、年長の女性の武士モノノフがやってきた。

 その人物はクシナに気付くと、柔らかな微笑みを向けてくる。


「クシナ様。お戻りになられましたか。このミコト、クシナ様は必ず帰ってこられると信じておりました」


「ただいま、ミコト。皆それを言うね。私が一時の旅に出ると偽って、本当はどこかへ逃げるつもりだった──そう考えた者が、そんなに多いのかな」


「私や将軍様のように、クシナ様のお人柄をよく知る者ばかりではないのです。クシナ様のご出立前、将軍様に直訴をした家臣の数は、片手の指では足りません。姫を絶対に城の外へ出してはいけない──彼らは皆、そう訴えたのです」


「それは……知らなかった。それでも父上は、私に一時の自由を与えてくれたのだな。父上には感謝しきれないよ。おかげで楽しいことがたくさんあった」


「それは良かった。将軍様も家臣の訴えを退けた甲斐があったというもの。──クシナ様はこれから、どちらへ」


 クシナが女武士モノノフ──剣聖ミコトの隣を通り過ぎようとすると、ミコトもまた歩みを揃え、姫の隣をついていく。


「さて、どうしようか。旅帰りで疲れているから、まずは湯あみかな」


「ではクシナ様、私もお供させていただきたく。クシナ様が幼少の頃を抜けてより、ともに湯船に浸かったことはございません。どれほど成長したか、確かめて差し上げましょう」


 ミコトは立ち上がった熊のごとき、あるいは男が女に襲い掛かるがごとき仕草で、わきわきと手指を動かして見せる。

 それを横目に、クシナは苦笑する。


「怖いよミコト……。でも、いいな。ミコトとともに風呂に入るのは、久しぶりだ」


「では、そのように。クシナ様のお体がいかに美しく育っていようと、襲い掛からぬよう精進いたします」


「本当に怖いよ……。ミコトに本気で襲い掛かられたら、私の力では太刀打ちできないんだからな。勘弁してくれ」


「保証は致しかねますな」


「いや、してよ。待って私、本当にミコトに襲われるの? 貞操の危機?」


「ふふふっ、天にも昇る心地を味わわせて差し上げましょう」


「怖ぁっ……」


 そんな冗談を言いながら笑い合い、風呂場へと向かう二人。


 和気あいあいとした様子ながらも、見る者が見れば、そこには踏み込んだ話題を避ける怯えと気遣いがあることに気付いたであろう。

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