第282話 冒険者の勝負

「テメェに用はねぇんだよ雑魚が。退いてろ。その女はテメェにはもったいねぇ」


「断ります。あなたの指図に従ういわれはありません」


 俺は目の前に立つ大柄な男──ゲルゼルを睨み返す。

「その女はテメェにはもったいねぇ」の部分にうっかり同意してしまいそうになったが、それは心のうちにしまっておく。


 周囲の冒険者たちから「おい兄ちゃん、やめとけ!」「ゲルゼルには逆らうな。痛い目を見るぞ」などと声が聞こえてくるが、ひとまずスルー。


 俺の隣では、弓月がこんな言葉を口にする。


「何すかこの失礼なおっさんは。態度が馬鹿デカいにもほどがあるっすよ」


 するとゲルゼルが、今度は弓月に視線を向けた。

 再びその口角が上がる。


「ほう。こっちのガキも、よく見りゃかわいいツラしてんじゃねぇか。ちぃと乳くせぇが、合格点だ。よし、お前も俺のもとに来い。そっちの黒ずくめ女と一緒にたっぷりとかわいがってやるよ。お前も将来は美人になりそうだしな」


「……はあ? アホっすか? マジで何なんすかこいつ。クソキモいんすけど」


 弓月も一瞬でキレた。


 このゲルゼルという男、ある意味ですごいな。

 俺も含め、俺たちのパーティ全員を一瞬にしてキレさせやがった。

 外付け瞬間湯沸かし器として優秀すぎる。


 小型化状態のグリフォンも、弓月の魔導士帽の上で「クピッ、クピーッ!」と鳴きかけて、目の前の大男に対して敵意をあらわにしていた。


 だがゲルゼルという男は、誰にキレられようが意に介した風もない。


「はははっ! こっちのガキも気が強ぇな。ますます気に入ったぜ。二人とも俺のものにしたくなった」


 ゲルゼルは、今度は弓月のほうへと歩み寄ろうとする。

 弓月は俺の手をそっと掴んで、俺の背後に隠れるように動いた。


 俺は目の前に立つ不快な男に向かって、もう一度、怒気を隠さない声をぶつける。


「いい加減にしてください。あなたがどこのゲルゼルさんか知りませんけど、度の過ぎた言動は看過できません。そもそも風音も弓月も──二人とも、俺の女です。人の彼女に堂々と粉をかけないでもらえますか」


 また「俺の女」とか言ってしまった。

 こっちの世界に来てからこのパターン多いな。


 風音と弓月が、うん、うんと首を縦に振ってなおも俺に寄り添ってくる。

 客観的に誰が見ても、親密な関係であることが丸分かりな距離感だ。


 だが目の前の男は、それでもまったく動じる素振りを見せなかった。


「ほう、言うじゃねぇか、なよっちい青二才の色男がよ。で、看過できねぇならどうするってんだ? まさか俺とやり合おうってんじゃねぇだろうな。俺が誰だか知らねぇのか?」


「ええ、知りませんね。あちこち旅をしているもので。それにどこのゲルゼルさんだか知らないと、すでに言ったかと思いますが。耳が遠いんですか?」


「いい度胸だ。なら望み通り、テメェをここで再起不能にして──」


「あ、あの! ギルド内での、というか、街中での暴力行為は禁止されていますから」


 そう口を挟んできたのは、ギルドの受付嬢の一人だった。

 だがゲルゼルに睨みつけられると、「ひっ」と声をあげてへたり込んでしまう。


 今やギルド職員も冒険者たちも、ギルド内にいるすべての人が、俺たちとゲルゼルとの騒動を注視していた。


 そのことに気付いたゲルゼルは、不愉快そうに顔をしかめて舌打ちをする。

 無法者は、俺の手にあったクエストの貼り紙をチラリと見ると、肩をすくめてこう言った。


「分かってるよ。俺も冒険者だ、冒険者同士の暴力沙汰がご法度だってことも当然知っているさ。──おい、モンスター討伐のレイドクエストだ。オーガとヒルジャイアントの。持ってこい」


「へ、へい、ゲルゼルさん」


 取り巻きの一人が、クエスト掲示板から一枚の貼り紙を剥がし、ゲルゼルに渡した。

 それは俺が手にしているものと同じ内容のものだ。


 ゲルゼルはそれを俺たちに見せ、ひらひらと弄ぶ。


「おい色男。テメェがどれだけ雑魚で無能か、格の違いってやつを教えてやるよ。冒険者らしくクエストで勝負だ。負けたほうが勝ったほうの前で土下座して、靴を舐める。そしてこう言うんだ。『あなた様のお力に感服いたしました。わたくしごときが生意気を言って申し訳ありませんでした』とな。どうだ」


「はあ……」


 どうだ、と言われても、そんな勝負になんの意味があるのかまったく分からない。

 俺はお前に靴を舐められても嬉しくもなんともないのだが。


 そもそも何の話をしていたんだっけか。

 確か──ああそうだ。


「風音と弓月にご執心だったようですけど、その内容でいいんですか?」


「女どもを直接渡せといったところで、ヘタレのお前は承知しねぇだろ? だからよ、女のほうに選んでもらうのよ。雑魚で無能で無様に這いつくばるお前と、それをひざまずかせた俺と、どっちが自分に相応しい男なのかをな。女は本能に忠実だ。分かるだろ?」


「なるほど。まったく分かりません」


 と言いつつ情景をイメージしたら、目の前の男が何を言いたいのか、少し分かってしまった。


 俺がこの男の前で土下座し、靴を舐め、完全敗北の言葉を述べる。

 風音や弓月がそんな俺の姿を見たら、どう感じるか──それを想像すると、この男の言い分もあながち大外れでもない気がしてくる。


 ただいずれにせよ心底バカバカしい勝負だ。

 こんなもの受けたって、何の意義もない。


 だが、それでも──


 俺の中にわずかに存在する「男」の部分が、ここで退いたらダメだと訴えていた。

 こういうバカには、分からせてやらないといけない、と。


 しかも困ったことに、この勝負を受ける「意義」のほうも、ピコンッと音を鳴らして現れてしまった。


───────────────────────


 特別ミッション『ゲルゼルとの勝負を受け、勝利する』が発生!


 ミッション達成時の獲得経験値……50000ポイント


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 俺は一つ、大きくため息をついた。


 それから風音と弓月のほうを見る。

 二人は俺の目をまっすぐに見て、うなずいた。


「大地くんさえよければ、受けてやりなよ。こんなやつ、けちょんけちょんにやっつけてやればいいんだよ」


「うちも風音さんと同意見っす。ここで引き下がっても腹立つばっかりっすよ」


 すると俺たちの様子を見たゲルゼルが、鼻で笑ってきた。


「ハッ、なんだ色男。男のくせに、女の意見を聞かねぇと決めることもできねぇのか」


「──っ! あのねぇ! 大地くんは、あなたみたいなのと違って、私たちの意志を尊重してくれて──」


 食ってかかろうとする風音を、俺は手で制する。

 風音は「……分かった、大地くんに任せる」と言って退いた。


 俺はゲルゼルに向かって静かに、力を込めて返答をする。


「その勝負、受けます。詳しい内容を聞きましょうか」


 ゲルゼルが一瞬びくりと震え、わずかにたじろいだように見えた。


 俺よりも頭半分は背が高く、体格もガッチリした大男は、額にかすかな汗を浮かべてこう返してくる。


「チッ……そんな目もできるとはな。いいぜ、ゲームを始めようじゃねぇか。テメェと俺との格の違いってやつを教えてやるよ」

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