第277話 封印の洞窟

 目指す洞窟は、海底都市からそう遠くない場所にあった。


 人魚族の王の案内で、目的の海底洞窟の前までやってきた俺たちは、すぐさま洞窟の中へと潜っていく。


 人魚族の戦士たちの人数は、四本腕のサハギンとの戦いで四人ほど減らされていた。


 戦闘不能になっただけではあるが、一度HPが0になって意識を失えば、治癒魔法で回復してもすぐに戦線復帰することはできない。


「でも大地くん、あの四本腕はどうして王宮に戻ってきたんだろ? あいつが群れのボスじゃなかったのかな」


 海底洞窟の中、人魚族の戦士たちが持つ不思議な灯りを頼りに泳ぎ進みながら、風音がそうつぶやく。


「サハギンたちも一枚岩じゃなかったのかもしれないな」


「その『司祭』とかいう女サハギンが、あの四本腕を裏切ったってことっすか?」


 弓月がそう聞いてきたので、俺はうなずいてみせる。


「そう考えれば辻褄は合う。動機は分からないが」


 いずれにせよ、その女サハギンの行動を止める必要がある。


 人魚族の王の話によると、生贄を使ってクラーケンを完全復活させるには、ある程度の時間をかけてゆっくりと生き血を注ぐ必要があるのだという。


 急げばまだ間に合う。そう思いたかった。


 総勢十人を超える戦士一行が洞窟を進んでいくと、やがて扉がある突き当たりにたどり着いた。


 石造りの荘厳な大扉の傍らには、台座があり、紫色のオーブが配置されている。

 どこかダンジョンのボス部屋に似た雰囲気だ。


 大扉はしっかりと閉じられている。

 扉は合言葉によって開かれ、しばらくすると自動的に閉じる仕組みなのだという。


「エル、ラディール、レグマ、アグラストラ」


 人魚族の王はオーブに手を置いて、合言葉を唱える。

 石造りの大扉が音を立て、ひとりでに開いていった。


 扉が完全に開ききるのを待つことなく、王を筆頭として、人魚族の戦士たちが扉の奥へと進んでいく。

 俺たち三人も、その集団に混ざった。


 扉の先、なおもうねうねと曲がる洞窟を進み、やがてたどり着いたのはかなりの広さを持つ大広間だった。


 広間の奥には、タコともイカともつかない不気味な姿をした巨大モンスターが伏していた。


 モンスターの全体の大きさは、その巨体でのしかかれば大型船をもゆうに転覆させてしまいそうなほど。

 十本ほどもある触手は、一本が人間の胴よりも太く、長さは十メートルをゆうに超えるだろう。


 そのドラゴンすらも凌駕すると思わせる巨大モンスターの上に、神々しい輝きを放つ一本の槍が突き刺さっていた。


 どくん、どくんと脈動する怪物を、槍からあふれる輝きが覆い、今にも動き出さんとする邪悪な力を必死に抑え込んでいるように見える。


 その槍の傍らには、二つの人影があった。


 一つは、フード付きローブのような形状の漆黒の衣装をまとったサハギン。


 もう一つは、水着を身に着けた人間の女性──すなわちレベッカさんだ。


 レベッカさんは意識を失っている様子で、ぐったりとした姿でサハギンの腕に抱かれている。


 サハギンは手にした短剣をレベッカさんの右胸に突き刺していて、あふれ出す血が足元にいる怪物へと垂れ落ちていた。


 この状況を見れば、やるべきことは瞭然だった。

 なおこの段階で、俺は一つ自分たちのミスに気付いたが、悔いている場合ではない。


「風音!」

「分かってる! ──レベッカさんを放せ!」


 いち早く飛び出した風音が、二本の短剣を手に黒衣の女サハギンへと泳ぎ迫る。


 だが距離があり、さすがの風音でも瞬く間にたどり着くようなことはできない。


 黒衣の女サハギンは、俺たちの姿を見て、一瞬だけためらう様子を見せた。


 だが次の瞬間には、傍らにあった神々しい槍を、思い切りよく怪物の体から引き抜いた。


 黒衣の女サハギンは、レベッカさんの体を放り捨て、忌々しげに吐き捨てる。


「お前たち、どうしてここに……! これでは完全復活が成らないではないか! 我が神が求める真の殺戮と混沌には、これでは遠く及ばない! よくも、よくも──!」


「レベッカさん!」


 風音は進路を変えて、放り捨てられたレベッカさんの体を抱きとめる。


 それとほぼ同時、同じく飛び出していた人魚族の戦士たちが、黒衣の女サハギンを槍で一斉に貫いた。

 黒衣の女サハギンは断末魔の悲鳴をあげ、動かなくなる。


「大地くん、レベッカさん生きてるよ!」


 風音がそう伝えてくる。

 ほぼ同時に、ミッション達成の通知音が鳴った。


───────────────────────


 特別ミッション『サハギンに囚われた冒険者レベッカを救出する』を達成した!

 パーティ全員が100000ポイントの経験値を獲得!


 六槍大地が45レベルにレベルアップ!

 小太刀風音が45レベルにレベルアップ!

 弓月火垂が46レベルにレベルアップ!


 現在の経験値

 六槍大地……966254/1024289(次のレベルまで:58035)

 小太刀風音……984146/1024289(次のレベルまで:40143)

 弓月火垂……1060071/1144382(次のレベルまで:84311)


───────────────────────


 この段階で、サハギンに囚われていたレベッカさんの救出は完了したことになるようだ。


 それなら、これでミッションは達成だ。

 用事は済んだし、万事解決、大団円。


 あとはサハギンどもも打倒されて平和になった海底都市まで凱旋すれば、残るはエンディングを待つのみだ──


「──と、そうは問屋が卸してくれないよな。……くっ!」


 先刻から脈動していた巨大モンスターから、恐ろしいまでのプレッシャーが襲い掛かってきた。


 見れば、神槍から供給されていたモンスターを覆う光の膜は、邪悪な力に呑み込まれるようにして儚く霧散していた。


 黒と紫が混ざったような禍々しい色の波動が、怪物を起点に荒れ狂う。


 近くにいた人魚族の戦士たちは、暴風に吹かれたように弾き飛ばされた。

 人魚族の王──黒衣の女サハギンから奪った神槍を、今一度怪物に突き刺そうと試みながらも、不可視の障壁に阻まれ続けていた──も含めてだ。


「くぅっ……! せ、先輩……今のうちなら、まだ逃げられるっすかね……?」


 怪物が放つ力に吹き飛ばされないように踏ん張りつつ、弓月が聞いてくる。

 俺は内心で冷や汗をかきつつ、答える。


「無理だろうな。俺の探索者シーカーとしての直感がそう言ってる。逃げる暇があったら、今のうちに補助魔法でも使っておいたほうがよっぽど建設的だってな」


「奇遇っすね。うちもなんとなく、同じことを思ってたっす」


「大地くん、お待たせ!」


 レベッカさんの体を広間の外まで退避させた風音が、俺と弓月のもとに合流した。

 グリフォンは俺たちの隣で、怪物に向かって威嚇するような声を上げている。


 大広間の奥にいた巨大な怪物が、地面に横たえていたその身を起こした。


 イカともタコともつかない、著しく巨大で禍々しい姿。

 吹き荒れていた邪悪な波動は収まったが、不気味さと重圧を兼ね備えた怖気のするような感覚はいまだに残っている。


 そのとき弓月が叫ぶ。


「先輩、今まで『UNKNOWN』だった【モンスター鑑定】が通ったっす! モンスター名は『クラーケン(不完全体)』! HP1800、攻撃力110、防御力135、敏捷性55、魔力65、弱点や耐性属性は特になし! 特殊能力は『触手乱舞』『稲妻の嵐』『無敵状態』っす!」


「へぇ。思ったよりは良心的というか、現実的な数字だな」


 数字だけ見れば、これまで戦った各種ドラゴンやファイアジャイアントなどと比べて、それぞれ数割増し程度だ。

 これならやれるんじゃないかという気持ちが湧いてくる。


 さらにこのタイミングでもう一つ、ピコンッ。


───────────────────────


 特別ミッション『クラーケン(不完全体)を討伐する』が発生!


 ミッション達成時の獲得経験値……150000ポイント


───────────────────────


 ダメ押しするように特別ミッションの通知が来た。

 加えて、そこに──


「ヒト族の勇者よ、この槍を使うのだ!」


 人魚族の王が、その手の槍を投げつけてきた。

 その槍──魔獣クラーケンを封印していたという神槍は、俺のすぐ前の地面に突き刺さる。


 俺は何かに導かれるようにして、自らの手にあったアルシェピース──今の待ち時間に弓月から【ファイアウェポン】をかけてもらっていた──を放り、目の前の地面に突き刺さった神槍を引き抜いた。


 槍から俺の体に、強い力が流れ込んでくるのを感じる。

 体の内側から力があふれてくるようだ。


「弓月、悪い。この槍に、もう一度【ファイアウェポン】をかけ直してもらえるか」

「りょ、了解っす!」


 弓月の補助魔法で、手にした神槍の穂先にあらためて魔法の炎が宿った。


 また【ファイアウェポン】以外にも、いつもの補助魔法セットである【プロテクション】と【クイックネス】は、今の猶予時間に俺たち三人とグリフォンにはひと通りばら撒き終えていた。


 もう少し時間があるようなら、人魚族の戦士たちにも補助魔法を全掛けできるのだが──そう思っていたときだった。


 ぞわっとするような闇色の波動が怪物の体から奔って、俺たちを薙いだ。

 風音と弓月がびくりと震え、武器を構える。


「大地くん!」

「ああ、分かってる」

「『無敵状態』解けたっす!」


 ──ウォオオオオオオオオオッ!


 どこにあるのかも分からない怪物の口から、はるか海の果てまで届くのではないかと思うような唸り声があがった。

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