第275話 災厄の魔獣

 人魚族の戦士たち、それに王と王妃を、地下牢から解放した俺たち。

 今は彼らとともに、地下から一階へと向かう螺旋状の通路を泳いでいた。


 人魚王の話は、ひとまず地下牢から出て、移動しながら話を聞くことになった。


「かつて人魚族の英雄が手にしたという『神槍』と、その槍によって封印された伝説の魔獣、ですか……」


 俺は人魚族の王から聞いた話をオウム返しにする。

 人魚の王は、おもむろにうなずいた。


「その通りだ、ヒト族の勇者よ。この集落の近くにある洞窟の一つに、封印の間へと至る扉がある。だがその扉は、合言葉を唱えなければ絶対に開かぬのだ。あの四本腕が扉に至ろうとも、何もできずに引き返してくるしかない……はずだった」


「ところがその合言葉を知っているサハギンがいた──と、そういうことですか」


 そう相槌を打つのは風音だ。

 人魚の王は再びうなずく。


「ああ。我らが部族の王族にのみ代々伝わる合言葉だ。あの女サハギンがどうやってそれを知り得たのか……いくつか心当たりはあるが、いずれにせよそれは今考えるべき問題ではない。とにかくあやつは、わしの前で正しい合言葉を口にしたのだ。やつがいれば封印の間への扉が開かれてしまう」


「その封印されてる魔獣って、どんなやつなんすか? 世界を恐怖のどん底に陥れる大魔王みたいなやつっす?」


 弓月が口を挟む。

 人魚族の王は、震える声でこう口にする。


「その災厄の魔獣の名は『クラーケン』。かつて我らが部族の英雄王ですら打倒することかなわず、その槍の力を使って封印するよりほかになかったという最悪の怪物だ」


「うげぇっ……。『クラーケン』って、マジっすか」


「それは……大地くん、『クラーケン』って確か、討伐ミッションにあったよね?」


「ああ。手持ちのミッションで獲得経験値が一番高いミッションだから、よく覚えてる。ここで遭遇するとしたら最悪だな」


 海の中なのに、冷や汗が出てくる気分だ。

 恐怖の大魔王とかいうよりも具体性と現実味があるだけ、逆に怖いモンスター名だった。


 俺たちの未達成ミッション一覧にある中で、最も獲得経験値が高いのが「クラーケンを1体討伐する」(20万ポイント)だ。

 その獲得経験値から、脅威度は推して知るべしだろう。


 ……で、そのクラーケンがどうしたって?

 封印が解かれる?

 マジで言ってんの?

 そろそろ本気で帰っていいかな。


 いや、レベッカさんはその司祭とか呼ばれていた女サハギンに連れていかれたらしいんだけど。

 ミッション達成のためには追いかけざるを得ない。


「でもレベッカさんは、どうして連れていかれたんだろ?」


 風音が疑問を口にする。

 人魚の王は、沈んだ表情で首を横に振る。


「おそらくは魔獣クラーケンを完全復活させるための生贄だろう。戦士の力を持つ乙女の生き血が必要なのだ」


「乙女って……。てかその前に、何すかその邪悪仕様の封印は? 英雄とか神様の力で封じたんじゃなかったんすか? 実はその神様、邪神っすか?」


「何を言う。神の封印から邪悪な魔獣を解き放つための儀式なのだ。さもあろう」


「うーん、なるほどっすかね……?」


 弓月が微妙に納得いかない様子で首を傾げる。

 まあ気持ちは分かる。


 ただはっきりと言えるのは、その手の超常現象に今更ケチをつけても始まらんよなということだ。


 こういう原理が分からない現象に遭遇したとき、必要なのはゲームプレイ思考だ。

 俺たちの目的は何で、そのためには今、何をするべきか。


 俺は風音と弓月に近寄るように手招きして、二人に小声で伝える。


「選択肢は主に二つだな。レベッカさんや人魚族を見捨てて逃げるか、立ち向かうか」


 すでに決断はしたが、状況がまた大きく変わった。

 再検討が必要だろう。


 少しの沈黙の後、風音と弓月が口を開く。


「……私は、見捨てたくはないな」


「うちも同じっす。毒を食らわば皿までって言うっすよ。皿まで食うっす、バリバリと」


 まあそう言うだろうなとは思っていた。


「俺は……前にも言ったけど、風音と弓月のことが一番大事だ」


 俺は意を決し、左右から近寄ってきた二人の肩に腕を回して、両腕で抱き寄せた。

 抱き寄せられた風音と弓月は、どちらも目を丸くし、頬を赤く染める。


 俺は一つ息を吸ってから、吐き出し、それから二人に伝える。


「でも、ここで彼らやレベッカさんのことを見捨てて後悔はしたくないし、風音と弓月にも同じ後悔をさせたくない。二人も望むなら是非もない、一緒に行こう。そして絶対にみんなで生きて帰る。いいな」


「うん!」


「もちろんっす! 先輩はときどき思い出したように性格イケメンになるっすね♪ それじゃ先輩、さっきの何でも一つお願い聞いてくれるっていうの、今使うっすよ」


「ん……?」


 弓月は泳いで俺の前に出た。

 俺が何事だと思っていると、弓月は両手で俺の頭を引っつかんできた。

 そして──


「──んむっ!?」


 弓月は、そのまま有無を言わせず、俺の唇に自らの唇を重ねてきた。


 ……は?

 こいつこのタイミングで何やってんの???

 くらくらして理性飛びそうになるんですけど?????


 弓月は唇を離すと、耳まで真っ赤にした顔で、にへっと笑いかけてくる。


「レベッカさんを助けて、全部終わったら続きをするっす。先輩はスケベだから、こうすると死ねなくなるっす。──あ、風音さんもいいっすよ。どうぞっす」


 弓月が俺から離れていく。


 横でおろおろしていた風音が「え、私もいいの?」と聞くと、弓月は「あんなご褒美の約束、独り占めにするつもりもないっすよ」と答えた。


 そのあとの風音の行動は速かった。


 俺に左腕で肩を抱かれた状態から、するりと正面に回って、顔を近付けてきて、弓月と同じように俺に唇を重ねた。


「ぷはっ。……えへへっ、大地くん、一緒に生きて帰ろうね」


 そう言って、にっこりと笑いかけてきた。


 ……どうしよう、この二人。

 俺、幸せ過ぎてそろそろ死ぬんじゃないかな。


 いいや、ダメだ。

 誰が死んでやるものか。


「分かった。レベッカさんも人魚族も助けて、俺たちも生きて帰る。必ずだ」


 俺はそう、決意の言葉を口にした。


 なおこのやり取りの際、あえて周りは見ないことにした。

 人魚族の戦士たちが並んで泳いでいる中で行なった暴挙である。


 もはやバカップルどころの騒ぎではないが、これは多分、あなたがたに助力するために必要な儀式だったので許してほしい。

 ていうか許して。見なかったことにして。


 とまあ、そんなことをしながら泳いでいると、俺たちは王宮の一階へとたどり着いた。


 大変不用心なことに、人魚族の戦士たちの武器も地下牢に放置してあったし、戦闘準備は整っている。

 このまま王宮を出て、一刻も早くサハギンどもを追いかけるべきだ。


 そう思い、俺たちは王宮の出口を目指して泳いでいこうとしたのだが──


 そのとき風音が、ピクリと反応した。

 風音は王宮の出口を厳しい視線で見据えて、俺たちに注意を促す。


 人魚族の戦士たちの中にも【気配察知】持ちがいるようで、同じように周囲に警告を飛ばしていた。


 わずかの後、王宮の出口の外から、こんな声が聞こえてきた。


「えぇい忌々しい! 何だあの扉は、一向に開かんではないか! このサハギン王にとんだぬか喜びをさせおって!」


 別にクラーケンの騒ぎで、そいつのことを忘れていたわけでもない。

 ただ、このタイミングで遭遇する可能性については、あまり想定していなかった。


 王宮の出口に姿を現したのは、三体のサハギンと、一体のサメ型モンスター。


 そしてサハギンのうちの一体は、類まれな巨体を持った四本腕の個体だった。

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