第144話 二股

「大地くん、もうそろそろ気付こうよ。いい加減に、火垂ちゃんがかわいそうだよ」


「……っ!?」


 いつの間にか、風音さんがすぐそばにやってきていて、俺の耳元でそう囁いた。


 風音さん、ときどき気配をなくして間合いに入るのはやめてほしい。

 心臓に悪い。


「そ、それは、どういう……?」


「どういうも、こういうもないよ。ずーっと、私と火垂ちゃんは結託してました。気付いてないのは大地くんだけ」


「え……それって……」


 待て待て、落ち着け。

 落ち着いて話を整理しよう。


 まず──外れていたらクソ恥ずかしいけど──弓月は俺のことが好きな気がする。

 兄妹とかじゃなくて、男女的な意味で。


 いつからかは分からないけど、最近の弓月の態度はそうとしか思えないときがある。

 俺の自意識過剰でなければの話だが。


 その上で、風音さんもそう認識しているふしがある。

 つまり風音さんも、弓月が俺のことを男女的な意味で好いている、と認識している。


 その状況下で、風音さんは俺に、弓月の気持ちに気付けという。

 そうしたら、どうなるのか。


 俺が弓月の好意を受け入れるとしたら、俺は二股をかけることになる……よな?

 どうして風音さんがそれを支持するのか。


 風音さんは、なおも耳元で、甘い声で囁いてくる。


「私は大地くんに、『二股をかけていいよ』って言ってるの。でもその代わりに、私と火垂ちゃん、二人ともを幸せにしてほしいな」


「えっ、と……」


 頭が真っ白になる。

 いま何を言われたのか、にわかに理解できない。


「私と火垂ちゃんは、とっくに覚悟してる。あとは大地くんの覚悟だけ。──お願いだよ、大地くん。こんな私と、火垂ちゃんを受け入れて」


 妖艶だった風音さんの声に、わずかに不安の色が混ざった。

 ここで俺がノーと言ったら、壊れてしまいそうな脆さをはらんだ声。


 俺はこう答えた。


「ごめんなさい、風音さん」


「えっ……?」


 風音さんの声に、ガラスにヒビが入ったような響き。


 ち、違う違う。誤解されている。

 俺は慌てて付け加える。


「いや、そうじゃなくて──俺、本当は風音さんのことも、弓月のことも好きなんです。今、はっきりと気付きました。二人とも大好きです。愛おしくてたまらないです。風音さんにも、自分にも嘘ついてました。ごめんなさい」


「な、なぁんだ、そういうことか。もう心臓に悪いよ、大地くん。私いま、死んだかと思ったよ」


 風音さんの声に、安堵の音色が戻った。


「す、すみません。俺も、言葉を選んでいる余裕がなくて」


「でもよかった。こんな私たちのこと、受け入れてくれるんだ」


「当たり前です。俺のほうがそれ断るとか、あり得ないでしょ」


「でも告白するほうは不安なんだよ。──ていうか大地くん、また気付かなかった! いつもいつも、私や火垂ちゃんにばっかり告白させて!」


「面目次第もございません」


「じゃあほら、せめて火垂ちゃんには、ちゃんと」


「うっ……。で、ですよね」


 当の弓月はというと、俺と風音さんの会話の様子を、ずっとチラチラと伺っていた。

 俺は一度深呼吸をしてから、呼びかける。


「弓月」


「は、はいっす!」


 弓月は、いつになく緊張した様子で、背筋を伸ばして俺と向かい合った。

 死ぬほどドキドキしている感じの、かつて見たことのない妹分の顔。


 俺は意を決して、両腕を弓月の背に回し、その華奢な体を強く抱きしめる。


「弓月、大好きだ。今まで気付かないふりしてた。俺、嘘ついてたよ。ごめん」


「うっ……ぐすっ……ほ、ホントっすよ……! 先輩の……先輩の、バカぁっ……!」


 弓月は泣きじゃくって、俺を抱きしめ返してきた。

 俺はそんな妹分を片腕で抱き、もう片方の手で頭をなでる。


 なお三人の世界に入っていて気付かなかったが、アリアさんはいつの間にかかなり離れた場所に退避して、崖の陰からキャーキャー言いながら俺たちの様子を見守っていた。

 なんか本当、申し訳ない。


 と、そんな一幕がありつつも──


 やがて俺たちは、崖の一角にぽっかりと口を開けた、洞窟の入り口へとたどり着いたのだった。

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