第140話 出発

「飛竜の谷」の最寄りにある村までは、馬を使って移動した。


 アリアさんは乗馬の技術を修得していたし、俺や風音さん、弓月も未経験なのにどういうわけか馬を乗りこなすことができた。

 これも探索者シーカーの能力の一環のようだ。


 村に馬を預けて、そこからは徒歩の旅だ。

 人里から離れて、険しい自然の地へと踏み入っていく。


 道中では特にモンスターと遭遇することもなく、初日の旅は順調に進んだ。


 明るいうちは移動を続け、夕刻を過ぎて暗くなってきたら、野営の準備を始める。


 アリアさんは貴族の娘とは思えないほどテキパキと、焚火の用意やテントの設営など諸々の仕事をこなしていった。


 どちらかというと不手際なのは、現代の都会っ子である俺たち三人のほう。

 首を傾げるアリアさんの指示を受けつつ、どうにかこうにか野営の準備を行っていった。


 すっかり暗くなった頃には、焚火を囲んで夕食を始める。


 干し肉やチーズ、野菜やドライフルーツなどを使って、女性陣が見事な晩餐を用意してみせた。

 俺も最低限の料理はできるつもりだが、限られた食材でここまで本格的にはできる気がしない。


「はい、大地くん。あーん」


 そしていつぞやのように、風音さんが俺に料理を食べさせてくる。

 恥ずかしいけど、抵抗は許されない空気感だ。


「あ、あーん……むぐむぐ……」


「どう、おいしい?」


「は、はい。すごくおいしいです」


 そこまでしてアリアさんを威嚇しなくてもいいじゃないかと思うのだが、俺もちょっと嬉しいので流されるままだ。


 なんていうか、すごく恋人感がある。

 風音さん、普段は二人だけのときにしかこういうことをやろうとしないので、せっかくなので堪能しておこうと思う。


 そんな状況下。

 焚火を前にして、俺の左手側に風音さんが寄り添っているのだが。


 その逆側、右手側には弓月がいて、何を思ったかこっちも、スープをすくった自分のスプーンを俺に向けてきた。


「先輩、こっちからも、あーんっす」


「いや、風音さんはともかく、なんでお前まで」


「なんすか。風音さんのさかずきは受け取れて、うちの杯は受け取れないって言うんすか?」


「どこの組のものだお前は。そもそも風音さんと弓月とじゃ立場が──むぐっ!?」


「うるせぇっす! 先輩はおとなしくあーんしてればいいんすよ!」


 スプーンを無理やり口にねじ込まれた。


 何なのこいつ? 反抗期?

 いや反抗期はもともとか。

 どっちかというとデレ期というか……妹分のツンデレ期到来?


「もう、火垂ちゃん。それじゃダメだよ」


 風音さんがくすくす笑いながら、弓月にツッコミを入れる。


「だって風音さん、先輩が」


「気持ちはわかるよ火垂ちゃん。ほら、おいで。お姉ちゃんがよしよししてあげる」


「うわぁん、風音お姉ちゃ~ん。ひしっ」


 弓月が風音さんに飛びついた。

 風音さんはそれを抱きとめると、子供をあやすように弓月の頭をなでなでする。

 なんのこっちゃ。


 ちなみにアリアさんはというと、そんな俺たち三人の様子を、焚火の向こう側でしょんぼりしながら見つめていた。


 孤独感を味わわせているようで、なんかごめんなさいという気分になる。

 えーっと……何かアリアさんを巻き込んで会話を……そうだ。


「アリアさん、この先の道程を、もう一度確認させてください。今日はここで見張りを立てながら交代で就寝。明日の朝に出発して、昼前には『飛竜の谷』に入る予定──で、あってますよね?」


「え、ええ。そうですわね。そこから目的地である谷の奥地に行くには、ワイバーンの出没地帯である一帯を抜けて、さらにヴァンパイアバットが現れる洞窟をくぐり抜ける必要がありますわ」


「で、その飛竜の谷の奥地に、目的の薬草がある。でもそこには──」


「ええ、エアリアルドラゴンが待ち受けていると言われていますわ」


「そこがゴールってわけですね」


 道のりは至ってシンプルだ。

 遭遇するモンスターを乗り越えられるかどうかがポイントになる。


 と、ここで弓月がふと疑問を挟んでくる。


「そういえば先輩、ワイバーンとかエアリアルドラゴンって、空飛ぶんすよね? うちは魔法攻撃メインだからいいっすけど、先輩とか風音さんは戦いにくくないっすか?」


「まあな。キラーワスプみたいな低空飛行タイプとも違うらしいし、それなりに厄介ではあるな」


 弓月が言うとおり、【三連衝】がメイン火力である俺や、短剣二刀流による物理攻撃が主力の風音さんは、飛行能力を持ったモンスターとは相性が悪い。

 相手が空中にいたら、近接攻撃が届かないからだ。


 俺も風音さんも一応の魔法攻撃はできるが、物理攻撃と比べるとはるかに威力が低い。

 相手が上空にとどまって攻撃してくるようであれば、弓月の魔法が頼みになりかねない。


「でもワイバーンは、向こうも遠隔攻撃を持ってないからね」


 そう言うのは風音さんだ。


 風音さんは弓月をそっと退けて立ち上がると、手にしたチーズを頭上にポーンと投げて、腰の鞘から二本の短剣を抜き取る。


 チーズが落ちてきたところで、シュパパパッと短剣を振るった。

 細かく分割されたチーズが、用意されていた皿の上に落ちる。


「向こうも攻撃するには下りてこないといけないから、そこが狙い目だね。──はい大地くん、あーん」


「あ、あーん……むぐむぐ」


 短剣をしまってしゃがんだ風音さんが、指でチーズをひと欠片つまんで俺に食べさせてくる。


 言いなりになってチーズをパクッとした俺は、風音さんの指をちょっとしゃぶってしまった。


 風音さんはその指をぺろりとなめて、んふふっと笑いかけてくる。

 天然サキュバスかな?


「だからワイバーンはいいとして、問題はエアリアルドラゴンだね。こっちは『ウィンドブレス』っていう特殊攻撃があるみたいだけど。それも連続しては撃てないって書いてあった」


「ええ。一度撃ったらしばらくクールタイムがあるから、その間は近接攻撃しかできないらしいですね」


 ドラゴンには口から吐く「ブレス」という攻撃手段がある。


 ブレス攻撃は魔法攻撃相当であり、中距離からの遠隔攻撃が可能であることに加えて、広範囲をまとめてなぎ払ってくる。

 厄介な特殊能力であることは間違いない。


 ただブレス攻撃は、短時間に連続して放つことはできないとのこと。

 一度撃ったら二十秒程度のクールタイムが必要らしいので、そこに付け入る隙があるはずだ。


「あと今回、もう一つ重要なポイントがあります」


「重要なポイント? それって『モンスターは逃げることはない』かな?」


 風音さんの言葉に、俺はうなずく。


「そうです。自分がどれだけ危機的な状況にあっても、一度戦闘状態に入ったモンスターは狂戦士バーサーカーのごとく襲い掛かってくる。そのことが今回は、俺たちにとってプラスに働きます」


「飛んで逃げられることがないのは、やりやすくていいっすね」


 逃げられてしまっては、ミッションが達成できない。

 経験値30000ポイントをみすみす逃すわけにはいかないのだ。


 一方でアリアさんは、首を傾げる。


「……? でも逃げてくれたなら、それはそれで万々歳な気がするけれど……」


「あ、いえ、まあ……。どっちにしても、無意味な仮定ですね」


「確かに。モンスターが逃げるなんて、わたくしも聞いたことがありませんわ」


「ブレスを撃ってから、クールタイム稼ぎに一時退避とかもしないっすかね?」


「それは分からないが、ないことを祈ろう」


 いざそうなったら、こっちは相手のクールタイム中に回復を回すことになるだろうから、それはそれでという気もするが。

 その場合は、じれったい戦いになりそうだな。


 ──俺たちはそんな風に、焚火を囲みながら作戦を語り、食事を終えるとしばらくしてから毛布に包まって就寝した。


 交代で見張りを立てながら眠りについたが、夜の間にモンスターに襲われるようなことはなかった。


 やがて朝になり、出発する。

 元の世界への帰還までは、あと94日だ。

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