第139話 跡取り息子

 アリアさんとともに応接室を出て、居館の廊下を歩いていたときだった。


「おいアルテリア、なんだその薄汚い連中は?」


 廊下の向こうから現れた青年が、突然そう声をかけてきた。


 アリアさんと同じ金髪碧眼。

 年の頃は二十代前半ぐらいだろうか。


「お兄様……! 彼らは私に協力して、飛竜の谷に行ってくれる冒険者の皆さんですわ! 失礼ではありませんか!」


 アリアさんが慌てて抗議するが、お兄様と呼ばれた青年は鼻で笑う。


「ハッ! おいおいアルテリア、本当に飛竜の谷に行く気か? やめとけやめとけ。あんな愚かな父親のために、わざわざ無駄死にしにいくことはない」


「なっ……!? 何を言っていますの、お兄様!?」


「あの小煩かった父上が、ようやく僕に家督を譲ってくれるんだ。父上が亡くなって僕が跡を継いだら、領民からたっぷり税を搾り取って、アルテリアにも多少はいい想いをさせてやるからさ。父上がぽっくりいくまで、城で大人しくしていたほうがいいぜ」


「な、なんてことを……!」


「おおっと、口が滑った。今の無しな。──それにしてもアルテリア、お前もいつまでおてんばをやっているつもりだ? 貴族の娘がおしのびで冒険者をやっているなんて、恥ずかしくないのか」


「よくもぬけぬけと! それはお兄様が、博打で借金を作ったからではありませんか! その返済のために、お父様がどれだけ苦労をしているか分かっていますの!?」


「だからそれは悪かったって、何度も謝っただろ? まさか伯爵家ともあろう家に、こんなに金がないとは思ってなかったんだよ。それに金がないなら税を上げて領民から搾り取ればいいじゃないか。父上が好んで貧乏をしている理由が、僕にはさっぱり分からないね」


「税は民を守るために使われるものですわ! わたくしたち貴族が、好きに散財をするためのものじゃないってお父様にあれだけ言われたのに、まだ分かっていませんの!?」


「ああ分かった分かった、うるさいな。キャンキャン騒ぐなよ。じゃあ勝手にしろよ。兄の善意を受け取らない愚かな妹は、飛竜の谷でもどこでも行ってモンスターに殺されるがいいさ」


「この……! 誰が死んでやるものですか! 絶対に薬草を採って帰ってきますわ!」


「はいはい、せいぜい頑張ってくれ。どうせ竜に食われておっ死ぬのが関の山さ。じゃあな、おてんば娘」


 青年はひらひらと手を振って、俺たちの前から立ち去っていった。


 顔を真っ赤にしてそれを見送ったアリアさんは、やがて大きく深呼吸をして、俺たちに向かって頭を下げてくる。


「ごめんなさい、皆さん。兄の暴言、わたくしが代わりに謝罪いたしますわ」


「いえ、俺たちはいいですけど。あれがアリアさんのお兄さんですか」


「はい。兄の名前はエルヴィス。万が一、お父様がお亡くなりになるようなことがあれば、長男であるエルヴィスお兄様が家督を継ぐことになりますわ」


「マジっすか。あれが領主になったら、街の人たち大変そうっすね」


「街だけではなく、この街の周辺にある村々も、すべてこのフランディル家の統治下にありますわ。数万人の民の暮らしが、領主の双肩にかかっているというのに。税も統治も、民の幸福のためにあるのだということを、お兄様はまるでわかっていない! それにお父様が亡くなったほうがいいみたいな、あんな言い方、いくらなんでもあんまりですわ!」


 アリアさんは、その手をぎゅっと握りしめる。

 兄が弓月から「あれ」呼ばわりされたことなど、まるで気にもとめていないようだ。


 一方では風音さんが、青年が去って言った方向に「ベーっ」と舌を出しつつ、こう口にする。


「とにかく。なんとしてでも目的の薬草を手に入れて、領主様の病気を治してあげないとってことだね。──そうだよね、大地くん?」


「ええ。引き受けた以上は、必ず成し遂げます。弓月もいいな」


「もちろんっすよ。あのクソ跡取りの鼻を明かしてやるっす。──でも将来的な話、アリアさんが跡を継ぐとかできないんすか?」


「えっ……? そ、それは……家督は普通、長男が継ぐものですわ。それにわたくしだって、そんな器ではありませんもの」


「だとしても、あの兄貴よりは百万倍マシっしょ」


「そ、それはそうかもしれないけれど……」


「弓月。その話は俺たちには関係ない。行くぞ」


「うぃーっす」


 そうして俺たちは今度こそ、城館をあとにする。


 領主の看病をしていた医者は、領主の容体はもって一週間が関の山だと言っていた。

 場合によっては、もっと早くに容体が悪化するかもしれない。


 実際にどうなるかは分からないが、俺たちにできる最善を尽くすしかない。


 俺たちは出立の準備を整え、武具の購入も済ませると、さっそく街を出て「飛竜の谷」を目指した。

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