第98話 村娘の復讐劇

──Side:チェルシー──



 しばらく前。

 狩人の娘チェルシーは、村人たちの目を盗んで村を出た。


 齢十四の娘はたった一人、鬱蒼とした森の中を進んでいく。


 その手には、狩りに使う弓。

 背には雑多な道具を入れた背負い袋と、矢筒に入れた1ダースの矢。

 腰には獣の皮剥ぎなどに使う大型ナイフが提げられていた。


「絶対にこの手で殺してやる、ゴブリンども……! 一匹残らず駆逐してやる!」


 チェルシーの瞳に宿るのは、怒りと憎悪だ。

 父親を殺したゴブリンたちへの復讐を、彼女は誓っていた。


 憎悪の灯を絶やさないままに、森の中を進むこと小一時間。

 やがて目的の洞窟が見える場所までやってきた。


 木の陰から洞窟の入り口をのぞき見て、チェルシーは口元をニィッと歪ませる。


「しめた。一匹でのこのこと」


 洞窟の入り口前には、ゴブリンが一体、うろついていた。

 チェルシーの存在に気付いている様子はない。


 見える範囲で、ほかにゴブリンの姿は見当たらない。

 怒りに目がくらんだチェルシーは、その先の可能性を考えようとはしなかった。


 チェルシーは音をたてないように、ゆっくりと背負い袋を地面に下ろす。

 そして矢筒から一本の矢を取り出して、弓につがえた。


 木の陰から慎重に身を乗り出し、弓矢の狙いを定め、矢を放った。


 ──ギィンッ!


 チェルシーが放った矢は、ゴブリンに見事命中したかと思えた。

 だが矢がゴブリンの肉体を貫くことはなく、小柄なモンスターを覆う不可視の障壁に弾かれてしまった。


「チッ……! 本当に効かないなんて!」


 チェルシーはすぐさま弓を捨てると、木の陰から飛び出して、ゴブリンに向かって駆けていく。


 ゴブリンもまた、さすがにチェルシーの存在に気付いた。

 彼女を迎撃するべく、その手の粗末な小剣を構え、威嚇するように叫び声をあげる。


 弓を捨てたチェルシーだが、腰のナイフを抜くことはなく、素手で立ち向かっていく。


 野生の獣と違って、モンスターには通常の武器による攻撃はほとんど通用しないと聞いたことがあった。


 モンスターに効果的なダメージを与えられるのは、「魔石」を原料として作られた特殊な武器か、覚醒者の肉体を使った攻撃、あるいは魔法に限られる──というのは、どうやら眉唾などではなく、本当のことらしい。


 だが魔石を原料にした武器などチェルシーは持っていないし、魔法も使えない。

 だったら己の肉体で殴り倒すしかない。


「──はぁあああああっ!」


 ゴブリンの頭部を狙って、回し蹴りを放つ。

 蹴りの鋭さは、年若い村娘のものとは思えないほど。


 チェルシーが「覚醒者」になったのは、一週間ほど前のことだ。

 それまではまったく普通の狩人の娘でしかなく、こんな鋭い身のこなしもできなかった。


 チェルシーは「覚醒者」となってから、自らがとてもすごい力を与えられた「選ばれし者」なのだと自覚するようになった。


 それは同時に、少女に驕りを与えていた。

 ゴブリンの群れぐらい、自分一人で倒せるに違いないと勘違いしてしまうほどに。


「なっ……!?」


 ゴブリンの頭部を狙った回し蹴りは、ぶんと音を立てて空振りした。

 ゴブリンが思いのほか素早い動きで、身を屈めて回避したのだ。


 その身のこなしの鋭さは、ほとんどチェルシーと変わらないほど。


 そしてゴブリンは、バランスを崩したチェルシーの腹部に、小剣の刃をぐさりと埋め込んだ。


「あぐっ……!」


 刃が引き抜かれると、ゴブリンが手にした小剣は、真っ赤な血に染まっていた。


 その刃を振りかぶり、さらに一撃を加えようとしてきたので、チェルシーは慌てて後退して距離を取った。


「くっ……! はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


 腹部に手を当てると、手にべっとりとした真っ赤がたっぷりと付いた。

 チェルシーの額から脂汗がつたう。


 ゴブリンは血濡れた小剣を片手に、ニタニタと笑いながら、チェルシーに歩み寄ってくる。


 チェルシーは一歩、二歩と後ずさる。

 自分よりも頭一個は小柄な怪物に、チェルシーは怯えていた。


「こ、こんな……こんなはずじゃ……」


 自分は「覚醒者」になったのだ。

 ゴブリンなんかに後れを取るはずがない──


 そんな自信は、早くも粉々に打ち砕かれようとしていた。


 しかも、チェルシーの士気を挫くのに十分な出来事が、もう一つ起こった。


「キシャーッ!」

「キヒヒヒッ!」

「キヒャヒャヒャッ!」


 洞窟の暗闇の中から、一体、また一体と、多数のゴブリンたちが姿を現したのだ。


 中には弓を手にしているものや、体が大きいもの、魔術的な格好をしたものなどもいた。


「あっ……ああっ……! ──や、やだ……いやぁああああ!」


 少女はゴブリンたちに背を向けて、一目散に逃走を始めた。

 チェルシーの怒りと憎しみは、恐怖によって塗りつぶされていた。


 絶対に敵わない。

 あいつら全部を自分一人で倒すなんて、どう考えたって不可能だ。


 逃げるチェルシーを、ゴブリンたちが追いかけてくる。

 チェルシーは木々の根っこに足を取られ、転びそうになりながら、必死に走った。


 やがて、ひゅるるるるっと風切音が聞こえてきて──


「うあっ……!」


 ぐさりと、チェルシーの太ももに何かが突き刺さった。

 ゴブリンたちのほうから飛んできた、一本の矢だった。


 チェルシーはたまらず転び、地面を転がってしまう。


 矢はすぐさま黒い靄となって消え去ったが、チェルシーが負った怪我がなくなるわけではない。


「いやっ……誰か……助けて……」


 チェルシーは痛みをこらえて、必死に立ち上がろうとする。

 だが彼女を追うゴブリンどもは、いまやすぐ近くまで迫ってきていた。


 逃げられない。

 自分はここで殺されるんだ。


 そう、お父さんみたいに──


 やがて一体のゴブリンが、チェルシーの目の前までやってきた。

 小さな怪物が手にした小剣は、真っ赤な血で染まっている。


 それが振り上げられ、チェルシーの身を引き裂こうとして──


「させるか──【ロックバレット】!」


 聞き覚えのない青年の声。

 ほぼ同時に、後方から飛来した岩石弾が、チェルシーの前のゴブリンに直撃した。

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