第91話 農夫のおじさん

 丘から下る道は、やがて別の大きな街道と合流する。

 行き交う人や馬車とすれ違いながら、俺たち三人は街の門を目指していく。


 その道の途中で、農夫らしい格好をした一人のおじさんが、俺たちに声をかけてきた。


「おや、あんたたちは冒険者かね。黒い髪とは珍しいね。東のほうの出身かい?」


 弓月が英語でしゃべったときのように、口の動きと異なる二重音声で、日本語の発音がはっきりと聞こえてくる。


 さて、どうしよう。


 風音さんや弓月のほうを見ると、「どーぞどーぞ」といった様子で俺に発言権を譲ってきた。

 むぅ。キミたちのほうがコミュ力あるだろうに。


 仕方がないので、俺は覚悟を決めて農夫風のおじさんに返事をした。


「えっと……言葉、通じますか?」


「おおっ、【翻訳】スキルの持ち主かい。冒険者ってやつはやっぱすごいねぇ」


 よかった、言葉が通じた。

 俺は普通に日本語をしゃべっているだけなのだが、相手には相手の母国語で二重音声が聞こえているのだろう。


 おじさんの言い分から察するに、この人は【翻訳】スキルを持っていないと思われる。

 俺が持っている【翻訳】スキルの効果が、相手側の聞き取りにも作用するわけか。


 しかし「冒険者」と呼ばれていることは気になるな。

 なんと答えようか──


「えぇと……このあたりでは、僕らみたいな人たちを『冒険者』と呼ぶんですか? 僕らの故郷では、僕らのような存在は『探索者シーカー』と呼ばれていたんですが」


「へぇ、そうなのかい。よっぽど遠くから来たんだねぇ」


 嘘にならない範囲で口から出任せを言ってみたが、どうにか話が通ったようだ。


 その後、いくつか言葉を交わしてから、農夫風のおじさんと手を振って別れた。

 どうやら物珍しさから声をかけて来ただけのようだ。


 俺はホッと安堵の息を吐く。

 どうにか乗り切ったぞ。


「すごいね、大地くん。よくあんなにスラスラと言葉が出てくるね」


「ホントっすよ。先輩、バイト先での寡黙キャラは仮の姿だったっすか?」


「いや、心臓バクバクだった。それっぽい受け答えができたのは奇跡だ。しかし俺たちの背景事情に関しては、何か『設定』を考えておく必要があるな」


 ここはどうやら本当に異世界らしい──というのは吞み込んだ上で、対応策を考えないといけない。


「俺たちは異世界からやってきました」と本当のことを言ってしまうのは、いろいろまずい気がする。


 だが俺たちの「黒髪」は目立つようだ。


 今のおじさんの口ぶりによれば、この世界の東方には黒髪の人々がいそうなので、東方出身者ということにするか?


 でもそれだと、何かあったときにボロが出そうだ。

 東方のことを知っている人に出会ったときに、どうして嘘をついたと詰められるとまずい。


 となると──


「『記憶喪失』の線で行くか。俺たちは気が付いたらあの丘の上にいた。それ以前の記憶はない、という方向で」


「それが一番無難そうっすね」


「ううっ……私ずっとついていけてない……。もう全部大地くんに任せるよ。私の身は大地くんに委ねられたよ。頼りにならないお姉さんでごめんなさい……」


 風音さんが両手で、俺の手をぎゅっと握ってくる。

 しょぼーん(´・ω・`)とした顔で、俺を見詰める風音さんである。


 異世界に来たことに戸惑って、いまだにどうしていいか分からないんだろうな。


 まあ、普通はそうだよなという気もする。

 しばらく俺が引っ張ってあげたほうがよさそうだ。


「分かりました。俺も何か判断ミスするかもしれないですけど、そのときはすみません」


「ううん、そんなのは全然大丈夫。私が決めたら、たぶんその何倍も判断ミスするもん。大地くんにいろいろ決めてもらった方が絶対いい」


「うちも基本、先輩に従うっすよ。先輩はいざというときには頼りになる気がしてるっす」


「責任重大だな」


 二人からの信頼が重い。


 が、こういうときは男子の俺がしっかりしないといけないみたいな、ちょっと古臭い価値観も俺は持ち合わせているのだ。


 よし、頑張ろうっと。

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