第37話:『豊乳派』の翼

「生身の人間相手に試したことは一度もなかったからね。折角の機会だから、じっくりと人体実験をしてから殺してくれようじゃないか!」

「う…………、ああっ」

「ぐうう……」


 腹部を抑えて転がる二人の少年を見下ろしながら薬籠は気味の悪い笑みを浮かべる。


 キメセクに使われる薬は媚薬だけではなく、マジックマッシュルームや覚醒剤メタンフェタミンなどの幻覚症状を引き起こす薬物も含まれる。それらの薬物を打ち込み、症状が出るまで耐久すればいいため、近接戦を無策に仕掛けてくるのであれば、非常に戦いやすい


「さて、どんな薬がいいかね?君たちが望む好きな薬物を――」

「うーん、どうしようかな……。俺が颯爽と現れて敵を蹴散らせば、鉄破てつはちゃんは喜んでくれるんだろうなー。でも、鉄破ちゃんはああ見えて恥ずかしがり屋さんだから、「余計なことするな」って怒るかもしれないなー」


 俎上そじょううおとなった敵に意気揚々と話し掛けている最中、爪を噛みながら歩く一人の男が薬籠密やくろうひそかの視界の隅を通り過ぎる。


「……誰でしょう?一般人は立ち入り禁止のはずですが?」


 そもそも本当にただの一般人であれば、これほどまでに荒れた建物の中に無警戒に入ってきたりはしないだろう。男に視線を向ける。


 気分が落ち着かないのか爪を噛みながら狼狽しているが、白い軍服に軍帽・そして革靴。一般人の装いではないことが一目で分かる出で立ちをしている。


「やっぱり鉄破ちゃんに褒めてほしいなー。何なら何処までなら倒してもいいのかなー」

「おい……」

「全員倒したら怒るだろうなー。さて、何処までやろうかなー」

「おいっ!!」


 怒気の籠った声でようやく気づいたようだ。白い軍服の男がゆっくりと振り向く。


「聞き捨てならないな。僕たちを君一人でれるって?」

「うん。君くらいなら瞬殺できるだろうね。鉄破ちゃんは殺生を嫌うから、あえて殺さないけど」

「何者だ?」

「え?俺?」


 何処か驚いたような顔をしながら自分を指すと肩を竦めた。


「俺の名前は瑞騎翼たまきつばさもしかしてそういう風に見えない?」

「『豊乳派』の基地局長…………?!」


 地武差ちぶさ基地局の局長ということは、この地武差市に住まう『豊乳派』たちのトップ。『貧乳派』の支部長である鬼頭と同程度の立場・強さに相当する。


「……驚いたな。まさか『豊乳派』のボスが出てくるとは。『ラクタム』が収集した情報では、突入班には君の名前はなかったんだけどね?」

「そりゃあそうだ。俺は鉄破ちゃんに好かれたくて、独断でここに来たんだから」


 えっへん、と何処か誇らしげに胸を張る。


 ……こいつ、本当に『豊乳派』の長なのか?

 何処か弱々しい声音や、どっちつかずな発言。室内灯を反射して白く光る軍服とは対照的な性格に、薬籠は戸惑いの色を見せる。


「た……、瑞騎局長……」

「君たちはよく頑張った。ほら、俺のとっておきのグラビア雑誌だ。ちょうど鉄破ちゃんと同じDカップくらいのアイドルを纏めたお宝ものだよ?」


 つかつかと足早に歩くと二人の手元に雑誌を落とす。


「さて決めた。あいだを取って君を倒すだけ、ってことにしたよ。君ほどの役職を持った人間を無力化させれば、鉄破ちゃんは喜んでくれるだろうからね」

「さっきから鉄破ちゃん鉄破ちゃんと五月蠅うるさいな。買っている犬の名前か何かか?」

「いいや。俺が愛している人だよ。……彼女は俺のことを愛していないみたいだけどね」


 軍服の男は帽子の鍔を押さえて俯くと、遠い過去を振り払うかのように首を横に振って、


「それじゃあ、始めようか」


 ポケットから爪楊枝を取り出して静かに開幕を宣言する。


「ふんっ」


 あの爪楊枝をどうやって使うかは分からないが、こちらは相手が視界に収まってさえいればノーモーションで媚薬を体内に打ち込めるのだ。こちらの優勢に変わりはない。


「まずは能力で動けなくしてから、ゆっくり甚振いたぶってや――」


 ずしゃっ。

 薬籠が構えた右の掌に何かが当たり、勢いが殺し切れずにそのまま柱に縫い付けられる。

 右手にあったのは鉄杭のような大きさになった爪楊枝だった。


「爪、楊枝……?」


 こちらに向かって投擲する動きも、爪楊枝が肥大化する瞬間も全く見えなかった。


 痛みよりも先に疑問が湧き、問題を解決すべく脳が情報処理・現状理解をしようとしていると、


 ずしゃっ。


 がら空きとなった左肩に同じサイズの爪楊枝が刺さり、ここで初めて痛覚が生まれる。


「がああぁぁあああぁぁああっっっ!!!!」


 苦悶の叫びを挙げながら必死に身体をよじるが、コレクションに展翅てんしされた昆虫類のように、抜け出すことも動くことも能わない。激しく腕を動かすたびに傷口から赤黒い液体が噴き出し、生命維持の危機を報じる危険信号が脳内を支配する。


「俺たち『豊乳派』は、触れた物体の速度や威力を強化したり大きくしたりすることができるから、輪ゴムや爪楊枝だって立派な武器になっちゃうんだよねー」


 太い柱を背に立っていたのが完全に仇となった。中途半端に脚が浮いているため、地面で踏ん張ることさえもできない。


「ぐ、あぁあ……っ!」

「どう?痛いよね?脳が悲鳴を上げているのに、投与する薬物を選択して、しかも俺に照準を定めるなんて言う芸当が君にできるんだったら、君にもまだ勝ち筋があるんだけど」


 一回。

 たった一回だ。

 一回でも媚薬を打ち込めば相手の動きを阻害できる。


 痛覚信号に埋め尽くされた脳を必死に働かせて軍服の少年に狙いを定めようとするが、


「そんな余裕はなさそうだね」


 ずしゃずしゃっ。


 脚の中で最も血管と神経が集中していると言われている左右の太腿に、肉が裂ける音と共に爪楊枝が打ち込まれ、鉄のような匂いのする液体を吸い上げた爪楊枝が赤く染まっていく。


「がっ、がああああぁぁぁあああぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあああああぁぁぁあぁああああああああああああああああぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁああああああぁああああああああぁぁぁっっっっ!!!!!」

「ふぅ……。終わった終わった、と言いたいところだけど、君に能力を使われると厄介なんだよね」


 こつ、こつ、こつ。

 呑気に爪楊枝を咥えながら薬籠の所まで歩くと、何の気なしに雑誌を開いて見せる。


「だから、ちょっとこの、『激写!!たわわに実った夏の妖精たち!Fカップアイドル大特集』でも見て楽になりなよ」

「ごあおばっ!!」


 これ以上は限界だったようだ。

 グラビア雑誌の表紙を見た瞬間、薬籠は血の混じった泡を口から吐きながら気を失った。

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