第34話:生涯の性癖を決定する要素

「揃ったようだな」


 犬のキャラクターの顔がついたヘアゴムで髪の毛を一つに縛った鬼頭きとうが腰に手を宛てる。

薙唐津ちからづ製鉄所」と書かれた看板の前には、鬼頭・田打たうち純多じゅんたの三人が集結した。


「あの……。冴藤さえふじさんは一緒に行かないんでしょうか?」


 今日は土曜日であるため、いつものぶかぶか制服ではなく、動きやすそうなトップスとパンツを着用し、ポンパドールを兎が描かれたシュシュで纏めた田打が質問する。


「冴藤には支部に残ってもらう。あまり勢力を分散させすぎると他の勢力が攻め込んできた時に太刀打ちできないからな。そんなことより、一つ言っておきたいことがある」


 今まで制服姿しか見たことがなかったため、鬼頭の私服を見るのは初めてだ。Dカップくらいの大きさの胸をさりげなく強調させた服を着た支部長の姿に、少しだけドキっとしながら耳を傾ける。


「今回の『ラクタム』およびSDU勢力の討伐作戦だが、『豊乳派』との共同作戦となる。くれぐれも『豊乳派』への誤射や混乱に乗じた誅殺ちゅうさつなどを行わないように」

「ほ……、『豊乳派』と、ですか……?!」


 気弱な少女が息を呑む。


 そういえば意識したことがなかったが、籾時板もみしだいたは幼馴染みであると同時に『豊乳派』の諜報員。すなわち、本来であればライバル関係の相手である。性癖抗争によるいざこざを教育現場や職場に持ち込んではいけない、という暗黙のルールがあるのと、幼少期から兄弟のように一緒にいる仲であったため、すっかり忘れていた。


犬猿の仲である『豊乳派』に背中を預けろと突然言われたって、そう簡単に了承できませんよお……」

「『貧乳派』・『豊乳派』の支部は他にもあるからな。仮に私たちが誅殺されるのであれば、他の部署がかたきを取ってくれる。それに、」


 周囲に植えられた生垣から葉擦はずれの音が聞こえる。


には君たちを絶対に襲わないように言い聞かせてあるし、棟倉むねくらには『豊乳派』に竹馬の友がいるそうじゃないか。絶対なんて言い切れないが、その心配はないはずだ」

「……気づいていたんですか?鬼頭さん」

「奇しくも私にも『豊乳派』に古い知り合いがいてね。彼から情報を聞いているのさ。さぁ、オフィスビルまで向かうぞ」


 少女はスコップを肩に担ぐと背中を向けて歩き出した。



☆★☆★☆



「なあ鬼頭さん。もし性癖による戦争やいさかいがこの世からなくなったとしたら、鬼頭さんは『豊乳派』にいるそいつと再び仲直りしたいですか?」


 真っ直ぐに前を見つめて歩みを止めないまま鬼頭は答える。


「これっぽっちも全く微塵もつゆにも思わんな」

「明確な強い意思を感じる否定ですね……」

「当たり前だ」


 その表情は後ろを歩く純多からは窺い知れないが、語調の強さから怒気が滲み出ている。


「何せその男は、終始私ではなく私の胸元しか見ていないクズ野郎だったからな。肌を見せたことがないはずなのに着ているブラジャーの色を把握していた時は、いつか罪を犯すんじゃないかと思ったくらいだ」

「そ、そんな嫌らしい目で見られていたんですか?私も恐くなってきました……」


 大きくもなく、かと言って小さくもない胸を腕で隠しながら、田打が恥ずかしそうに言う。


「だから私は『貧乳派』に、あいつは『豊乳派』になったということだ。女性の魅力は何も胸の大きさだけではない、っていうことを世界中の男どもに分からせたい。そう思って私は『貧乳派』の門を叩いたのだ」

「あの、こういうことを女性に聞くのはアレなんですけど……」

「??」


 純多の奥歯に何かが挟まったような言い方に鬼頭が足を止めて振り向く。


「鬼頭さんが『貧乳派』にいるということは、鬼頭さんは胸が小さい女性を見て性的に興奮するということですよね?」


 性癖による能力は、言うまでもなく自らの性癖を元に発動する。

 ならば、『貧乳派』に所属する鬼頭・田打の二人は性的嗜好が小さい女性の胸である、ということになる。


 鬼頭は純多の言葉を静謐せいひつに受け止めると、


「棟倉よ。人間の性癖や性的嗜好って、どうやって決定されるか知っているか?」


 唐突に問いを切り出した。


「……?生まれながらによるものや、親からの遺伝によるものじゃないのか?」

「というと?」

「例えば、親が野球が好きで、子供が小さい頃から一緒に野球観戦に行っていると、子供も野球が好きになるケースが多いですよね?」

「でも一方で、ハマらない子もいるじゃないか?」

「それは結局、野球にハマりやすい遺伝子というだけであって、ハマることが確定しているわけじゃないからじゃないですかね?特定のものにハマりやすい遺伝子があるけど、その物事にハマるかどうかは、個人が生まれながらに持つ趣味嗜好や性格によって決定されるのでは、と思っています。実際、俺の親父はサッカーの試合観戦が好きですが、俺はこれと言って影響を受けていませんし」

「なるほど。それが君の考え方か。近くはあるが少し違うな」


 朝の早い時間とだけあって、ジョギングをする者や飼い犬の散歩をする者と何回かすれ違う。高校生くらいの男女三人が輪になって話している光景を見て、近所の人たちは何を話していると想像するのだろうか。



 横に並ぶ田打の顔が青くなるが、話に夢中になっている二者は気づかない。


「小さい頃に偶然異性の着替えを見て性的快感を覚えたのならば窃視性愛スコポフィリアに、階段でパンチラを拝んだのならば下着フェチに。そして、性的な虐待やいじめを受けたのならば加虐被虐性愛サディズム・マゾヒズムになる。それがプラスのベクトルだろがマイナスのベクトルだろうが、幼少期に体験した性に関する経験によって、生涯自分が抱える性癖がだいたい決まってしまうんだよ」


 眉の吊り上がった強気な顔に寂寥感せきりょうかんを滲ませながら、少女は言葉を続ける。


「私も幼少期に特殊な経験をした身でね。小学生の頃女子グループの一つに――」

「うっ……」


 どさり、という音と呻き声に視線を移すと、お団子頭の少女が膝をついて俯いているところだった。


「田打……?どうした田打?!」

「別の話をしませんか……?少し、具合が悪くて……っ」


 その顔色は悪く、口元を手で押さえている。

 込み上げてくる何かを必死に押し戻そうとしているかのように。


「……分かった。私たちが気にさわるような話をしていたというのなら申し訳ない。ほら、飴でも食べるか?私が愛用している喉飴だ」

「あ、ありがとうございます……」


 人目のある道だったため何事かと立ち止まって視線を向ける者もいたが、飴を口に入れた少女の表情が少しずつ快復していくのを見て、足を止めた人々は再び往来へと消える。


 その後、性癖に関する話題が三人の口から出ることはなく、鬼頭がスマートフォンの地図アプリを見ながら歩いていくのを、純多と田打はアヒルの雛のように後ろからついて歩く。


 周りが一軒家と田んぼしかなくなってきた辺りから数分歩いた後に、豊かな田園風景とは不釣り合いな場所に建てられた高層ビルに到達した。

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