第31話:セイファス薬品の社長令嬢

「二人ともごめんネ」


 落下防止用の背の高いフェンスに囲まれた、冷たい風が吹き抜ける学校の屋上。二つに縛った金色の髪を風に靡かせながら、少女は静かに口を開く。


「私の――、ううん、私のママンの部下たちが迷惑かけちゃってごめんネ」


 苦笑しながら純多じゅんた籾時板もみしだいたのどちらでもない位置に視線を定める。


「その言い方だと、やっぱり『ラクタム』の一員だったんだな」

「仕方がないヨ。STU

「「っ!!」」


 目の前にいる人懐っこい少女がSDUの能力者を束ねるボスの娘。

 その事実を飲み込むのに時間が掛かっている間、隣に立つ幼馴染みが呟く。


「リーナ=セイファス。表ではセイファス薬品の社長の面をしておきながら、裏ではSDU勢力の長であり、『ラクタム』のボスってわけか。裏の方が相当血生臭いぜい」


 一勢力のトップに立つ女性の娘となれば、その異能力も強大なものなはず。

 最悪の場合、そんな大物を相手に実質無能力の一人を庇いながら戦わなければならないことになる。


 内心で苦笑いしながら籾時板は言葉を続ける。


「となると、お前もSDU勢力の能力者なんだろ?おっぱい饅頭に媚薬なんて入れちゃいけないことは知っているよな?どうしてそんなことをした?」

「ママンにそうするように命令されたからだヨ。ママンに逆らうなんて、恐くてできなかったんダ……。ゴメン……、ゴメンネ……」


 ぽたっ。

 ぽたっ。


 少女の瞳から零れ落ちた雫がすすけた屋上の床を濡らす。


「分かったよ。正直に話してくれてありがとうな」

「……甘すぎるぜ純多じゅんた


 懐から割り箸で作ったゴム鉄砲を出すと少女の小さな胸に向ける。


「こんなことをやられたら模倣犯が出る危険だってあるし、疑心暗鬼で誰もおっぱい饅頭が食べられなくなるところだったんだぜい?やっぱり、こいつは然るべき手段で裁かれるべきだ」

「あぁ、許されるようなことじゃないのは確かだよ。でもさ、」


 少女を庇うように射線に立つと、銃身を掴む。


「素直に話してくれたし、俺たちに情報提供もしてくれた。さらに、他人の指示でやったことだって言ってるじゃないか。悪いのはポリンにこんなことを命令した母親で、その母親をブチのめせばそれで済む話だろ?何もポリンを始末する必要はねぇだろ!?」

「あん?魔王に命令されて村を焼いたドラゴンは無罪だってのか?それは違うだろうが」

メノンいいやジュンタ。ワタシのことを庇ってくれなくてもいいんだヨ」


 涙を浮かべたポリンが優しく微笑みながら、パチン、と指を鳴らす。

 と。


「がっ……!!」

「あがあっ!!」


 二人の男が身をくねらせながら床の上に倒れる。


「び……、媚薬によるもの……、か…………」


 媚薬と言えば、バイアグラ・ラッシュ(アメリカ産の媚薬で、日本ではアダルトグッズを販売する店などで購入できる)などの性欲を増強させる薬が浮かぶかもしれないが、古くから一般的に使われている薬は主に覚醒剤メタンフェタミンで、他にはコカイン・マジックマッシュルーム・MDMAなどの違法薬物が使用される。媚薬を飲んだことで発症する症状は、何も性欲の増進に限った話ではない。


「う……、あ…………っ」


 普段から服用したこともなく、耐性もない薬をいきなり打ち込まれたことで副作用が激しく表出し、こちらを見つめるポリンが二人にも三人にも見えるし、視界は二度も三度も歪曲する。

 輪郭すら定まらない世界の中で、ただ一人正常な少女は話を続ける。


「ワタシ、生まれつき他の人よりも能力の力が弱くてね、能力を強めるためにママンが開発した薬を毎日飲んでたノ。でも、結果は出なかっタ」


 こつこつこつこつ。

 少女の足音が遠ざかるのと共に、声は少しずつ小さくなっていく。


「薬を使っているのに能力が上がらず、『使えない』の烙印を押されたワタシは、媚薬を入れた饅頭をジュンタたちに渡す使命が課せられたノ。何の薬かは聞かされてなかったし、まさかジュンタたちがこんなにも苦しむなんて夢にも思ってなかったヨ」


 吹き抜ける5月の風が太陽フレアのように熱く感じる。

 一瞬で肌が焼き焦げてしまいそうだが、チカチカと明滅する意識を保つのに精一杯で、制服を脱ぐことすら許されない。


「ワタシね、SDUの能力者を束ねるボスの娘だからって理由で能力を授かったし、それが至極当然だと思って今まで生きてきタ。でも、そういうしがらみや能力で人を傷つけるのは、もう嫌だなっテ。部下たちがジュンタたちを襲撃したって聞いて、そう思ったノ」


 目の裏側に居もしない小さい虫が入り込もうとし、存在するはずのない空飛ぶ小人が弓に矢をつがえる。

 ぞわぞわぞわぞわと背筋に悪寒が走り、胃袋からせり上がってくるものを堪えながら、よろよろと立ち上がろうとする。


「だから、」


 かしゃん、かしゃん。

 屋上を囲む金網に何かが当たる音がする。


「全てを終わらせるんダ」


 水の中に垂らした絵の具のように形も色も定まらない世界の中、ようやくポリンの姿を捉える。

 純多の視界に映ったポリンには、緑色の蔦のような線がいくつも絡んでいた。


 いや、違う。

 緑色の柵の向こう側にいるのだ。


「さよなら、ジュンタ――」


 落下防止用に屋上をぐるりと囲む緑色の柵。

 では、その柵の向こうには何がある?


「や、めろ……」


 だらしなく空いた口からは止めなく涎が垂れるが、そんなものに構っている余裕などない。


 叫ぶ。

 喉が裂けそうなほどに力を込めて叫ぶ。


「やめろおおおぉぉぉおおぉおぉぉおおおおおおおおおぉぉおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおぉおぉおおおおおぉおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおぉおおおおぉおおおおおぉぉおおおおおおおおぉぉぉーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!」


 脳が焼き切れそうだ。

 意識がプツリと途絶えそうだ。


 だが。

 だけど。


 もし脳が焼き切れたとしても。

 もし意識が途絶えてしまうとしても。


 これだけは止めなければならない。

 これだけは絶対にやらなければならない。


 肺の中にあったありったけの空気を自身の願望と共に塞がった気道から吐き出し、青い空へと始めの終わりの一歩を踏み出す少女に震える手を伸ばすが、フェンス一枚隔てた少女の元に届くわけがない。


 一方の少女は。


「……」


 一度だけ振り向き、静かに、そして儚く微笑むと、その重心は虚空へと傾く。


「あ、あぁ…………」


 風に靡くスカートが。

 上履きの裏側が。

 太陽の光を受けて輝く綺麗な金髪が。


 落下と共に校舎に隠れて消え、少女は死の世界へと旅立った。

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