第27話:β-ラクタム系抗生物質

「いやぁ、新人が入るのはいつぶりだったかな?」

「私たちが『ポリン様防衛隊』を結成してから、まだ二か月も経っていないのだがな」


 どうしてこんなことになってしまったのか。

 泣きそうになりながら数分前のことを思い出す。


 今日もいつものメンバー(純多じゅんた籾時板もみしだいた・ポリンの三人だ)で昼食を摂ろうとしたのだが、謎の情報収集力でクラスを特定した『ポリン様防衛隊』の三幹部の面々が教室まで押し寄せて純多を拉致。拒否権のないまま屋上に連れ出され、防衛隊メンバーと車座になって昼食を摂ることになったのだった。


「椅子に座るポリン様、美しかったな……。あまりの美しさに目が潰れるかと思ったぞ」


 と、恍惚とした表情を浮かべながら弁当箱に入ったピーマンとベーコンの炒め物を口に運ぶ『統率の藤本』。圧倒的な光量により物理的に目が潰れそうなほどの量のサイリウムを腰に差し、まるで、イソギンチャクを連想させるような姿をしている。


「あなたは他の隊員をまとめる裏方だから、ポリン様の美しさに慣れていないのは仕方がないわね」


 と、おにぎりが二つと少々のおかずが入った格安弁当を割り箸で召し上がる『露払いの山口』。幹部の紅一点であり、格安弁当よりも目立つ「ポリン様LOVE♡」と書かれた陣羽織を羽織はおっている。


「あんなに美しいポリン様を間近で拝めるなんて、やっぱり、生きているっていうのは素晴らしいことなんだな」


 と、不治の病から完治した病人のように生への喜びを謳歌しながら、袋に入れられた六本入りの小さいスティックパンを齧歯類のように咀嚼しているのは三幹部の首領ドン・『鋼鉄の堀田』。「ポリン様LOVE♡」と書かれた鉢巻きをいつも頭に巻いており、眼鏡の奥からは途轍もない変態オーラが漂っている。


「…………」


 見た目がかわいくて性格も人懐っこいポリンが好かれるのは分かるが、女優でもアイドルでもない人間を推すためにファンクラブを作ってしまうというのは如何なものか。


 そんな過激な連中とどうやって話を合わせたらいいものか考えあぐねていると、


「では新人。まずは『ポリン様防衛隊』のおきてについて教えようではないか」


 新人研修を受け持っている『統率の藤本』が、こちらに目線を向けて話す。


ひとつ。ポリン様の愛を独り占めしてはならない。――これは言うまでもないな。ポリン様は全員が平等に愛することができる対象でなくてはならず、ポリン様からの愛を特定の誰かが多く受け取るようなことがあってはならないのだ」


 ……こいつら、ポリンに彼氏ができたら血の涙を流しながら割腹自殺しそうだな。

 思わず物騒な発想をするが口には出さず、代わりに苦笑いをしながら傾聴する。


「一。ポリン様の身に降りかかる危険を事前に排除し、ポリン様が安全に生活できるようにしなければならない。――これは、わたくし『露払いの山口』が全身全霊臨んでいるので、あなたには、あまり関係のないものかもしれないわね」


 おほほほほ。と高笑いする『露払いの山口』。あらゆる手段を用いてポリンを四六時中監視している『ポリン様防衛隊』こいつらが一番危険だということに本人たちが気づくのは、ポリンが卒業した後になるかもしれない。


「そして、ポリン様に我々の暗躍を決して知られてはならない。掟ではないが、このことは肝に銘じてもらおう」


 ふん、と鼻息を荒くしながら『鋼鉄の堀田』が付け加える。


「……何でですか?」

「我々はポリン様の笑顔と安全な暮らしを提供するために活動しているのだ。決してポリン様に感謝されることが目的ではない」

「ポリン様が私たちの苦労をねぎらうのだって、彼女にとっては心の負担となる。彼女が笑顔で安心安全に生活してくれれば、それでいいのだよ」


 うんうんと頭を傾けながら静かに頷くメンバーたち。


 誰かのために暗躍し、誰からも感謝されることなく戦う。

 自分だったら、そんな覚悟を持つことができるのだろうか。


 そう心の中で考えた時、純多の口から自然と言葉が漏れ出ていた。


「そのポリンが悪事を働いているかもしれないんだ……。最近のポリンに何か変わったことはありませんか?」

「ポリン様が悪事を働いている?一体どういうことだ?!」


 三幹部は眉根を上げて動揺したような表情をした。

 やはり蚊帳の外。彼らは媚薬事件には一切関与していないらしい。


 ポリンに関する情報を引き出すには『ポリン様防衛隊』が一番だ。


 巻き込んでいいものか逡巡したが、ポリンが媚薬入りのおっぱい饅頭を不特定多数の人間に配った可能性があることを話す。


「……なるほど。本当だとしたら由々しき事態だ。我らが女神ポリン様には道を踏み外して欲しくないからな」


 もっと取り乱すかと思っていたが意外にも三人とも冷静だった。粛々とした態度で話を続ける。


「しかし、我々は四六時中ポリン様を盗撮――、ごほん、見守っているが、饅頭の中に薬を入れるような仕草など見たことがないぞ?」

「……いや、気になることが一つだけある」


『鋼鉄の堀田』が手を挙げる。


「拙者、将来は医療関係の道を目指していて、医学用語や薬について少し独学で勉強しているのだが、ポリン様が気になることを呟いていたのだ」

「一体何ですか?小さなことでもいいので教えてください」

「いや、関係ないことだと思うけどな、とか何とか言っていたのだよ」

「ラクタム……?」

「そこが少し気になってね」

「ラクタムって何かしら?」


『露払いの山口』が問う。


「恐らくだがβベータ-ラクタム系抗生物質のことだろうな。分かりやすく言ってしまえばペニシリンがそれに当たる」

「そのペニシリンって何に使うんですか?」

「主にレンサ球菌による感染症や敗血症はいけつしょう梅毒ばいどくから発症した菌性髄膜炎ずいまくえんの治療に使われる抗生物質だな。そうなると、ポリン様は重篤な感染症でもわずらっているというのか?」


『鋼鉄の堀田』の話を聞いた途端、この場の空気が凍る。


「梅毒、だと……?」

「梅毒って、性行為を主な感染経路とする性感染症よね?ポリン様が誰かと肉体関係を持っているってことになるわよ……?」

「ポリン様が誰かと肉体関係を持っているなどあり得ぬから、きっと菌性の何か重い病にかかっているのだろう。うん。そうに違いない」


 静かに頷きながら三人で現実逃避と暗示をし始めたので、話を元の路線へと戻す。


「じゃあ「ラクタムから抜ける」っていうのは、ポリンが抗生物質か何かを使っているってことですか?」

「わたくしが知る限り、ポリン様が抗生物質を服用しているという情報はないわ」

「いや、でも待て」


『統率の藤本』が待ったを掛ける。


「ポリン様は何やらカプセル薬を飲んでいたではないか?あれが、その抗生物質とかペニシリンに当たるのではないのか?」


 その意見に対して静かに首を横に振る『鋼鉄の堀田』。


「ペニシリンとかのβベータ-ラクタム系抗生物質は、主に菌を原因とする病気に静脈注射して用いるものだから、カプセル錠で摂取するというのは考えにくいな。ポリン様が服用しているあの薬は何かしらのサプリメント的なものではないだろうか?」

「では「ラクタムから抜ける」というのは、身体から抗生物質が抜けそう、という意味になるのではないかしら?もしポリン様が大病を患っていて、しかも、その症状を緩和するための薬が切れそうになっているのだとしたら由々しき事態よ!」

「ラクタムから抜ける……」


 いずれにせよ、考えても意味は分からなそうだ。

 放課後に籾時板を呼び出して、今回収集した情報について聞いてみることにする。

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