第23話:オーガのリズムと越那汁

 ダメだ。このままだと過労死しそう。


 週の半ばだというのに、普通の高校生よりも数十倍くらい疲弊している少年・棟倉むねくら純多じゅんたは机で死んだように伏す。


「おいおい。週末まではまだ遠いぜい純多。お前は一週間の過ごし方が分かってねぇな」


 時刻は昼。

 授業から解放された生徒たちが喧噪と共に次々と動き出し、あるいは購買に消え、あるいは席を移動して昼食を囲む。


「月曜日と火曜日は適当に手を抜いて、水曜日から本気を出す。そして土曜日に泥のように眠る。完璧だぜい」

「あんたらは中庸ちゅうようというものを知らんのかい」


 自分で持ってきた弁当箱を開けながら幼馴染みの三慶みよしかおるが口を開く。


「チュウヨウ?もしかして虫様突起ちゅうようとっきのことデスカ?」

「それは虫垂炎ちゅうすいえん。……そんな間違え方をする人、初めて見たわ」

「ありがとうございマース」

「一ミリも褒めてないよ……?」


 あれ?この二人ってあまり話さないのに意外と仲良し?

 金髪の少女と幼馴染みを交互に見る。


「「何事もかたよらずに、ほどほどに」って意味だったよな?」

「オウ!ジュンタは物知りデスネ!」


 相変わらずチーズとパンの組み合わせのようだ。金髪の少女がビニール袋から取り出したチーズの包みを開ける。


「にしても、今日は香もいるなんて珍しいぜい。いつもつるんでいるやつらはどうしたんだ?」

「水曜日になると購買で珍しいパンが販売されるから、それ目当てで購買に行くんだってさ。これからも水曜日はこっちに来ていい?」

「問題ないぜい。な、純多」

「あぁ。断る理由なんてねぇよ」


 カバンから惣菜パンを取り出すと袋を開けて咀嚼する。


「今日はカレーパンじゃないんデスネ?」

「……俺が四六時中カレーのことしか考えていないと思ったら大間違いだぞ?」

「えっ?!そうだったの?!」

「驚きの事実だぜい」

「お前らまでそう思ってたの?!」

「「うん」」


 沖幼ちゅうようの頃からの仲である二人に首肯されて軽く凹む。


「俺はカレーのことだけじゃなくて、どうやったら貧乳の良さを伝えられるかも考えているんだぞ?!なぁ勇気ゆうき。昨日のゼリーって何処に売ってるんだ?」

「あの(通称)おっぱいゼリーか?残念だが印府いんぷのエオンにしかないぜい?」

「ちっ……、電車を使わにゃならんのか」


 印府市とは地武差ちぶさ市が隣接する市の一つで、大型ビルや複合施設が立ち並ぶ大都市だ。

 電車一本で行けるというアクセスのしやすさなどから、地武差市に住む若者の遊び場となっている。


「あれっておっぱいの柔らかさを布教するのに丁度いいんじゃないか?俺が思い描く理想の柔らかさに近い気がする。揉んだことないけど!」

「だろ?純多もあれの良さにやっと気づいたか!!オレも揉んだことないけどな!!」

「また始まった……」


 長い付き合いだからいいものの、知らない人が見たら完全に環境型セクハラである。


 性癖で命を賭けて戦うこの世界に、その概念があるならばの話だが。



☆★☆★☆



「はうぅ……。私、昨日そんなことを……っ!」


 袖で口元を抑えながら田打たうち円広まひろは顔を真っ赤にする。


「それはそれはえっちだったにゃん♡……なんならスマホでこっそり動画撮ってたんだけど、良かったら観る?」

「えぇええっ?!!消してくださいよぉ!!」


 スマートフォンを奪おうとぴょんぴょん跳ねるが、身長が低めの田打と高めの触爪ふそうでは身長差があり過ぎて届きそうにない。


「何にせよ元に戻って良かった。……戻すのは非常に大変だったのだが」

「えっ、一体何をしたんですか?」


 当の本人が興味を持って聞いてみるも全員が顔を背けて閉口する。


「そりゃああれだ。君は媚薬を飲んだんだから……、な」

「性的快楽を満たすまで……、ね」

「勿体振らずに性的快感オーガズムで失神するまでトイレに連行してオモチャで遊んだって言えにゃん」


 全員が言わんとしていたことを淫乱黒猫野郎が堂々と言いやがった。睨むような視線を向ける三人だったが、


「オーガ……?オモチャ……?」


 赤ちゃんはコウノトリが運んでくる、と本気で信じていそうな純粋無垢な少女が、何を言っているのか分からないと言いたげに首をかしげる。


「…………」


 これ以上純粋な少女を汚してはいけない。


 鬼頭きとう冴藤さえふじ・純多の三人は無言のまま意見を一致させると静かに首を縦に振る。


「オーガズムにゃん。つまり雑草ちゃんのお」

「オーガズムというのは、ファンタジーの世界においてオーガたちの間で流行っている音楽のことだな」

「オーガが好むリズム。略してオーガズムと呼ばれていますね」


 眼鏡のブリッジを持ち上げながら冴藤がアドリブで補足する。


「……何言ってるのかしらん?昨日の戦闘で気でも触れたかにゃん?」


 触爪が怪訝な表情を向けるが、


「そ、そんな音楽があったんですね……っ!私、その音楽に興味があります。どんな曲なんでしょうか?」


 興味を持ってくれたようだ。見事に話題をずらすことに成功する。


「え、えと。これだな」


 鬼頭が咄嗟にスマートフォンを操作するとJRPGの金字塔とも言える、あのゲームの曲が流れた。


「これ、有名なRPGの曲ですよね?これがオーガに好まれている曲なんですか?」

「あ、あぁ。勇気が出る素晴らしい曲だろ?」

「これって勇者が行進するのをイメージして作った曲だったような……?勇者が行進する曲を聴いて、勇者と敵対関係にあるオーガは喜ぶんでしょうか?」


 さすがに無理があったか。

 黒猫っぽい女性が話についていけず、ぽかーんと口を開けたままの中、お団子頭の少女に祈るように目線を集中させる。


「なるほど……。つまり皆さんは、媚薬の効果が抜けるまでこの曲を聴きながら私と玩具で遊んでいてくれたんですね!」


 どうやら頭の中でストーリーを勝手に組み立ててくれたらしい。結託した三人が内心でガッツポーズする。


「それにしても、どうしてそれをトイレでする必要があったんでしょうか?わざわざトイレに行かなくても談話スペースとかでも良かったような……?」


 普段はおっとりしているが、頭の回転は速いほうらしい。

 土壇場でいい考えが浮かばないか必死に悩んでいると、


「えっちな汁がたくさん出るからにゃん♡」

「えっちな汁……?」


 空気の読めない猫がまた無駄な発言をしやがった。これ以上は邪魔になるだけなので、ばたばたと鬼頭が黒猫っぽい見た目の女性をソファの下に押し込めるのを見届けながら、純多が言い訳を放つ。


「え、越那汁えちなじるだ!とある県の山奥にある村・越那村の名物になっている汁物のことでな!!ご飯と一緒に食べるんだよっ!!」

「き、聞いたこともないです……」

「名物と言うよりは郷土料理に近いね。越那村では古くから食べられている汁物なんだけど、他の地域での知名度はほとんどないらしいから、田打さんは知らなくても無理ないよ」


 現役大学生とはこうも頼りになるものなのか。大学生が救世主のように見えてしまう『『貧乳派』の救世主』。


「でも、その越那汁が、どうして私の身体から出るんでしょうか?食べ物なんですよね……?」


 ここは下手に取り繕うよりも冴藤に任せた方がいいだろう。眼鏡の青年の返答を待つ。


「越那村の周辺で使われている方言で、涙のことを『越那汁』と言うことがあるそうなんだ。つまり、越那汁というのは「涙が出てしまうほど美味しい汁物」って意味で、「伊豆の踊子」にも登場するし、郷土料理について研究している教授が執筆した論文に、そういった注釈を見たことがあるよ」


 日本文学科に通う現役大学生とは斯くも頼りになるものなのか。具体的なワードをあれこれ出されると、静観していた純多ですら「えっ?!そうなの?!!」と思わず信じてしまいそうになるが、言うまでもなく「伊豆の踊子」にはそのような記載は一切登場しない。心の中で川端かわばた康成やすなりに謝り倒しながら少女の反応を窺うと、


「そ、そうだったんですか~。そんなに美味しいっていうなら、私も越那汁を食べてみたいです~」


 朗らかに微笑みながら納得したように首を傾けるぶかぶか制服の少女。

 二人の男による必死の作戦の末、今日も少女の純情は守られた。

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