第22話:饅頭味の接吻

 人生で初めてのキスは、おっぱい饅頭の味がした。


 ――と言ったら叙述的だろうか。

 それとも、コメディの一節だと一笑いっしょうされるのが関の山だろうか。


「んっ……」


 複数人の目が二人に向けられる中、田打たうち純多じゅんたの唇が重なる。


「おいっ、田打っ!!どうしたん」


 目の前で何が起きているか分からない。

 原因を本人に追及しようとした直後に唇が塞がれ、その問い掛けは中断される。


「うわぁ。えっちなキスだにゃん♡。ワンコ女鬼頭たちが必死に戦っているっていうのに、イチャイチャするなんていけないんだにゃん」


 塞がれた口がやっと解放されると、唇を離した少女の口角から一筋の涎が垂れる。


「どうした田打?!一体何があった?!」


 昨日今日の付き合いしかない仲であるため断言はできないが、少なくとも、いきなり接吻せっぷんをしてくるような性格ではなかったはず。

 明らかに様子がおかしいのは分かるが、原因は分からない。


「えへへ……。キスするのって気持ちいね♡きっと、棟倉むねくらくんのにキスしたら、もっと気持ちいいんだろうな……」


 純多の胸に頭を寄せて体重を預けると、男の身体の一部であり、生理現象によって膨らんでしまった一部分を掌でさする。


「ダメだっ!!そこはダメだ田打っ!!理性をしっかり持て!!」


 少女にではなく自分に言い聞かせていたのかもしれない。


 逃げようという選択肢はパニック状態となった頭の中には残されておらず、恐怖心と高揚感がぜとなった複雑な気持ちのまま立ち尽くすしかなかった。


 目の前で動くお団子頭ポンパドールはいつの間にか崩れており、さらさらとした綺麗な髪の毛からは、シャンプーだかコンディショナーだかと汗が混じった酸っぱいながらも甘い香りが漂い、鼻孔を刺激して脳に快楽の信号を発信させる。


 甘い猫撫で声で耳を、甘酸っぱい匂いで鼻を、そして下腹部を撫でられて視覚と触覚を刺激されて、純多の脳の回路が焼き切れそうになっていた。


「苦しそう……。棟倉くんの、すぐに楽にしてあげるからねぇ」


 膝を曲げてしゃがんだ少女は涎を垂らしながらズボンのチャックを口で咥え、ゆっくりと降ろそうとする――。

 が、


「はいはーい。救世主さんから離れるにゃん」


 同じくしゃがんだ触爪ふそうが顔を赤らめながら頭を掴んで離す。


「触爪さん……っ!」

「救世主さんのドーテーを奪うのは、みうにゃん♡雑草ちゃんにはさせないわよん?」


 制服の襟首を掴むと、ずるずると後ろに引き摺る。


「邪魔しないでくださいよぉ。私、棟倉くんを気持ちよくしたいだけなんですよ?」


 汗なのか何の液体なのかは分からないが、ぽたぽたと垂れた液体が土間を湿らせる。


「うーん。誰かロープ持ってきてくれる?」


 元々が製鉄所だったということもあってか、工具などのホームセンターに行かないと普通は無さそうな品物でもあっさり出てきたりする。


「何に使うんじゃい?」


 髭を生やした初老の男が頑丈そうなロープを渡すと、


「にゃにゃにゃんにゃん!!」


 暴走する少女の小さな身体を目にも止まらない速さで縛り上げた。気持ち亀甲縛りのように見えなくもないが、今はそこにツッコんでいる場合ではない。


「いくらなんでも縛るのはやりすぎなんじゃ?」

野放しにしておくとホームレスさんのドーテーも奪われちゃうよ?」

「こ、こんなかわいい女の子が奪ってくれるんだったら、むしろ奪われてみたいっ!」

「……どうしようもないやつにゃん。あ、暴れないように見てね。そして、これ見よがしに性的暴行は加えちゃダメよ?」


 つかつかと靴を鳴らしながらソファへと戻る。内心このソファが気に入っているのだろうか。


「田打が発情してるって?」

「そ。……もしかして救世主さんも、この機にドーテーを卒業したかった?」

「……したくないって言ったら嘘になるな」

「素直な男の子だにゃん♡」


 火照った身体を密着させられて喉が渇いた。

 二人の男が注れてくれたミックスジュースに口を付ける。


「これはあれにゃん。えっちなビデオで観るやつにゃん」

「えっちなビデオで観るやつ……?まさか……っ!!」


 何かを経口摂取することで発情し、えっちなビデオでよく用いられるもの。


 見たことも使ったこともない純多には、どんなものなのかはイメージできない。

 その正体は――。



 躊躇することもなく言い放つ。



☆★☆★☆



「媚薬だと?それが田打に盛られているというのか?」


『豊乳派』の先陣部隊を迎撃した鬼頭きとうたちが戻り、四つのソファを四角く並べた談話スペースに腰を降ろす。


「そ。この様子を見れば間違いないと思うにゃん♡」


 ソファの一つに転がっている少女を一瞥する。

 手足を拘束された今でも身体を捩らせ、汗なのか涎なのか、それとも別の場所から分泌されたものなのか分からない液体がソファを濡らす。


「田打くんは僕と一緒に戦っている間は普通でしたよ?そんな彼女に媚薬を盛る機会なんて――」


 言っていて自分で気づいたのか、はっ、としたような表情を浮かべる冴藤さえふじ


「ビンゴだにゃん」

「もしそうだとしたら、誰が一体何の目的で入れたのでしょうか?」

「決まってんだろ?『豊乳派』の輩に違いねぇ!野郎、卑怯な手を使いやがって!!」


 崖野森がけのもりが力強く机を叩く。


「オレたちが疑心暗鬼になって仲間割れをするように、こっそり媚薬を仕込んだ饅頭を販売してやがったな?!」

「一回冷静になれ。崖野森」


 石でできた冷たい床をスコップで叩く。


「『豊乳派』の連中が媚薬の入った饅頭を『貧乳派』の我々にピンポイントに販売しているのならば、もっと多くの仲間が被害に遭っていてもおかしくないはずだ。なのに症状が出たのは田打だけで、私たちは何ともなっていないし、他の支部や人物の事例も聞いたことがない」

「SNSで少しだけ調べてみたけど、媚薬入りおっぱい饅頭の報告例はないにゃん。ま、おおやけにしてないだけ、って言われたらそれまでだけど」


 スマートフォンの画面を見ながら触爪が呟く。


「つまり媚薬入りの饅頭は、それほど多くの量が散布されたわけではない、と」

「雑草ちゃんが一件目の事例で、そこから被害者が増えていく可能性はあるけどねん」


 顎鬚を生やした初老の男と中年太りの男がジュースの入ったグラスを人数分持ってくるが、毒物云々の話をしている最中とあって、誰も口を付けようとはしない。


「そうだとしても饅頭に入れるのが媚薬ってのも謎じゃねぇか?そんな回りくどいことしなくても、遅効性の毒薬を使って確実に殺せばいいだろ?」

「毒殺が目的ではないってことか?ますます目的が分からないな」

「それに、媚薬入りのおっぱい饅頭をどうやって特定すればいいのでしょうか?この近辺のコンビニやスーパーだけでも、相当な数と種類のおっぱい饅頭がありますよ?」


 おっぱい饅頭は本来、A知県のとある和菓子屋でのみ販売されていた菓子だったのだが、性癖による戦争と、食べるとククリから与えられた能力を解放できることが判明してから、世界各地の駄菓子屋・和菓子屋・コンビニ・スーパー・複合商業施設などで販売されるようになり、世界中で増産が行われるようになった。


 お菓子類を販売している店の数だけおっぱい饅頭の種類があり、しかも一店舗に一個しか売っていないわけではない。例えるならば、海中に落とした釣り針を探す作業に近しいかもしれない。


「誰が媚薬を入れているのか、媚薬が入っていない饅頭を見分けるにはどうしたらいいか、目的は何なのか。分からないことだらけだにゃん♡」

「一つ分かることは『豊乳派』の連中の仕業ではないってことか。もし『豊乳派』の連中が主犯だったら、私たちに嫌疑を掛けて襲撃してくるのは辻褄が合わないからな」

「『おっぱい饅頭に異物を混入させた、という捏造した大義名分を掲げて潰しにきた』というパターンじゃなければ、の話ですけどね」

「ちょっといいです?」


 議論が白熱する中、『『貧乳派』の救世主』は控えめに手を挙げる。


「田打は『豊乳派』の奴らとの戦闘中に媚薬入りおっぱい饅頭を食べて発情したんですよね?調辿

「その手があったか!!」


 鬼頭は勢いよく立ち上がると、縄で縛られた少女のスカートにあるポケットを探る。


「あった。これだな?」


 かさかさという音を立てながら、くしゃくしゃになった包装紙を拡げていく。

 そこに書かれていたのは――。



 高校周辺では最も高級であり、最も古くからある和菓子店のロゴだった。

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