第16話:特殊性癖の最上位階

「やぁ棟倉むねくらくん。今日も来るなんて熱心だねぇ」


 と、椅子に座りながら呑気な調子で答えたのは現役大学生の冴藤さえふじ良也りょうやだ。手にはコーヒーが入ったマグカップを持っている。


「……来たくないなら来なくてもいいんですか?だったら俺、さっさと帰りたいんですけど?」

「はっはっはー。残念ながらそれは無理だよ。そのことは君自身が一番分かっている癖に」

「そうですよね……」


『『貧乳派』の救世主』なんていう重い肩書きを背負ってしまった以上、組織に入らないわけにもいかず、単独で行動するわけにもいかない。自分用に与えられた机に静かに腰を降ろす。


「……ところで、俺たちが貧乳好きで、異能力を持った集団というのは分かるんだけど、普段はどんなことをしているんでしょうか?」

「どんなことって言っても、上層部からの命令がない限りは特にやることはないよ?」


 軽く肩を揺らしながらマグカップに口を付ける。


「…………はい?」

「他の勢力を潰すことや侵略行為に対する迎撃を行ったりは勿論するけど、そう四六時中戦争ドンパチしているわけでもないし、僕たちのような大きい派閥に喧嘩を売りに来るような勢力なんて『豊乳派』くらいしかいないからね。昨日のような戦いは逆にレアなケースだよ?」


 眼鏡の青年が視線をずらしたので純多も追う。


 個人用のデスクが密集するスペースから少し歩いたところには、胸の小さい女性に関する写真集やマンガ・アニメの映像資料(全て個々人が趣味で持ち込んだものだ)などが置かれた、通称遊び場プレイスペースと呼ばれる場所があるのだが、そこでは『『貧乳派』の救世主』の力によって能力を失った一人の女性が、中年太りの男性と髭を生やした初老の男性が操るオモチャ(猫じゃらし)で遊んでいた。


「……敵情視察とかしないんですか?」

「履き違えちゃだめだよ棟倉くん。僕らは窃視性愛スコポフィリアじゃないんだから、そう頻繁に敵勢力を監視しているわけじゃないって」


 あれ?こいつもっと賢そうだったのに、こんなに馬鹿だっけ?

 思わず失礼な考えが心中に浮かんでしまう。


「この辺りってどんな勢力が幅を利かせているんですか?」

地武差ちぶさ市は主に『貧乳派』と『豊乳派』の激戦区になっているね。逆に言えば、それ以外の勢力は少し居づらい構図になっているよ」

「言い換えるなら『貧乳派』と『豊乳派』のどちらかが取ることが決定している土地ってところだにゃん♡」


 とことこと触爪ふそうが四つ足で這い寄る。昨日の間に合わせの体操服とは違ってしっかり丈の合う服を着ているが、黒を基調としているからか、尖った耳や長い尻尾がなくなったにもかかわらず、黒猫っぽい印象は消えていない。


「だから他の勢力は容易に介入できないのよね。ちなみに、みうたち動物擬態性愛スードゥズーフィリアの本拠地は、お隣の狐狗こっく市だにゃん」


 地武差市は印府いんぷ市・隠智物いちもつ市・狐狗市の三つの市と接している。

 そのうちの狐狗市は小高い丘の上にあることから、高級住宅地として栄えた街である。


「つまり、地武差市は『貧乳派』と『豊乳派』の二つの巨大勢力が睨み合っている状況だけど、この二つの勢力が本気でぶつかると大量の死人が出るから、迂闊に戦争に対してゴーサインが出せないまま膠着状態にあるってわけだね」

「ふふふ。だが、こちらには頼もしい仲間――いや、切り札が加わった」


 離れた場所にある支部長デスクから聴こえていたらしい。鬼頭きとうが席を立つと話に加わる。


「限定的とはいえ相手の能力を完全に消し去る能力だ。こいつを使えば誰も傷付けることなく、一方的に勝つことができるからな。そのためには、」


 カツン、と土間のようになっている床にスコップを突く。


「君にはもっと強くなってもらわなければならない。まずは基礎体力を付けるために製鉄所の敷地内を走ってもらおうか」

「……え?やるんですか?俺が?」

「棟倉くんだけじゃないよ」


 眼鏡の男がゆっくりと席を立つ。


「ここにいるメンバー全員が有事に備えて鍛えているんだ。……練習メニューとかには個人差があるけどね。僕も一緒に行くよ」

「みうも暇だからついて行こうかにゃん」


 黒猫っぽい見た目をした女性が長い黒髪を揺らしながら立ち上がる。


「体操服でもジャージでもランニングウェアでもいいから、今すぐ着替えて表に出ろ!サボるようならスコップで尻を叩いてやる!!」


 見た目や性格から何となく想像できていたが、やっぱり熱血だった。


 体操服を肩に担ぎながら室内に備え付けられたロッカー(一人一つ与えられていたが使っていなかった)に向かって重い腰を浮かす。



☆★☆★☆



「ねぇ、『『貧乳派』の救世主』さん♡」

「何でしょうか?」

「みうの動物擬態性愛スードゥズーフィリアみたいな性癖を特殊性癖って言ったりするんだけど、その中で最も位階が高いのが何か知ってるかにゃん?」


 横に並んで走りながら話しているというのに全く息が上がらないまま、黒猫のような見た目をした女性は会話を続ける。


 特殊性癖を持ち、特殊性癖を能力としている人たちのことを、女性の胸の大小を性的対象としないことから、総称して『どちらでもない派』と呼ぶ。

 そして、その『どちらでもない派』の中には特殊性癖の特異さを現す序列が存在し、性癖が特殊であればあるほど人数が少ない代わりに強力な能力となる。


「分かりません」

「答えはドラゴンカーセックスよん」


 走っているせいか、将又はたまた女性の口から少しアダルティな言葉が出たからか。純多じゅんたの顔が少しだけ赤くなる。


「あれ?でもドラゴンカーセックスって、外国人が作り出したジョークじゃないんですか?」


 こういう話にあまり明るくない純多でも名前を聞いたことはあったし、存在自体は知っていた。自分の記憶を呼び起こす。


 ドラゴンカーセックスとは、ドラゴンと自動車による性行為を指す性癖だ。

 ドラゴン(オス)が男性器を自動車のトランク部分などに挿入し、自動車と性行為をしている絵を指すことが多い。


 しかし、このドラゴンカーセックスには他の性癖と大きく異なる点がある。


 それは


「「海外での性に対する規制は厳しく、ドラゴンが自動車と性交しているようなイラストでも描かない限り規制に引っ掛かっちゃうよ」というジョークを元にして生み出された性癖であり、この性癖を性的嗜好としている者は世界規模で見ても極めて少数派だとされている。


「元を辿れば、ね。でも、このドラゴンカーセックスという性癖が誕生したことで、ドラゴン性愛者や車のマフラー部分をフェチとする対物性愛者のごく一部、ドラゴンカーセックスの魅力そのものに目醒めた人がいるっていう話を小耳に挟んだことがあるんだにゃん」


 特殊性癖は千差万別だ。


 ドラゴンを性的対象と見る者もいれば、車のマフラー部分に男性器を挿入することで性的興奮を得る者もいる。


 あるいは、ドラゴンが好きな者がドラゴンと車のカップリングに目醒めたら。

 あるいは、車のマフラー部分で性欲を満たしていた者が、ドラゴンに車をNTR寝とられることで性的興奮を得たら。


 ドラゴンカーセックス単体としては存在し得ないとしても、他の性癖と複雑に絡み合うことで偶発的に昇華することだってあり得るのだ。


「つまり……」

「うん」


 少し間を置いてから、純多のペースに合わせて隣を走る黒猫の女性は口を開く。


……みうは出逢ったことはないけどにゃん」


 もし、そんなぶっ壊れた能力を持った者がいたとして。

 その人物と刃を交えなけばならない日が来たとして。


 果たして自分は勝てるのだろうか。


『『貧乳派』の救世主』として矢面に立ち、先陣を切って駆けることができるだろうか。

 胸を張って背中を見せながら仲間を守ることができるだろうか。


「おいおーい。いきなりペースを上げたって疲れるだけだよーん。それとも、みうが看病する保健室イベントをお望みかにゃん♡」


 そう考えたら誰に背中を押されるでもなく、純多の脚は加速していった。

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