第12話:雑草

「はわわわっ!!」


 黒猫のような見た目をした女性の鋭い爪がお団子ヘアーポンパドールの少女の首筋にあてがわれる。


田打たうちっ!!」

「おっと。これ以上動くと爪をすぅーって引いちゃうにゃん?」


 見せつけるように爪を揺らすと銘刀にも劣らない鋭利な紫電を放つ。


「まぁ、動かなくても、すぅーって引いちゃうんだけどにゃん♡」

「う……、ううっ…………」


 苦しそうに呻く少女の首筋からは一筋の血が流れ出る。


「おい!!何をするんだ?!」

「決まっているでしょう?この娘を殺すのよ」


 鬼頭きとうと黒猫の女性の間には十メートル程度の距離があるため、一瞬で間合いを詰めるのには無理がありそうだ。


 ならば、


(鬼頭さんよりも距離が近い、俺がやるしかない……っ!!)


 嫌な汗で湿った拳を硬く握る。


 幸か不幸か相手は純多じゅんたが持つ能力については知らないため、手で触れることさえできれば黒猫の女性を無力化することができる。

 ……純多の能力が本当に『『貧乳派』の救世主』であればの話だが、こればかりは鬼頭と冴藤さえふじの意見を信じるしかない。


「みう、こういう娘を見てるとイライラしちゃうのよねぇ。まるで自分は蚊帳の外にいて、絶対に安全です、って言ってるみたいでさ。命のやり取りをする覚悟ができていないんだったら、戦場に立たないで欲しいんだよねぇ」

「うっ……、うっ…………。ぐすっ」


 もはや嗚咽おえつすることしかできないようだ。

 両方の目から落ちた雫が輻射熱ふくしゃねつの残るアスファルトを湿らせる。


「能力を手に入れたのだって、差し詰め誰かに誘われて軽い気持ちで来たのでしょう?みうは、あなたみたいな頭の中がお花畑な娘を一方的に甚振いたぶって、絶望させるのが大好きなんだにゃん♡」


 距離にして数メートルだが、純多が到達するのと、鋭利な刃物のような爪が田打の喉笛を掻き切る速度。どちらが早いかなど考えるまでもない。


 一気に突っ込めるタイミングが来るまで黒猫の女性の話に耳を傾ける。


「所詮、あなたのような鈍くさい娘は何処に行ったって輝ける場所なんてないんだにゃん♡路傍で泥臭い雨水を啜って生きるのようにね」

「雑草……」


 黒猫の女性にとっては何の変哲もない比喩表現だったが、その一言を耳で捉えた囚われの少女の心臓が大きく脈打つ。


 路傍に咲いている、汚くて、無駄にしぶとくて、根強い植物。

 植物学的に分類されておらず、明確な名前も持たない。その他の多な


「雑草は…………」

「ん?」


 言わせない。

 絶対に言わせない。


 雑草のように目立たず地味な少女とは、絶対に言わせないっ!!

 何処にも属することができずに、踏み潰され続ける草になんて、絶対になるものか!!


「雑草はっ!!」


 そこで黒猫の女性は気づく。

 人質に取った少女の身体が小刻みに震えていることを。


 ただ泣くことしかできなかったはずの少女から、強い闘志が溢れ出ていることを。


「雑草は汚い花なんかじゃありませんっ!!」


 決意を込めるかのように少女が語気を強めたのも束の間、


「ん゛ん゛っ!!」


 ごっ!!という鈍い音と共に黒猫の女性の視界に火花が散る。


 田打が頭を突き上げて女の顎を跳ね上げた音だと気づくのには転舜の時間を要した。


「今です!棟倉むねくらさんっ!!」

「……っ!!あっ、あぁ!!」


 この場ではスコップを構えた鬼頭ですら、その予想外の動きに口を開けたままになっていた。

 少女の声に背中を押され、渾身の力でアスファルトを踏み締める。


 黒猫の女性には誤算が三つあった。


 一つは、何の変哲もない少女から出た剣幕に怯んで隙を作ってしまったこと。

 一つは、その少女に痛棒を喰らわされるとは思っていなかったこと。


 そして、


「大人しくしやがれこの野郎っ!!」


 その一瞬の隙に『『貧乳派』の救世主』の異名を持つ、実力未知数の少年に距離を詰められてしまったことである。


「ふんっ。『『貧乳派』の救世主』とやらがどれほどの実力者かは知らないけど、お手並み拝見といこうかしら!!」


 相手の力・能力は未知数だが、こちらは性癖によって世界が分断されてから、ずっと野良で戦ってきた身。ストリートファイトの場数では負ける気がしない。

 身体の前で腕を交差するように構えて渾身の一撃を受け止めると、黒猫の女性の腕を打擲ちょうちゃくする小気味好い音が響く。


「うっふふふ。大した火力じゃないわね!それじゃあ、みうの勝ちだにゃん♡」


 攻撃を受けた感覚そのままで判断するならば、パワーはこちらの方が上。

 そしてこちらには刃物のように研ぎ澄まされた爪がある。同じCQCで戦うのならば武器の数が多い方が有利だ。


 即座にカウンターを決めるべく、ネコ科動物のように自由に伸縮できる爪を伸ばす。


「さっきのパンチのお返しよ!!」


 一説によると、本気で放たれた猫パンチはプロボクサーの二倍以上の速度が出るという。


 では、そのパンチが能力で強化された人間から出たらどうなるか。


 五本の爪が確実にヒットするように軽く手を開き、少年の顔を抉り取るべく右手を振り下ろす。


 ――が、開いた五本の指は純多の顔前を通り過ぎ、明後日の方向へと流れる。


「???」


 すぐに違和感に気づく。

 敵が目の前にいるにも関わらず自分の手指を眺めると、黒猫の女性は恐怖に息を呑む。


「爪が出せないし肉球がない……っ?!一体どういうことなの?!」


 恐る恐る背後を振り向く。

 しかし、蛇のようにくねっていた尻尾は何処にもない。


「何が起こってるの?!」


 両手を挙げて頭頂部をさする。

 しかし、レーダーのように立った一対の耳は見当たらない。


「それが『『貧乳派』の救世主』の力だ」


 気づいた時には遅かった。

 黒猫の女性の首筋に冷たい質感の工事道具が宛てられる。


「まさか棟倉が本当に『『貧乳派』の救世主』だったとはな。この目で見て実感したよ」

「……ねぇ。みうはどうなっちゃったの?!説明しなさいよっ!!」


 右手でスコップを握り締めながら振り向くと怒りに歪んだ顔で詰問する。


「君が何処まで聞いていたかは分からないけど、さっき説明した通りだ。君は異能力を消され、ただの女の子に戻ったんだ。それに、」


 するっ。

 するするっ。


 衣擦きぬずれの音が黒猫の女性から鳴り、着ていたバニースーツのような服がはだけた。妖艶な輝きを放つ上半身が顕わになる。


「君は棟倉に触れられたことでバストサイズが小さくなった。我々『貧乳派』が好むサイズにな」

「そ、そんな……っ」


 ぺたんと力なくお尻を地面に付けながら、黒猫の女性は自身の胸に視線を向ける。


 Gカップはありそうな二つの胸は、両の掌で押さえられるほどの極小サイズに変化していた。

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