第3話:『統率の藤本』

 キーンコーンカーンコーン――。

 ホームルーム終了のチャイムが鳴ると、一礼の後に教室から生徒たちが吐き出されれる。


「やっと終わったか……」


 重苦しい息を吐きながら純多じゅんたは机に撓垂しなだれる。


 能力者たちによって見えない境界線で世界が分断されて三年。

 もはや恒例となっているため誰も違和感を抱かなかったが、能力者同士の戦いが発生した時、その戦闘区域に巻き込まれた学校や職場は臨時休校・休職になり、公的に出された避難勧告によって、その範囲内に住んでいる住民たちの退避が行われたりする。言うまでもなく、住民たちの安全を確保するためだ。


 ここ地武差ちぶさ高校も例外ではなく、巨大娘とロボ娘が出没して危険だから、という旨で、全校生徒に三日間の自宅待機が命令された。


 そして、その三日の空白期間が空いた翌日が金曜日だったため、この一週間で出席したのは月曜日と金曜日だけ。二日間だけ出校するというのも、それはそれで心労である。


「これでやっと、撮り溜めたアニメが観られマース♪」


 そんな、しなびた雑草のような脱力状態になっている純多の顔を覗きに来たのが、金髪の長いツインテールに綺麗な緑色の瞳を持つ少女・ポリン=セイファスである。


「昼休みの時に「撮り溜めたアニメがたくさん観られて、嬉しかったデース」って言ってなかったっけ……?」

「ン?撮った物を全部観終わったわけではないので、全然オッケーですヨ?」

「この三日間であんまり観てなかったとか……?」

「三日間で25本くらい観たので、一日8本くらいでしょうカ?そう考えると、あまり観れてないかもしれませんネー」


 それでも一日4時間程度の視聴となるため十分な気がするのだが。さすが日本のアニメが好きで単身フランスから日本に来たという生粋のアニメ好きである。


「ア。そうダ!ジュンタにはキャドゥープレゼントしたいものがあって、和菓子屋で買ってきたものがあるんだヨ。今日、漢字の小テストの勉強に付き合ってくれたお礼だから、遠慮なく受け取っテ」


 がさごそと手提げ鞄をまさぐって和紙に包まれた小さなお菓子を取り出すと、机の上で開封する。


「これは……」


 和菓子の正体は、乳白色の艶々つやつやとした綺麗な外見をした饅頭だった。特徴的な部分と言えば天辺てっぺんに赤い羊羹で着色された丸い点だろうか。

 昨今では和菓子屋だけではなく、駄菓子屋やお菓子コーナーでも当たり前のように、そして、全国的・世界的に売られるようになった和菓子だそうだが、男子高校生一年目の健全な青少年・純多には気恥ずかしくてレジに持っていくことすらもあたわない。


 何故ならば、


ワタシの国でも売られているけど、これって日本の和菓子なんでショー?日本人の発想は面白いデース!」


 その名を『おっぱい饅頭』というからだ。


「凄く美味しそうだったのでたくさん買ってきましター。ジュンタにもあげマース!」

「あ、ありがとな……」


 気恥ずかしいので、そそくさとポケットに仕舞う。


「アレ?食べないんですカおっぱい饅頭?ぷにぷにとした生地の中に、とろとろのクリームが入っていて、とってもデリシャスですヨ?」

「恥ずかしくて食べられねぇよ。家で食べるわ」

「それとも、ジュンタはおっぱい饅頭を食べると魔法少女に変身しちゃうから、人前では食べられない……、とカ?」


 アニメ大好き少女がちょっとだけ期待の眼差しを向けるが、


「はぁ?アニメの観過ぎじゃねぇのか?」


 変な噂が立っても困るので、はっきり否定する。


「そもそも俺は男だぞ?変身するんだったら魔法少女よりも戦隊ヒーローだろうが」

「ノンノン。ワタシ、ツインテールが好きな男の子が美少女に変身するアニメ知ってるヨ。変身したいって気持ちがあれば、ジュンタだってかわいい女の子になれるんだかラ」


 よっぽど機嫌がいいのか、ポケットから同じ饅頭を二つ取り出すと、控えめな胸の上に当てて歌うように口を開く。


「それにしても面白いですよネー。おっぱいをお菓子にしちゃうなんテ!これなら男の人に付いているおちん」

「待って!それ以上は言っちゃだめぇ!!」


 男だから、女だから、という言い方が昨今時代遅れで、セクハラ云々になるというのは分かっている。

 だが、この天真爛漫な留学生の少女に、そんなものの名前を口に出させてはいけない気がして大声で遮る。


「オララ。言葉には気をつけないとダメだネ。じゃあ、ワタシは帰るヨ。アニメがワタシを待っているからネ」


 少女は元気に手を振ると、二つに縛った金色の髪を靡かせながら教室の外へと消えた。


「さて、俺も帰るかな」


 理由は分からないが籾時板もみしだいたは終礼とともに何処かに消え、三慶みよしは所属している空手部へと向かった。登校時は三人で行くことが多いが、帰りは一人になることがほとんどだ。


 一人になるというのは誰かのペースに合わせる必要がないため楽である。

 だが一方で、守ってくれる人間が誰もいないことを意味する。


「おいそこの一年生。止まれ」


 横合いにある並木。


 その陰からよく通る声で話し掛けられ、純多の肩が大きく跳ねる。

 錆びついた機械のように鈍重どんじゅうな動きで首を動かすと、


「貴様、何故呼び止められたか分かるか?」


 まるでイソギンチャクのように腰ベルトに無数のサイリウムを突き刺した男が、不機嫌そうな顔をしながら立っていた。


「さ、さぁ……。俺には何のことだか…………?」

「誤魔化そうとしても無駄だ」


 本当は理由は知っているし、面倒だからさっさと退散したいのだが、呼び止めたサイリウム男には不満しかないらしい。肩を怒らせながらずんずんと近づいてくる。


「我ら『ポリン様防衛隊』の許可なく和菓子を貰い、それをポケットに入れて我が物にしたな?大人しく貰ったものをこちらに提出せよ」


『ポリン様防衛隊』は、昭和アイドルの熱烈なファンである親衛隊のように、ポリンを陰ながらに見守り・支える生徒たちのことだ。


 その『ポリン様防衛隊』の中でも『三幹部』のメンバーは少々過激な部分があり、他者がポリンから貰った者を強奪まがいに入手したり、学校内でのポリンの動きを随時監視・盗聴している。


「何で俺があなたたちにお菓子を献上せねばならないんですか?!」


 ついさっきの出来事のはずなのに何処から情報を得て共有しているのか。ヤバい見た目をしているが一応この学校の先輩であるため、最低限の丁寧語を使って反論する。


「決まっている。そのお菓子を『ポリン様防衛隊』の神具にするためだ。ポリン様が触り、ポリン様が購入したもの。紛れもなく、防衛隊の神具となるにには相応しいアイテムだ」

「ちょっと待ってくださいよ。えっと――」

「私の名前は『統率の藤本』だ」

「『統率の藤本』さん。確かに俺はポリンからお菓子を貰いました。でも、考えてみてください」


 腰回りにサイリウムを差した男の眉が、ぴくりと動く。


「俺は「食べて欲しい」と言われてポリンからお菓子を貰っているんですよ?もし防衛隊の皆様が俺からお菓子を取り上げて、俺がお菓子を食べなかったとしたら、ポリンはどんな気持ちになると思いますか?」

「ぐううっ!!」


 今の一撃は彼にとって大きなダメージとなったようだ。胸元を苦しそうに抑えながら身体を曲げる。


「ポリン、めちゃくちゃ喜んでましたよ?お菓子を食べた感想を俺から聞けなかったら、ポリンは相当悲しむんじゃないですかね?」

「ぐ……、ううっ。だが、しかし…………」


 胸を抑えたまま目を泳がせる『統率の藤本』。

 彼の頭の中で『隊としての神具』と『他人を思うポリンの気持ち』、どちらを優先させるかで天秤が揺れ動いているようだ。


 逃げるならば今しかない。


 ポケットに入れたおっぱい饅頭(二つ)に軽く触れて落ちないことを確認。正門に向けて全力で走る。


「あ、こら!待てっ!!」


 イソギンチャクのように刺したサイリウムは相当な重量を誇るはずなのだが、こう見えて剣道部ではエース級の腕前らしい。体力には自身があるのか全力で走る純多に互角程度の速さで追走してくる。


「くそっ!何でこんな目にいっ!!」


 さっさと安らかな土日を迎えたい。

 涙目になりながら学校周辺の住宅街を遮二無二しゃにむに走り、防衛隊三幹部の一人から逃げ切ることを試みる。

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