第2話:『貧』がいいか『豊』がいいか

「昨日、同級生の谷口から聞いたんだけどさ、人吉ひとよし辞めちまうらしいぜい」

「えっ!マジかよ?!」


 片道2km程度の通学路を横に並んで歩きながら、右隣から籾時板もみしだいたが話を続ける。人吉先生とは中学校時代の純多じゅんたの担任だった男の名だ。


「定年退職だってさ。寄る年波には敵わないってことだなー」

「嘘っ?!人吉先生って、そんな歳だったの?!もっと若いと思ってたんだけど?!」


 左隣から驚いた表情で三慶みよしかおるが声を挙げる。肩までの長さに切り揃えたショートヘアーの、元気が取り柄の少女だ。

 純多・籾時板・三慶の三人は幼馴染みで、いつから始めたわけではないが、こうやって三人で並んで他愛のない会話を繰り広げながら一緒に登校するのが朝の日課になっていた。


「教師だったら再任用があるだろ?あと5年はいけるんじゃないのか?」

「人吉って、ぎっくり腰で休むことが頻繁にあったじゃん?生まれながらに腰が弱いらしく、階段の上り下りをするのが限界らしいぜい」

「えーっ!名前の通りお人好しの先生だったのに残念!!」

「お人好しの人吉なんて呼ばれるような、いい先生だったのにな」


 住宅街の中にある雑木林を切り開いて学校を建てた都合上、民家と民家の間にある道を進んでいくと、開けた視界に突如として学校とその正門が姿を現す。純多たちが通っている学校・地武差ちぶさ市立高校だ。


「ん、あそこに立っているのは……?」


 古い学校であれば何処にでもある、鉄格子の扉が開け放たれた正門。

 その入り口を塞ぐようにして、赤いジャージを着た女子高生がスコップを突き立てて屹立していた。その姿はまるで、許可なく王城に侵入しようとする不届き者を排除する騎士のようだ。


「げええっ!!」


 その生徒を遠目から発見すると籾時板の顔が一瞬で青くなった。

 何故ならば、


「おはよう諸君。我々風紀委員は今、抜き打ちで持ち物検査を行っている。協力していただこう」


 風紀委員のメンバーたちが持ち物検査を行っているからだ。東の空から降り注ぐ太陽の光を受けて、少女の左腕に装着された『風紀委員長』と書かれた緑色の腕章が光る。


「き、鬼頭きとう鉄破てつは風紀委員長じゃねぇか?!なんでこんなところにっ?!」

「って勇気ゆうき!顔真っ青だけど大丈夫?!何持ってきたのさ?!」


 露骨に顔色を悪くする少年の顔を三慶が覗き込むと、クマのヘアピンで留められた前髪が揺れる。


「お、おっぱいマウスパッドだ。ネット通販で頼んでおいたのが届いたんだが、親から隠すために咄嗟に学校鞄の中に入れちまってたんだよ……」

「あんた、またそんなもん買ってたの……?」

「馬鹿野郎!!女性の大きくて柔らかそうな胸を見たい揉みしだきたいと思うのは、この世の全ての男の夢だろうが!!女の胸が嫌いな男がいたら連れて来い!!」


 幼少期から一緒にいる時間が長いため、彼女は籾時板の性癖を理解しているのだが、おおやけの場で出されて気持ちのいい話題ではない。少女が汚い物を観るような冷たい瞳を向けるが、変なスイッチが入ってしまったのか豊満な胸を誰よりも愛する少年の暴走は止まらない。


「そもそもの話、女性の胸が成長するにつれて大きくなっているのは何故だか考えたことがあるか?」


 スコップを突き刺して凛として構える鬼頭含め、校門へと向かう生徒全員の視線が集まる中、構うことなく持論を力説する。


「答えは『自身の女性としての魅力をアピールするため』だ!胸が大きい女性ほどしゅを生存させるための争いに勝ちやすく、残した子孫からも胸の大きい女性が生まれる。つまり、胸が大きい女性に魅了されるのは、男として当然のことであり、遺伝子構造が作り出した、最も効率よく種を残すためのプログラムでもあるんだぜい!!」

「違う…………っ!」


 バストサイズを決定するのは遺伝ではなく、第二次性徴期による生活習慣の影響によるものであることを伝えるためか。


 いや、別なる立場からの反転攻勢に出るためだ。


 何よりも貧乳を愛する少年・純多は鞄を投げ捨てると、今にも殴り掛かりそうな勢いでまくし立てる。


「それは『胸が大きい=美しい』という偏見に過ぎない!成長した鳥の姿を見て美しいと言っているのと同じだ!!」

「何だと!?」


「また始まったよ……」と、呆れたような視線で部外者づらをし始めた三慶を気にすることもなく、鬼の形相で睨む幼馴染みの元へ、ゆっくりと歩み寄る。


「卵から生まれたばかりの雛が、どんなに美しい羽根を持つ鳥に成長するのかを見守るように、成長途中の胸がどのように大きくなっていくのかを見守る。それこそが女性の胸を愛でることにおいて、最も美しいことだろうがっ!!」

「あん?完成した作品よりも、完成する途中の作品の方が美しいとでも言うのか?スペインに行って黙ってサグラダファミリアでも鑑賞してろよ?」

「ミロのヴィーナスが何で美しいか知っているか?それは『腕が欠けているから』だよ!その腕は後ろ手に組まれていたのか、それとも誰かと手を繋いでいたのか――。その無限とも言える可能性を想像する楽しみが秘められていることに、最大の美しさがあるんだっ!!」


「何事だ?」「面白そうだな?」

 男子生徒二人が大声でおっぱいについて熱く語る珍事に反応して、状況を見守る生徒たちの野次馬の輪が大きくなっていく。


「女性の胸だって同じだ!どう成長するかという無限の可能性を秘めている状態の貧乳こそに意味があるに決まっている!!ほら見ろ!!」


 びしり、と純多が指したのは三慶の胸板。その双丘の起伏は残念ながら非常に乏しい。


「香の胸はほぼないじゃないか!その胸がどう成長していくのか、仮に小さいまま成長が止まっていたとしても、それは『普通ではない状態』での停止。蝶はさなぎのままで止まることができないにもかかわらず、貧乳のままで止まった女性の胸は、その自然界では不可能とされる変態の途中での制止が可能ということだ!!どうだ?素晴らしいと思わないか!?」

「よ……、よ、よ…………っ!!」


 腕を震わせ頬を赤らめながら拳を握り締める、元気が取り柄の短髪少女。


 そして、


「余計なお世話じゃあああぁぁぁぁああぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああぁあああああーーーーーーーーーーーっっっっっ!!!!!!!」


 突き挙げるように放たれたアッパーカットが純多の顎にヒット。

 空手の有段者とあってその膂力りょりょくは凄まじく、上空へと突き上げられた身体が比喩抜きに宙を舞う。下顎の骨が原形を留めているだけ幸いか。


「じゅ?!純多あ!!」


ごしゃあっ!!という音と共に頭から地面に落下した親友兼ライバルを心配そうに見守っていると、


「お前たちはいつもこんな感じなのか?」


 何かスポーツでもしているのか、表皮の厚い少し無骨な指が肩の上に置かれる。一連のやりとりを間近で静観していた少女・鬼頭のものだ。


「ひいいっ!!」


 恐怖で肩が大きく跳ね上がるが、もう遅い。大人しく風紀委員長に捕まるしかなかった。

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