第14話 「……佐古川さん、どうして今日は標準語なんですか?」

 チラッとリハビリ室に視線を向ける。

 横になっていた尚也はいつの間にか、男性に介助されながら立ち上がりの練習をしていた。自分も尚也を支える場面が幾つもあるので、ついつい理学療法士の動きを注視してしまう。

 そんな自分に気が付いたのか志摩子も話すのを止めて、周囲はあっという間に待合室独特の空気に包まれる。

 秒針が一周した位の時間そうしていた。立ち上がりの練習を終えた尚也が車椅子に着席し、一旦の休憩に入る。どうやらまだやるらしい。

 リハビリ中の尚也は相変わらず無表情で理学療法士とも会話が無いようだったが、車椅子にジッと座っている時よりもほんの少しだけ楽しそうに見えた。元々体を動かす事が好きなのかもしれない。


「鴻野君って何かスポーツをやっていたんですか?」

「はい、小学校の頃からミニバスやサッカーに野球と色々手を出していまして。中学からはずっとバスケ一本でやってて、ウィンターカップにも行った事があるんですよ」

「……ばり陽キャたいねぇ……」


 彼女が居て、部活を頑張っていて。きっと友達も多かったのだろう。

 尚也が一気に別次元の人間に思えて思わず方言混じりに呟く。


「ふふっ。そうですね、典型的な陽キャかと」


 二児の母親は今時の単語も理解してくれるようだ。流石だ。


「佐古川さんは兄弟はいらっしゃるんですか?」

「居ません、一人っ子なので鴻野君が羨ましいですよー」


 志摩子とも大分話しやすくなってきて、へらっと笑って答える。

 それからは福岡でおすすめのお店やおおぞらの事を聞かれたので、「あーそれはですね」と答えていく。

 そうしている内に視界の隅で車椅子に座った尚也が、理学療法士と共にこちらに向かってくるのが見え、志摩子も自分もハッとして姿勢を正した。


「お待たせ致しました。リハビリ終わりました~。尚也君もお疲れ様」


 温和な笑顔を浮かべて言う男性の額には汗が光っていた。よく見ると尚也の額にも髪が張り付いていて、頬が上気している。


「有り難う御座いました、先生。では十四時にまた伺いますね、宜しくお願い致します」


 頷き、理学療法士は「失礼します」と言った後リハビリ室に戻っていく。


「尚也、お疲れ様。はい、ポカリ」


 ベージュのトートバッグから取り出した灰色の水筒を渡された尚也は無言でそれを受け取る。それを見てから自分も尚也の近くに寄った。


「鴻野君お疲れ様。それでこの後の事で少し話があるんだけど」


 自分の言葉に、水筒の中身を飲んでいる尚也がゆっくりとこちらに視線を向ける。リハビリ後で疲れているのか、無表情なれど表情があった。

 真夏に長袖の人物を目撃したかのような訝しげな目。

 猫耳をつけた犬でも見るような微かに引きつった頬。

 目は口ほどに物を言う――その言葉の意味が良く分かった瞬間だった。


「……佐古川さん、どうして今日は標準語なんですか?」


 ストレートな言葉に「うっ」と言葉に詰まった。「志摩子にも分かりやすいように自分なりに配慮したつもりだ」と言う前に、後方からクスクスクスと笑う女性の声が届いた。志摩子は息子が人と何気ない会話をした事に感動しているのか、若干涙目になっている。


「っ、まあ、まあ……っ。佐古川さんはやっぱり気を遣って標準語にして下さってたんですか? 大丈夫ですよ、喋る事は出来ませんけど私は九州男児に嫁いだ女なんですから意味は分かります。どうぞ喋りやすい言葉で話して下さい」


 柔らかく笑んで自分に話し掛ける。


「……それならしゃあなしね……へへ、有り難うね、鴻野君!」


 この空気の中標準語を貫き通す程の気概で最初から喋っていなかったので、有り難く博多弁に戻らせて貰った。


「それで、二時にまたここに来るの面倒やん? 誰が取りに行くかもあるし。やからお母さんと俺とで、どうせやったら敷地内のファミレスでランチでもしよっか、って話しとったんやけど、鴻野君もどう?」


 志摩子が車椅子を持つ中、身を屈めた自分が提案する。自分の提案に尚也は最初少しも反応してくれなかった。気まずい間だけが周囲に広がっていく。

 これは駄目かと思った――しかし。


「…………座る位置が通路側じゃなくて窓側の席なら」


 数秒かけて視線を落とした尚也は、最終的に頷いてくれた。志摩子からあんな事を言われていたとしても、まさか本当に頷いてくれるとは思わなかった。


「え、良か? ほ、本当に良かと?」


 内心疑問符でいっぱいになっているのを誤魔化すように繰り返し問いかける。

 と、尚也が口を閉ざして僅かに俯いたのが分かった。背中も丸まっていて小さくなっている。

 ――怖気づいたその姿にハッとした。尚也はきっと勇気を出して頷いてくれたのだ。なのに自分が戸惑った様子で居ればこの小さくなっている少年の、せっかくの頷いてくれた気持ちが変わってしまう。


「あっ、じゃあ行こっか! レストラン、確かこっちやったかいね……!」

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