第13話 「え。俺、ですか?」
リハビリ室の扉は全開なので、待合室のソファーからも奥に平行棒のスペースが取られ、フィットネスバイクなどの運動器具が壁一面に並んでいる様子は良く見えた。入院着姿の人からタンクトップ一枚の人も、それぞれの担当理学療法士の下各々のリハビリに励んでいた。
理学療法士や患者の往来が多い通路の奥、移乗中の尚也の姿が見える。プラットホームという、主にリハビリや介護用品として使われる二畳程の大きさがある四つ足の台に横になるようだ。
「動かさないと固くなってしまいますし準備運動も兼ねて、前半は先生にマッサージをして貰うのが常なんですよ」
何をするのか、と不思議がっているのが伝わったのだろう。隣に座った志摩子が説明してくれた。リハビリは大体一人一時間くらいと以前小百合から聞いていたが、こういう事をする物だとは知らなかった。
「そうなんですね、教えてくれて有り難う御座います」
「いえいえ、こちらこそ有り難う御座います! 佐古川さん、おおぞらに帰られますか? メニュー表は私が受け取っておきますので、十四時まで残っていなくても大丈夫ですよ」
「えっ。良いですよ、おおぞらからここまで近いですし、おおぞらに置く物なんですから俺が午後取りに来ます!」
まさか志摩子達が残るつもりで居るとは思わなかったので驚いた。首を横に振って訴える。
「いえいえいえっ! 佐古川さんは仕事があるじゃないですか?」
「俺は今日十五時の送迎までに帰ればいいのでっ!」
どっちが残るかと押し問答を繰り返していると、志摩子が「ぷっ」とおかしそうに笑った。
「ふふふっ。じゃあこうしませんか? 一緒に残りましょう。丁度この病院の敷地にファミレスがあるんです、ランチを一緒にどうでしょうか?」
ふふふっと志摩子は目を細めて笑う。尚也がもし笑ったらこういった表情なんだろうなと思った。
「え。良いんですか? あ、カレー……じゃなくて、はい、良かったら是非!」
一瞬、おおぞらは今日夏野菜カレーだと思い出して後ろ髪を引かれてしまったが、カレーと尚也と仲良くなれそうな機会を天秤にかけたら、ランチを選ばなくては損だ。
是非、と大きく頷いた物の直ぐにある事に気が付いた。どもった自分に志摩子は不思議そうに瞬いたものの、快諾されたのだと分かると嬉しそうに頬を緩ませる。
「あ……でも。頷いちゃいましたが。尚也君、一緒に食べてくれますかね?」
飛びついてしまったが、外に出ないという尚也がランチを一緒に食べてくれるだろうか。一気に不安になった。
視線をリハビリ室に向ける。尚也はまだ横になってマッサージを受けていた。
「あっそれはあるかも……でも。いいえ、きっと大丈夫です! 病院内ですし、佐古川さんもいらっしゃいますし」
「え。俺、ですか?」
突然出てきた自分の名前に目を丸くする。
「尚也、佐古川さんの事慕っているみたいじゃないですか。佐古川さんには口を開きますし。……佐古川さんの事好きなのかしら」
「ええええっ!?」
続いた言葉に、周囲の人や通りすがりの看護師に睨まれる程大きな声を上げてしまった。もしかしたらリハビリ室にいる尚也の耳にも届いたかもしれない。
「ご、ごめんなさい……」
慌てて亀のように首を縮めて声を潜めて謝る。その様子に志摩子がクスリと笑ったのが分かった。
「私もごめんなさい、冗談が過ぎました。……同性だし歳が近いからですかね。親と言えどあの子の気持ち、私ではどうしても分からないところがあるから…………」
そう言って志摩子はどこか諦めたように笑う。
突然息子が障害を負ったのだ、志摩子だって疲弊しきってて辛いに決まってる。それに尚也はずっとあの調子のようだ。
マスカラが綺麗に塗られたその横顔を視界に映し、なんにも言えなかった。
それから志摩子は、自分が諦めたように笑った事など忘れたように明るい表情で色々と尚也の事を話してくれた。
大学生の姉――カラオケ大好きらしい――は東京にある八王子市で独り暮らししている事。父親は葛飾区の家に残って自宅のバリアフリーリフォームを進めている事。障害を負った直後尚也は当時付き合っていた年下の彼女にフラれ、その頃から塞ぎ込みだした事。博多には尚也が「東京に居たくないから祖父母の家がある博多に行きたい」と希望したので来た事。
尚也がどうして東京に居たくなかったのかは分からないが、義実家で暮らすなんて志摩子にも相当の覚悟が必要だったろう。だがそれを上回る程志摩子は息子を守りたかったのだ。
尚也への接し方に悩んでいるようだが、そこに息子への強い愛情を感じる。それだけに尚也の態度が歯がゆかった。
先日、尚也の姉が彼氏と一緒に博多に旅行しに来たとも教えてくれた。
弟の様子が心配だったのと、春から付き合い始めた彼氏と夏休みに旅行したかったかららしい。
昼食は姉が一人で家に来て一緒に食べたそうだが、夜は彼氏と屋台デートを楽しむ為にホテルに帰ったそうだ。久しぶりに姉と会ったものの、尚也はずっとあの調子で、辛そうにしていたという。
分からない事も多いが、尚也の事が以前よりも少し分かった気がする。あの少年は、人――それが姉であっても――と会うのが辛いのだ。
そんな尚也がどうして、一日程しか一緒に居なかった自分を慕ってくれているらしいのか、本当に分からなかった。あの日、少々進んで尚也を気にかけていただけだと言うのに。
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