価値観を伴う個々人の判断基準について(見た目編)
「私は常々こう思うのよ」
「なんだい?」
「人は人をどう区別しているのか、とね」
「うん、それは実に興味深い話題だ」
初夏の風が流れる午後、喫茶店のテラス席で、公園の噴水に群がる子供達と、その近くで雑談をしている母達を眺めながら彼女は口火を切った。
「人の顔なんてどれも似たり寄ったりでしょ。それなのに、どうしてそこに居る人とあそこに居る人が別人だと分かるのかしら」
そこに居るのは杖を突いて歩く老人で、あそこに居るのは全裸ではしゃぐ子だった。
「確かに、難しい問題だ。何をもってその二人を別人だと判断しているか、普段何気無くやっている事ではあるけれど、その仕組みに関してはあまり考えたことが無かった」
長い栗色の髪をたなびかせ、ティーカップに注がれた紅茶に自前の小瓶から何かの液体を垂らす。
赤黒い透明感のあるそれは、数滴落ちると、その色を紫に変えた。
彼女がそれを飲むのを見て、彼女が喋る気がない事を悟り、僕は続ける。
「顔だけでその人だと認識してるとは限らないんじゃないかな?服とか、身に付けている物とか、髪型とか」
「その理屈だと、同じ服を着て同じアクセサリーをつけて同じ髪型をして同一人物だと誤認される可能性がある、と?」
「性格とかはある程度反映されるんじゃないかな?」
そういう彼女は今日、朝露に濡れた牡丹をプリントした中華系のデザインのオフショルダー服に、謎に浮いているレース羽衣を腕から肩に巻き付け、膝上まであるプリーツスカートを履いている。模様からして上下セットだろう。
靴はワインレッドのハイヒールを身に付けている。
長い栗色のストレートを途中からカナブンやら蜘蛛やらを模した髪留めで結び、十束程に枝分かれさせている。
未だかつて同じ装いで街を歩く女性を僕は見た事が無い。
「じゃあ、あなたが今緑色の髪色にして、大鷲の翼を背中に貼って、ローラーの付いた靴で走ってたら誰もあなただと気づかないってこと?」
「通報されるんじゃないかな?そう言えば相貌失認と言う病気があるらしいね。人の顔の区別ができなくなる脳の障害だとか。そう考えると、脳にちゃんとそういう機能があるんだろうね」
「脳科学的な話はどうでもいいわ」
これは方向を間違えたらしい。となると、彼女が向かいたいのは何処なのだろうか?
その答えを提示してくれない以上、こちらが見つけ出すしかないのだろう。
「すいません。私カメラマンをしているんですが、お二人がとても画になるので一枚撮っても良いですか?」
そこで、古いカメラをぶら下げた中年の男が、店のテラス席の外から話しかけてきた。男の見た目は……まあ割愛する。
「私は構わないけど」
「僕も良いですよ」
「ありがとうございます」
男は喫茶店を背景にツーショット写真を撮ると、写真が直ぐに出てきた。カメラの古さから見て、チェキではなくポラロイドだろうか?
写真を彼女に渡して、カメラを背負っていたバックパックにしまう時、中にハードカバーの冊子がチラリと見えた。渡された写真を眺めながら、彼女は独り言のように呟く。
「あの人にとって、私達は何か特別に見えたのかしら?」
「どうだろう?少なくとも明日すれ違ってもお互い気づかないだろうね」
「だとしたら、私が貴方と別れて次の日会っても、貴方だと分かるのは何故なのかしら?」
「…………」
「…………」
「それは……君が僕の事を好きだからって解釈で良いんじゃないかな?」
彼女が顔を上げ、僕の眼をじっと見てくる。そこからは何の感情も読み取れない。ただ目を逸らしてはいけないという確信はあった。
その内に、彼女はカップに残った謎の液体を天を仰ぐように飲み干し、立ち上がった。
「行きましょうか」
「ああ、そうだね」
店を出てから、十四人目の誰か分からない人とすれ違った所で、彼女は立ち止まり、僕の方を見て言った。
「ところで……」
「なんだい?」
「あなたは誰?昨日私が会った貴方と同じ人?仮にそうだったとして、今ここで証明できる?」
彼女の探求心にはまだ底が無いらしい。
※別作品『変わらない場所』と舞台をリンクさせています
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