エピローグⅡ
動かない体を横たえたまま、車輪のついた担架に揺られていく間、ずっと空を見ていた。腹部に空いた大きな傷の痛みより、背後で感じる崩れた地面の、あるいはコンクリートの欠片につまずく車輪の方に敏感になり、そして心配だった。
その間、数の足りない医療班に代わって、オートバイのスーツのような服に身を包んだ若い男の子と女の子が私の担架を引っ張って、走っていた。
「医長、バイタル危険です」
「あと五分持たせろ。そうすれば助かる」
様々な医学的用語が飛び交い、混乱の中でいくつもの会話が交わされるのを、ただ自分事と思えないような想いで聞き流していた。
「しっかりしてください、輸血までもう少しです」
ただただ、真っ白いタオルで私の顔から出る玉のような汗を拭きながら、女の子は必至で担架に食らいついて走っているのを解った。
女の子は顔を上げて、対向にいる男の子の目を見た。
「カザトくん、私が抑えるからつまづかないように見ていて」
「大丈夫。この人は助かります」
そのざっとした希望的観測に、彼女は微笑んだまま、緊迫した表情は崩さなかった。
「ファリアさん」
ファリアと言われた女の子はカザトという男の子の目を見る。
カザトは唇を結んで何かを決意したような目でこう言った
「こんなのってないでしょ。この町の人は守れたっていうのに、こんなのって。あっていいわけないでしょ」
ファリアは何も言わなかった。ただカザトに、信頼を抱くようなしぐさで頷いた後、前を向いて走った。
助かっていいのかな。そう思った。私が自分で踏み出した一歩のせいで、彼の仕事を邪魔してしまった。そう思っていたから。
「きっと助かりますよ!」
降着した救護用のヘリコプターに運び込まれる間、カザトの声が聞こえた。
ハッチが開くと速やかに手術と輸血が行われ、そして私は深く眠った。
※
チャムレヴ・パカド。故郷ティンベスタでの痛ましい紛争を目にしてジャーナリストを志し、名門ブント大学報道学部メディアリテラシー学科を卒業、アルクリア・ベースメント社に報道記者として入社後、モルトとウィレが戦争に至るまでに歩む冷徹な外交的決断、制裁と報復、軍事演習の応酬、会談の失敗、その挫折の道を記事にしてきた。
しかしその仕事自体が、星側の都合によるナラティブに沿ったものであるようにしか思えず、退社し、フリーの記者となり、自給自足をしながら生活を送るうちに、モルトランツという最前線の街に流れ着いた。
私はその地位も捨て去って、今この街で働いている。
その道の上で出会った彼とあの壮絶な夜を共にして、私はこの戦争の見方そのものが見事にひっくり返るほどの機密情報と現場の声とおぞましい写真と記憶を手に入れていながら、それを世間の目にさらすことを選択しなかった。
真実を暴き立てる仕事。
正論を振りかざし、主張するだけの仕事。
世間をなびかせることに生きがいを見出す仕事。
そのどれもが、今の自分に合うとも思わなかったし、なにより平穏が欲しかった。自分がこの街のために何かをささげられるだけの時間が欲しかった。
あの日、真っ先に民間人とともに灰燼に帰すはずだったモルトランツを、両軍の良識派と警察が秘密のネットワークを結んで結託していた。
悪の集団の真実と、ウィレの暗部。
しかしそれは、時間がたてばあぶり出されてくることだ。
それが確かに起こるだろうことを確認する作業だけが、私の報道者としての最後の仕事だった。
三カ月たって、今私は、地元地域を結びつける町内ネットワークの結び目として仕事しながら、ストアレコッカレでレジ打ちのバイトを始めて、生計を立てている。
彼がくれたポイントカードは、小銭だけ残って全て使い果たし、従業員だけに許される割引カードと併用して買い物している。
何気ない生活。安家賃のアパート。辛抱して貯めて買った、モルトランツの伝統刺繍の入ったワンピース。
「かわいい」
鏡の前に立って、自分にそんなことをいえて嬉しかった。
そのワンピースを着て、半分に割れた一戸建ての玄関の前に立って、ベルを押すと少し離れたドアが開いて、彼女が現れた。
リズ・マーフィンさんは、私に微笑みかけるなり、小走りで玄関扉を開けた。
「チャムちゃん!」
「ご家族は元気です?」
「うん。ちゃんと食べてる?寝れてる?働きすぎてない?」
「大丈夫です。心配しないで」
リズさんは私と8歳くらいしか違わないけれど、死んだ母のようにいろいろと面倒を見てくれる人だ。今日はサミー君が池公園に遊びに行っているらしく、珍しく彼のいないリビングに二人きりだ。
「お茶入れてくるから……」
「やめてください。たくさん来るって言っても水の量が決まってるんだから」
「いろいろしてもらってるし」
「いいんですよ。のんびりするために来たんです」
それから益体もない話を二人でして、盛り上がった。
ただの世間話だ。近所の困っている人の話や、戦禍に負けず開店した店の話、復興工事の話。リズさんは旦那さんが医療者ということもあって、私がボランティアワークの結び目であることも理解してくれていることもあって、いろんな話をしてくれる。ずっとそうしていたら昼過ぎになって、サミー君が帰ってくる時間になったらしく、もともと、彼がいたら次の機会にしようと思っていたことだからと、私は帰宅の準備をすると伝えて立ちあがった。
玄関で別れ際に、私はリズさんに微笑んだ。
「もう少ししたら、ここから出ようと思ってます」
「どこに行くの?」
「さあ。少し旅になるかもしれません」
そこでリズさんは何かに気付いたように、私の目を覗き込んだ。
「行くのね」
リズさんは息をすっと吐き、寂しそうに笑った。
「彼を探しに」
私はリズさんと最後のハグをして、その間彼女を抱きしめながら、目を閉じた。
そして誓った。
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