一人だけの軍隊


 まさか私に銃を突きつけろと言ってくるとは思わなかった。

 だが時間の猶予はない。

 だからクーはためらうことなくチャムレヴを羽交い絞めにしてこめかみに銃を当て、煙の中から立ち上ってくるいくつもの人の影に向かって、この人質がいかに明確な価値を持つか示さなければならなかった。

 彼女の細い首は、強化外骨格でなくてもたやすく折れるほどの細さであって、つながった頭は小さく、そして彼女の民族が固有に持つ鈍く光に反射する青い髪の毛を敵に向けて、そしてその大きな眼を開いていた。


「この女にはお前たちを喧伝するプロパガンダに加担した罪がある」


 幸いにして、先ほどグラスレーヴェンと遭遇した時に見つかった兵士は全員排除していたようだ。連れだとはバレていない。


「近づけば殺す」


そう言って一歩奥に下がる。

「奴ごと処理すべきだ」

「やめろ。所詮こいつはこの女の死体を身代わりにして反撃する。一瞬の隙も与えられん」

「彼女はジャーナリストです。わが軍のために戦った同志も同然です!」


 いいぞ、口論しろ。

 敵兵の投射したライトが目を灼くように白く輝き、舞台上の役者のようにクーとチャムレヴを照らしている。

 自分は義眼のシステムを使って、敵を見ていた。前かがみにこちらを見据える兵の数は9人。さすがに多い。


「た……すけて」


 チャムレヴがか弱い女の声を出し、クーは気道を確保しつつ首あたりを絞めた。

 二人の影が伸びて、その黒くくっきりした背後には輸送長達をかくまう用具室、仮眠室、別の通路に繋がる小通路があるために、注意をそらす必要があった。

 クーの目の前に、まばゆい光線を照射する投光器の光にかすかに照らされたモルト兵のライフルの先端が揺れ、幾人かは選択の確かさを失っていることを確認する。

 この話には明確なゴールが存在する。着地点を意味するもの、それは退室者が物資搬入の押し車と鉢合わせするのを避けるために設けられた仕組みであり、入り口近くに配置されたカーブミラーである。


 チャムレヴ、ちょっと辛いぞ。

クーは身長の違いを使って、体を絞めたままチャムレヴの足を浮かせた。

絹が裂けるような彼女の悲鳴が部屋中に響き、さらにクーは一気に何歩も引き、兵士たちの注目を集めつつ退避した通路から引き離す。


 だがこの選択に意味はなかった。

 義眼は敵が持つ物々しい武器の存在に気付いていた。


「下らん。部屋ごと焼き払え」

 冷淡な声が聞こえると、兵士の一人が有無を言わさず何かを担ぎ上げたのを確認した。肩に架け一撃で部屋ごと爆破できる装備、それを直感したとき、クーの頭の中に何かまがまがしい感覚が走り抜けると即座にチャムレヴの首元にかけた手を素早く外して自分の後ろに突き飛ばし、そしてレーザーバレットを構えて自分は足を払ったように跳んだ。


閃光、即轟音が鳴り響き、クーの両手が地面についたとき、チャムレヴを懐に隠してうつぶせに伏せていた。

煙が充満する部屋には小規模の火災が発生して部屋を真っ赤に照らし出していた。


「大丈夫か?」

「ええ」

 チャムレヴはそう一言だけ答え、そしてこちらに問いかけた。

「私のアイデア、いけたでしょ」

「敵に救われたって感じだ。さあ、行こう」


 クートチャムレヴの圧倒的な対格差からすれば、まるで彼女は懐に潜り込んで飼い主をすり抜ける猫のように見えた、だがチャムレヴの動きには疲労が滲み、やっとのこと這い出て息を大きく吸った。

 へたり込む彼女に向かってさすがに笑みがこぼれたクーは、皮肉ったように笑った。


「もう限界が近いな」

「いえ……」


 はっ、と短く小さな悲鳴を上げたチャムレヴの意図したことが分からなかった。だがスニーキングスーツの下に張り付いた外骨格がもう機能しないことだけは分かった。単にパワーダウンということではない。

 自分の肩口に、鋭利な刀が突き立てられていた。


「よく戦った。褒めてやる」

「あと何人残ってる?」

「お前に言うわけがない」 

「1匹見たら50匹いると思わなきゃいけないんだっけ?」

「どうやら、ウィレの兵士は下衆という評判は当たっていたようだな。減らず口もここまでだ。諦めろ。すべての証拠は焼き払われた。お前たちの負けだ」

「虐殺を認めるな?」

「認めるも何も、どうでもいいだろう。お前たちはここで死ぬ。善人面した星側政治家の欺瞞的な政治妥結と、わが方に潜んだ獅子身中の虫が手を握ったために生じた間抜けな協議で、我々は分断された。その怨嗟は止まらない。我々が滅んでも、止まりはしない。我々を祭り上げながら最後に我々を切り捨てたブロンヴィッツも許さん」


 クーはその言葉に少しだけ口角を上げた。

「お互いもう後がないのに殺し合うんだな」

「違う。違うよ。せめてお前達ぐらいは殺さなければ虫の居所が収まるか。女は十分味わったが、お前には憎しみをぶつけさせてもらう」


 クーはかつてない、どす黒い声を上げた。

「なるほど。この最低野郎」


 振り向きざまにスーツから展開したナイフが閃き、刀と火花を散らして燃えるオフィスの中で何度も切り結んだ。

 あと何人いて、何人この部屋に入ってくる?わからない。だが我々は結局、歴史の孤児。切除された盲腸に過ぎなかった。レンがいない以上、アーティファクトの情報も引き継げはしない。

 だが、クーはそれでよかった。

 彼にとって大切な人は、まだ死んでいない。


 一太刀、二太刀、三太刀、クーは反り返った片刃の刀を、短いナイフと外骨格のごく薄く堅牢な殻で、よく防いだ。

 民間軍事企業に入社して当初は、こんな時代遅れの武器に対応する軍隊の格闘術など、何の意味があると思ったものだが、今役に立つとは。

 懐に潜り込み、相手の胸ぐらをつかんで背負って投げた。相手は刀を落として仰向けに倒れた。だが地に伏した相手の表情は笑っていた。

 敵の身体を押さえつけ、ナイフを握った手を振り上げてのど元に向かって刺そうと試みたとき、兵士の手がナイフの持ち手をわずかに抑えて何かを話そうとする。


「お前の守った町は、結局燃え尽きた」

「戦況を知っているのか?」

「知ってるも何も。戦いを望む者は全員この土地を焦土にするつもりで戦ったのだ。お前にも身内や友人がいるだろうが、残念だったな」

「真偽不明の情報に聞く耳は持たない」

「馬鹿め。お前は終わりだ。俺が死のうと、お前の運命も、この街の運命も、ここに住む者の運命も、変えられない。すでに書き記されたものに沿って、与えられた結末の通りに時間は進む。すべてを決定する為政者の、傲慢な覚悟なるものによって、われらの犠牲は美化され、そして英雄譚の切れ端となって朽ち果てるだろう」


「言わんとすることは分かったよ」

 だがうざってえ物言いはやめろ。クーはそう言い加えて、そして圧倒的優勢の姿勢のまま、こう尋ねた。


「お前たちはなぜそう残酷になれる?」

「残酷?」

 親衛隊の名もなき男は笑った。その通り、この男はこの大きな災いの一人の因子に過ぎない。全員が等価で、全員に意味がないのだ。

「お前たちは自由だとか、平等だとか、下らん価値をつけて命を飾ろうとする。なぜだ?」

「なぜだって、それが普通だからだ」

「命よりも大切なものがこの宇宙にはあるのだ。その為に我々は戦っている。そう答えろと言われただけだ」

 

 背筋が寒くなった。

 つまりこの飾り立てた軍服を身にまとった連中というのは、「命より大切なもの」という考え方を取り違えたように思う。

 そういわれれば普通、人は「自分の命を超えた大いなるもの」と考える。

 命に代えても守りたいもの、大切な家族や町、クーにとっては、それが答えだ。


 だが、実はもともとの脳の処理の仕方が、我々と違うのだ。それは違う存在だからということではない。確実に彼も人間であり、クーと同じ肉体組成を持った者たちの一つだ。間違いなく。

 だがそれが手を取り合える理由にはならないのだ。


 言葉では分かるのだろう。戦争も平和も平等も、命さえも。

 だが彼らは、それらが自然と、そして営々と積み上げられた人間の明らかな認識のもとに、つまり良心にとってかたち作られたものであることを信じない。

 というより知らない。

 人間が自分も他人も救うために作られた概念であることを理解していない。

 簡単に言おう。

 初めから教育されていないのだ。

 彼らはそのように作られ、そしてそのように死んでいく一つの人形に過ぎないのだ。この偉大な戦いのためだけに育てられた苗であり、

 すべてを意のままにできると思いあがった独裁者と

 人間の善性を持ちながら流され命令されるがままの人間と

 それらを踏み台にして下剋上を企てる者たちが形成するヒエラルキーの中で、最も飾られながら最底辺に位置し操られるマネキンに過ぎないのだ。


「貴様も俺も、死ねばモノでしかない。モルトの血でこの星を染め上げることによって我々は真の勝利を得るのだ」

「勝利ってなんだ?」

「とりあえずお前たちを殺し金を得れば近づくさ。まあいい。こうなっては、お前を地獄に落としただけでも満足だ。お前はもうじき、死ぬだけだからな」


「家は貧乏か?」

 ニタ、といやらしい笑いを浮かべながらモルト人は何も話さなかった。

「最悪だ。だがこの世が最悪じゃない限り、そんな言葉は生まれないよな」


 なんということだろうと、考えた。

 だがモルトという国が独裁制である以上、ある程度考えられたことだ。限られた特権階級にしか、学問は開かれていない、いや、開かれたとしてもそれを理解するだけの素養が与えられないから、このような残酷なことが可能なのだ。

 いや、そう考えるほかに、この結論を導出する手段など、一つとしてないのだ。

 彼らは星側への憎しみに満ちている。


「お前らのせいだ」

 すべての高尚な表現をかなぐり捨てて、モルトの兵士は言った。


「お前ら星側が。お前らが俺たちを追い詰めた」

 男は、恐ろしいほどに表情がなかった。

「お前たちの幸せが許せない」

 そして瞳は、ただのプラスチックの玉のように見えた。


「お前たち嘘つきの、せめてお前の大切なものを奪う。例えばそこにいる……」


 のど元にナイフを叩き込んだ後、死んだ兵士は隠れているチャムレヴに向かって目をかっぴらいて舌を出していた。


 その時、義眼が危機を知らせる。

 体が急に重くなる感覚を覚え、その時を迎えたことが分かった。

 パワーダウン。

 背中から火花、そして強化外骨格に重大な損傷との警告。

 そして鉄の塊がクーの身体にのしかかるのを察し、パージすると骨格を盾にして振り向いた。


「チャムレヴ、そこに伏せてろ!」


 叫びながら、彼女を見た。

 チャムレヴは、誰も触れたことのないこの戦争の、隠された一端をただ聞き、そして見つめていた。


 それは今まで彼女が書いたどの記事で伝えてきたメッセージよりも、表現できないしようもない大きく黒く深い霧に包まれて足元から侵食してくる何かであった。


 敵が来る。彼らは今死んだ男と同じ価値観と戦争観と人生観の中で生きている。

 星側が掲げてきたものはことごとく、嘘に見えるだろうな。

 クーはひどく、皮肉な気持ちになった。

 銃を構え、レーザーバレットのエネルギーも少ないことを確認する。

 炎の中から、破壊された外壁の向こうに、かすか、いまだ藍色に染まった空が見える。


 夜明け前の最も暗い世界の中に、モルトランツ全域は隠されている。

 あいつらの作戦がうまくいったのかもわからない。


 俺のことはもういいと思う。

 俺に連なる大切な人たちを守ることができればそれでいいと思う。


 どんな結末を辿ったとしてもいいと思う。

 

 ただ、サミーとリズが心配だった。





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