走れ止まるな

 眼下には巨人ににらまれた二人の人質が立ちすくんでいた。

光の檻のようなサーチライトの照明は、丸く明確な弧を曳き、真昼のように彼らの表情すらも照らしだしていた。

 闇の中、クーは建物の外壁を走り抜ける。ちょうどグラスレーヴェンの肩付近の高さまで行きつくと屋上のへりを手で鷲掴みにし、そこで静止する。


「復唱してください」

 

 クーがゆっくりと輸送長の耳元に語り掛けると、眼下に小さく見える輸送長はチャムレヴの前に立ちながら胸を張って見せた。そして影の中へと消え失せたクーの声を頼りに、グラスレーヴェンと向き合う。


「ここで何をしている」

輸送長が声を張ると、グラスレーヴェンは直立のままハッチを開け、コックピットを露出させる。パイロットは少し間を置くと、言いづらそうに報告した。胸を開いたグラスレーヴェンの後ろに回り込んだクーは、背骨から首までの位置に手をかけ、聴診器のようなデバイスを取り付けた。

アクティブにすると、中の人間の息遣いまでもが聞こえてくる。若い男で、通信を切った後にブツブツと独り言を言っているのも分かった。

ちくしょう、とか、いいたくねえとか、最悪の日だとか、そんなことをぼやきながら彼は言った。


「申し訳ございません、親衛隊長。機体の燃料補給のため引き返すはずでしたが、位置測定装置を失いました」

「馬鹿者め!」

クーと輸送長の声は、巨大な体躯を持った巨人の心を揺さぶっていた。


「す、すいません」

「君のコールサインは?」

「ベンツィラ1です」

何か聞いたことがある名前だが、そのこと自体はどうでもよかった。それよりもクーは、グラスレーヴェンの足元に掘り起こされた高圧電流ケーブルが破損してとぐろを巻いていることの方にしか関心がない。強化外骨格が用意可能な力でそれをどう有効に使えばいいかは答えが出る。

だがその時はいよいよ決断を迫られるだろう。


「君のやるべきことはここにない。すぐに立ち去れ」

「はい、隊長」

 親衛隊の特別な権力がいかに絶大かを思い知る。名前もバレた劣等生といったところのパイロットは、早くここから立ち去りたくてうずうずしている、そんなふうにも見受けられる。だが事態は、それだけでは終わらない。


「しかし、荷捌き場は破壊されています。戦域が変化したのでしょうか?」

 確かに、普通の兵士には作戦にもない、ここにあるのは不自然な破壊である。


「何も問題はない」


 親衛隊の立場で発言するクーはこの時点で、決断していた。

 素早く建物に飛び降りるため、向かい合った壁面を見ると幸いにして黒煙が上がる管理オフィスには漆黒の闇が湛えられており、身を隠せる。

 外骨格のエネルギーを最大化する。大きな賭けだが、こうするよりほかにない。


「その女性は民間人ですか?」

「ジャーナリストだ。身分証を参照しろ」

「チャムレヴ・パカド記者。確認しました。しかし……」

「確認したのならそれ以上の詮索は不要だ」

「……しっかりとお顔を拝見してもよろしいですか?」


 ID特定機能が備わっているところを見るに、この街の警戒・監視用に作られたデータベースユニットが装着された機体……すなわちモルトランツに常駐する部隊であることが分かる。勘がいいというより、それがこの巨人の仕事であることは間違えがないようだ。便衣兵と化した輸送長が逃げおおせる道は、閉ざされた。

普通なら。だから見破られたと思ったのだろう、輸送長の声は戸惑い、上ずってこちらに答えを求めてきた。


「なあ、どうすればいい?」

「堂々と。本名をそのまま言って、IDを掲げてください」

「いいのかよ?」

「問題ありません」

「殺される」

「いいからそのまま、偉そうにしゃべって。手を挙げて」


 そしてクーは、全身を使って人間の胴体ほどもある電源ケーブルがとぐろを巻く動きと戦いながら一つ加えた。

「俺が走れと言ったら建物の中に入ってそのまま、打合せ通りの道を走ってください」

 輸送長はその言葉を聞き終わると、数秒押し黙った後、かんでいた唇を開き、求めに応じた。

「お名前は?」

「アラン・スミシーだ」

 IDを掲げると、クーの耳元にはコックピットの中の様子が聞き取れた。愚痴りながら端末を操作する音が聞こえる。グラスレーヴェンのコクピット周りはすでに学んでいる。


「名前も顔も一致しない」

そうパイロットがぼやくと、外部から通信がかかったようだ。クーは取り付けたデバイスからコクピットの中の状況を聞き取ると、全身に力を込めて壊れた電源ケーブルを八の字に組んで、巨人の足元に置くことに成功した。

その内部の声はスポットライトに照らされた二人には聞こえていないが、音もなく火花を散らす導火線のように、クーの中には響いた。


『そこのグラスレーヴェン!奴を捕らえろ』

「はァ?一体どういうことです?何が起きているんですか?ここは戦場じゃないはずで……」

『お前には関係ない。とにかく奴を踏みつぶせ!そいつが工作員だ!』

「工作員?民間人はどこです?作業員は?なんでここは壊れてるんですか?」

『やらなければお前を殺す、さっさとしろ!我々もすぐに到着する』


 全然意味わからん!と言いながら混乱するグラスレーヴェンと、荷捌き場にいた親衛隊の会話は、今のモルト軍そのものだ。

 そしてイラつきが頂点に達したグラスレーヴェンは、ついにこぶしを振り上げた。

クーはグラスレーヴェンの肩からワイヤーを伸ばして、

一気に落ちた。


「走れ!」


 グラスレーヴェンが動いたその時、絡まった高圧電線が発動して、よろめき、建物側に倒れこんで崩れる。

パイロットの悲鳴とともに、バランスを崩した巨大な体が異常な電気の渦を巻きながら倒れ伏した。

二人が入り込んだと思われる廊下側の壁に向かってクーが降ると、そのまま窓を突き破って施設内に舞い戻る。


 輸送長が悲鳴を上げてしりもちをつくのが見えると、クーは立った。

「俺だ。撃ちませんよ」


 そう言って跳び上がり、天井に足をくっつけてライフルを構えた。


「止まるな!もう見つかった」


後ろから前から、数人の足音が聞こえてくる。

証人を殺すために武装した兵士たちの声から逃げるように、二人は走り出し、鏡合わせのように天井を走るクーは、身をかがめて曲がり角から来る敵を瞬時に撃ち倒した。義眼が伝える情報により、さらに反転して威嚇射撃を行う。


「行け行け行け!」


窓の外のグラスレーヴェンの目が光ると、廊下は怒りの色に染めあがった。



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