ヴァンサント


 2つの事態が発生したことを察すると、クーはすぐに、輸送長を向いた。


「軍服を着てください」

「これか?」

 輸送長はずぶ濡れの親衛隊制服と弾のないライフルを眺めると、少しためらいの表情を見せていた。死人の皮だ。気持ちはわかるが、是非はなかった。

「いいも何も、その格好だと死にます。ここに留まっていても死にます」


 おう……。そう重々しく答え、輸送長はつなぎの上からズボンを着、制服の袖を通した。

「濡れて重いでしょうが、もう少し我慢してください」

「彼女はどうする?」

 輸送長は、強いまなざしを忘れたように立ちすくむチャムレヴを見てクーに問いかけると、クーは思案するようにいったん、沈黙した。


 クーは二人を肉眼で収めながら、実はずっと、もう片方の義眼に映し出される情報を見ていた。

 それはすでに絶望的な状況を示していた。

 荷捌き場の広い敷地をくまなく描写した施設内地図の倍率を変え、広範囲を映し出す。おびただしい数のドローンが飛び交うことを示す青い丸印は今や、見つからない。

 開始から45分を超えたこの状況では、敵もドローンキャンセラーを起動したとみてよいだろう。ドローンはエレクトロ・デトネイター(爆弾)と同じく、持続する花火だ。一時しのぎにしかならない。

 だがこれは最初に最大級の混乱を生じさせるための装置であり、民間人を逃がし、この施設の外にいるまともな人間たちにこの事態を知らせることなのだから、それでいい。作業員たちがこの施設の外に出れば、親衛隊は暴走できない。


 道路でも森でも町でもどこでもいい。何とか逃げてくれ。

 作業員たちが一人でも「敵の敵」すなわち親衛隊以外のモルト軍……キルギバートのような部隊、さらに彼らに命令を与えている、モルトランツを無傷で返そうとする上級将校に察知されれば、彼らはもともとの軍規を尊重し、保護するために動くはずだ。

 そもそも親衛隊をモルト軍から切り離し、奴らを民衆の敵に仕立て上げることで、モルト軍を戦争犯罪から切り離すという狡猾な政治的目的のために、クーの外側にある作戦も動いているのだから。

 でなければ、この作戦自体の遂行は土台不可能だった。

 ここまではシナリオ通りだ。


 そこまで読み込むと、クーは二人に言った。

「輸送長、今からモルトの親衛隊に化けてください。チャムレヴ、モルト軍の基地をパスするIDカードとか、持ってたよな」

「うん」

 そう言ってチャムレヴはクーの前にそのカードを差し出した。首から下げるためにひもがかかり、透明のホルダーの中に金属製のカードが収められている。


「俺が隠れながら随伴する。二人は堂々とこれから道を歩いてくれ。それしか方法がない」


 レンとの連絡が途絶えてしまったことと、チャムレヴを保護したことは誤算だ。

 彼女がまだ生きて、本来の任務であるアーティファクトのありかを掴んでいればと願うが、そこには暗雲が差している。

 そしてこの戦争犯罪を見てしまった生き残りの作業員を殺すために、兵士は躍起になっている。

 もとより何の変哲もない茶室のような事務小屋だ。手近に隠れる場所はない。

遅かれ早かれここは見つかるし、いったんこの扉の外に出てしまえば容赦なく厚くなった警戒網に見つかるだろう。是非はもうない。


「ここから出ます」

 二人の表情は不安に褪せた。

「演技経験ゼロだ」

「最短ルートで行きましょう」

「広すぎて全部の敷地を歩いたことはないぞ」

「通路をまっすぐ、つきあたりを右、トイレを通過、左に折れて階段を下り、会議室を通過した先の大通路に行けば、ストアレコッカレの作業員が使っている通用口に出ることができます」

「片目の地図か?」

「ええ」

 輸送長がため息をつく。その道の大変さをよく知っているのは彼だ。

「できるのか?」

「できないと思っていたらできないが、できると思ってればできる。それだけ分かっていればできる。人生そんなもんです」

「百人の兵士を通り過ぎるぞ」

 輸送長が嘆くように皮肉を言って、その言葉の末尾にかぶせるように、チャムレヴが言った。

「私、行きたい」

 チャムレヴはもう一度自分の心を訪ねるように言うと、目を閉じて、そして開いた。

「このままじゃ死ねない」

 クーが頷き、小さなねじほどの大きさのイヤホンを二人に渡す。

「各自片耳につけてください」

 クーは言った。

「俺が走ってと言ったら、止まらずに走ってください。命令です」



 次に事務所の扉が開かれたとき、通路に出たのは二人だった。

 チャムレヴが先に歩き、弾のない銃を突きつける形でモルト兵に擬態した輸送長が続く。 電源は落とされていて、ここには予備照明しか灯っていない。

 ライフルの先についた照明が、暗い道を照らす。

 ここは不気味なほど静まり返っていた。

 壁には大規模な銃撃の跡がある。

 慎重に進む二人をモニタリングしながら、クーが頭上から随伴するため、通路の上にある通気口に侵入する。少々遠回りだが、通気口と道が重なった通路はここしかない。埃とゴミにまみれながら、クーはホフクで進み、その間二人に道を指し示す。


「前だけを見てください。周囲を伺わずに。二人とも今はモルト軍です。驚くのは不自然です」

「……わかった」

 スプリンクラーが停止された通路に横たわる、累々たる人の死体は、夜闇に隠された。ライトが映し出す血糊の後だけでも十分足を止める要素になる。


「十歩先、死体です。躓かないように。何食わぬ顔で、足取りを早めてください」


 ひっ。輸送長が息を引っ込める音を聞く。

 おねがいだから死体の山を見ないでくれ。


 金属の網目の上から、二人の頭頂部が見える。

 通路をまっすぐ、つきあたりを右、トイレを通過、左に折れて階段を下り、会議室を通過した先の大通路に行けば、ストアレコッカレの作業員が使っている通用口に出ることができる。


「トイレまで到着した」 


 物流管理センター東側エリア2階メンテナンス業者用通路。

 座標351地点。


「止まって」

二人が足を止めると、クーは金属の床を蹴破った。チャムレヴが金属の格子をキャッチし、音を立てずに床に置くと、クーは通路に落ちることなく、強化外骨格の力を使い、天井に足をくっつけて天地逆に屈んだまま、ライフルで全周囲を警戒した。

 誰もいない。


「そのまま階段を下ってください」

「わかった」


 靴のかかとが階段にこだます。クーは彼らと歩調を合わせ、壁に背を付けて屈みながら、天地逆に動いた。


「止まって」

 クーがそう言う前に、二人の足は止まっていた。

「銃撃戦の跡か?」


 明らかにレンか、敵の銃を奪って戦って逃げた作業員だ。だが後者の確率は限りなく低い。モルトランツは銃社会ではないからだ。激しい破壊痕と、数人の倒れ伏した兵士の死体は、よく訓練を積んだ人間にしか作れないものだった。

 彼女は死んだ同志が隠したアーティファクトへの道を辿りながら、時に迂回し時に走り抜けて、この施設でまだ戦っている。


 注意を引いてくれた。

 だが一つ問題点があった。


「道がないぞ」

 サーチライトの光がまばゆく周囲を照らした。

 輸送長の声を聞くより前に、クーも分かっていたことだ。

 だから素早く光から逃れる死角に走り、がれきの裏に隠れた。


 施設は丸ごと破壊され、すでに壁は半分もなかった。

 この規模の破壊はおよそ人間には作れないものと分かった時、

 半壊した通路の向こうから、巨大な鋼の咆哮が聞こえた。

 それは地響きを立てて起き上がり、見上げるほど大きな機動兵器で、人間よりも戦車よりも戦闘機よりも脅威で、そして明らかなる劣勢を告げる巨人……グラスレーヴェンだった。

 言いながらサーチライトをくぐって窓を破り、強化外骨格で崩れていない壁面を走る。

 眼下には光に照らされた二人が見える。


 全く困った。

 走り抜けるよりほかはない。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る