仕事という名の使命

 既に動かなくなった兵士の身体は、しかし血にまみれることはなかった。スプリンクラーの雨が汚れをさらうようにその死体を洗うと、クーは衣服を脱がし、下着だけの状態にしてその場所に放置した。

「行きましょう」

 そのあまりにも手慣れた一連の行為を目撃した輸送長のクーへのまなざしは、もうすでに以前のものにはなり得ないことを解っていながら、クーは今までと同じように振舞っていた。輸送長は何も言わず、立ち上がるとクーに従って歩く。

「どこに行くんだ?」

「同行している人間がいるので、そこに合流します」

 ああ、そうか。輸送長はそう言ってクーの背中に付いて行く。この場所にもう要はない。あるとすればこの可燃性の気体がたまった部屋そのものを爆破する時ぐらいだろう。靴のかかとが鉄の床を叩く音が聞こえ、クーと輸送長は明りのない通路の奥に隠されたように用意された小さな扉を通っていく。

 スプリンクラーの雨が、ここには降っていない。

 クーは輸送長に奪った軍服を持たせた。輸送長は震える手でそれを受け取ると、何かがポケットの中を滑って床に落ちた。通路を照らす白い蛍光灯がその落ちたブローチの中にある家族写真を鮮明に浮かび上がらせていた。


「ガキがいたんだな」

「拾わないで」

 クーが冷徹に言って、輸送長は気圧されて手を止めた。

「生き延びれなくなります」


 その言葉で、彼はクーの言わんとしている事を理解した様子だった。クーは輸送長の一歩前を行き、銃を構えながら注意深く進んだ。ここは人が2人ほどしか通る幅がない。普段は警備員しか通らない道であり、この荷捌き場の巨大かつ複雑な構造の中では見過ごされやすい場所だ。


「ちょっとくらい喋ってもいいですよ」

 クーは前方に気を配り、義眼からくる自らを取り巻く全方位の情報を見ながらそう言った。

「何でも聞いていいですよ」

「いいのか?……殺されない?」

「あなたが殺されるようなことは答えませんから」


 輸送長は間を開けてぼそりと言った。

「こんな仕事、何年やってるんだ」

 ずぶぬれの軍服を綺麗に畳んで手に持った輸送長の声に、クーは答える。

「ここに来る前は転々とやってましたよ。元々ウィレ軍の所属だったんですけど、色々あって、サラリーマンをやることにしたってだけです」

「そうか。軍じゃ厳しいことばかりだったか」

「まあそりゃ。ひどい命令も無茶な命令もありました。でも根本的に好きな仕事だったんで。内容を選べるところに転職したんです。それは病気みたいなものかもってね」

「病気?」

「命のやり取りをやってると、生きてる実感があるような気がして。それなりにこの仕事をこなして年を経ているうちに、これしかできなくなってしまったんです。今更スーツ着て何とかなんて難しいじゃないですか。同じ理由で、トラック運転手の肉体労働ならまだできるなと思ったんです。軍でもよく車転がしてましたし」


 生きてる実感。

 殺すか殺されるかという極限状態でしか生まれない感覚。困難な状況を自ら引き受け打ち勝つ能力。生還への執念。

 自分で言っていて馬鹿らしく思えるような気もしたが、そうとしか説明できない感情を、そのまま吐露したに過ぎない。クーという人間は、巨大な外圧を引き受けなければ何かをする気も起きないような無気力な人間であるために、この仕事を選んだ。そこまでは言わなかったが。


「だがそうしたものもない限り仕事としちゃあ、続かんかもな」

 分かる気がする、この到底理解も容認もできない異常事態に、クーの立場を理解しようと努めている輸送長の声がクーに聞こえた。

「ええ。だからまだ良心的だと思うような仕事をしたかった。そんな所です」

 輸送長はまた一つ尋ねた。

「ここから抜け出して、お前はどうなる?」

「分かりません。よくて逮捕か、悪くて殺されるか」

「そんな……」

「今外じゃ、モルトとウィレの膿の出し合いです。その外の戦い次第で俺の運命も決まるでしょうね」


 輸送長は口ごもったまま、ただクーに付いて行くだけだった。

 とりあえず、今から訪れるこの部屋を彼女が間違えなければ、確実に再会できるはずだ。

 次の扉のドアを開けた時、そこは閑散とした管理室だった。

 先ほど突入前に訪れた場所だ。


「チャムレヴ」

 声を掛けた彼女は、振り向くと目に涙をためて震えているばかりだった。

 クーは近づくと、二十になったばかりの震える少女を抱き止め、そして輸送長に預けた。年の近い娘がいる彼に任せた方がいいと思ったのもあるし、ついさっき人を殺した自分が軽々しく彼女を触るのに、気が引けたのもある。


「隠れてなかったんだな」

 高い場所から沢山の人が死ぬ様は、よく見えた事だろう。彼女のいる位置よりもっと高い位置から黒い鉄の虫(ドローン)が人に殺到したさまも、人が砕け散る様もよく見えただろうし、即座に丸腰の作業員が撃ち抜かれたのもよく見えたろう。


「身を守るってそう言うことだったの」

 チャムレヴは輸送長を背にしてクーと相対するように立った。

「私がこのことを見ないようにしたかったのね」

「ああそうだ」

「ありがとう。でも潜り込んでしまったわ、私……」

 それは皮肉と愛が混じった声だった。

 クーはため息をつきながらチャムレヴの瞳を見つめて話した。


「君の仕事も俺の仕事もグロテスクだ。だが世界の事を考えるには、君が見た景色はあまりにも辛すぎる」

「そんな事話したいと思ったわけじゃない。これを見て、記録しなきゃと思った。……しっかり撮ったわ。あなたの姿も、メモリーに残したわ」

「それでいい」

「あなたは罰せられるわ。私の残した記録によって、どの陣営だったとしても」

「それでいい」

「よくないわ、私にとっては……大事な人よ」

「それが君の仕事だ」

「だったらこれがあなたの仕事だったわけじゃないでしょ?秘密だけ抜き取って黙って帰ってくればいい。工作員ってそんな仕事じゃない?何でこんな事を?ここにどんな秘密があったの?重要な事だったの?」

「言ったら君は死ぬ。又聞きした輸送長も死ぬ。話せない」


 チャムレヴは初対面の輸送長を見ると、少し冷静を取り戻したように口を閉じた。

 輸送長は明らかに動揺していたチャムレヴに対して、おそらく彼自身も動揺しているこの事態の当事者被害者としてここに立っていた。

「あんたはジャーナリストか。若いな。おれはここが職場で、あいつに助けられた。普段はあいつの上司、やってる」

輸送長はそれを自己紹介代わりにすると、自分で組み立てた予想をチャムレヴに話した。

「多分な、こいつはその秘密とやらを抜き取る間に、俺達が殺される情報を突き止めたんだ。俺達は殺される運命だったんだ。多分な。それも、片目の男がここで働いてるって情報を奴らが掴んだ段階で、自分に責任を感じて、そして戻ってきた。違うか、クー?」

 クーは答えなかった。だが、自嘲するように笑んで見せた。

 それだけで十分だった。

「ホラ、ヒーローなんていやしないだろ。チャムレヴ。俺に肩入れするのはいい加減やめろ。この世界に、夢なんてないんだ。正しいことがあるだけだ。君は正しいことをしたいからここに来たんだ。それでいい」


 クーはそう言った。吐露した、本音を吐いた、解り切った事実を口にした……そのどんな言葉も似合わないと悟って、そして苦し紛れに笑った。

 自分が世界から見捨てられた男であることを、腹の底から解っていたから。

 ただこんなにも自分のことを理解してくれる人たちがいて良かったとも、そのセリフを吐いた直後に思ったことは確かで。それはこの正しくない物語の中で唯一、善いと考えるべきかもしれない、そう思っていた。


「とにかく後の事、他人の事は考えるな。生き延びないと意味がない」

「娘さん、一ついいか」

目を真っ赤にしたチャムレヴに、輸送長は言った。

「俺の同僚は確かに死んだのかもしれないが、彼がいなかったら、俺は死んでる。誰一人生き延びることなんて無理だった。いや、もう死んでるかもな、大半……これから逃げのびることも難しいだろう、だが少なくとも、あの場所で死ぬことは避けられた。クーにとっちゃ、あんたも死んではならん人間なんだ」


 クーはその言葉には何一つ答えなかった。

 だが、これから訪れる困難に対して、向かい合うことだけに集中することが、二人への手向けのように思っていた。


 今、クーの配下にあったドローンが全機撃ち落されたことを確認し、レンとの通信が困難となったこの状況においては。


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