パブリック・エネミー
スプリンクラーの起こした雨が、真っ白なノイズを響かせている。
大量のしずくは足元の金網へ吸い込まれ、透明な川を作ってどこかへと流れていく。蛍光灯の消えた真っ暗な通路に黄色い回転灯が光り、サーチライトのようにあたりを照らしていた。
消火作用のあるスモークが焚かれ、あたりに充満するために、炎の根っこがここに生える心配はなかった。
一緒に走ってきた輸送長は、コンクリートの柱に背中を預けて荒い息を吐く。
このブロックにしばらく兵士は来ないはずだ。
クーは輸送長を休ませ、視界に入れたまま少し離れると通信を開始した。
「ゲートの状況はどうなってる?」
クーがか細い声で尋ねると、スーツの喉に装備されたマイクが背中に内蔵された通信機器と同期し、レンとの相互通信が義眼から骨伝導スピーカーにつながり、その結果、クーの身体から湧き出るようにレンの声が聞こえる。それはテレパスのようだ。
『これまで150の扉を封鎖完了。脱出路からモルト兵を隔離し、封じ込めたわ。打合せ通りにね。避難訓練に使用された経路と同じルートで生存した作業員の避難が始まった。私の居場所はバレた。さっさと仕事して、コントロールルームから出る』
「順当だな。この荷捌き場のすべてを知ってる兵士はいない」
『こちらで操作した扉がいつまでもつかしら』
「もたなくなる前に指示経路に逃げるまでが仕事だ。気をつけろ、運良く逃げたが優秀な兵隊もいる」
『このコントロールルームから見たわ。でもあなたよりは上手くない。幸運にしてね。でもゲートをくぐったのはあなたたちだけじゃない。注意して』
「ああ。ここも時間の問題だ。……映像は?」
『監視カメラを抑えた。あなたのデバイス《義眼》に送るわ』
「回線1138で受け取る」
『アーティファクトはどう?』
「これから探す。だがこの調子じゃ、同志は殺されたとみる方が正しい」
アーティファクトとは、彼らが最優先すべきヴァンサントの動力源に関する資料のことだ。軍内部にコックや事務員として潜入していた人間たちも、レンが確認した限り、もはやこの世の者ではない。
『それも順当な結果ね』
『残念だ。予定場所に
「いいじゃない。望むところよ」
『この街が消し飛べばすべて無意味さ』
『確かにそうね。でもクー。人質核については心配ないわ』
「どういうことだ?」
『どちらの側にも常識的な人間がいれば最悪にはならない。そういうプランでしょ』
「本当に、連中の自浄作用に期待できるのか?」
『少なくともあちこちで親衛隊が排除されてるのは確かよ』
親衛隊はこの戦争における悪役の皮をすでにかぶせられたに等しい。これから行われるすべてのことが、親衛隊の責に帰されることも、その名のもとに何が行われるのかもわかった。それはクーの陣営でも、敵の陣営でもそうだ。
「上が無血開城の条件をそろえてるってことかい」
『私たちの動きも極めて政治的よ。打合せ通りに、邪魔な連中を排除するだけ』
「こちらもそのつもりだ。気を付けてくれ」
クーは少し間をおいて、最後の言葉を伝えた。
「こんなバカげたことで死ぬなよ」
レンは空気をため込むような息遣いをして、
『……フェイズ3を始めるわ』
それだけ伝えて、通信が切れた。
体を柱に預けた輸送長が、立ち上がって尋ねる。
もちろんこの雨音と距離で、会話は彼に聞かれていない。
「奴らは俺たちを殺して、どうするつもりだったんだ?」
「この施設の中に潜んでいる工作員を殺そうとしたんでしょう。彼らの名誉にかけて、生かすことはできなかったんです」
「……お前のような人間ってことか?」
「まあ、そうなります」
クーはその時、輸送長から向けられる視線の鋭さや憎悪を予想して、のどに言い含めるような言い方をした。チャムレヴと一刻も早く合流しなければならないが、輸送長の言葉を一切受け止めずに作戦を続行することはできない。マインドを共有しなければならなかった。
彼が別行動をとれば、彼を守れないからだ。
だが輸送長は智慧深くクーに尋ねるだけだ。
「今日、戻ってこなきゃ逃げ切れたんだな?シフトと配達場所から言えば」
「まあ、そうですね」
輸送長の目が穏やかになり、そして彼は言葉を改めるように言った。
「厄介だなんて思ってない」
ありがとう、とクーは言わず、輸送長にプランを伝えた。
「とにかく、今は逃げ切りましょう。ここは避難経路じゃない。そこまで送ります」
だが輸送長は中空を一瞥し、クーを見返した。
「いや、その必要はない」
「どういうことですか?」
「俺にもやらせてくれ。どこかに逃げ遅れた人間がいるかもしれないだろ?避難訓練の役割をさせてくれればそれでいい。アナウンス機能のあるデッキまで自力で行く」
「保証はできません」
「武器は持ってない。見つかれば白旗を上げるさ」
彼らがそれで許しはしないことをわかりながら、しかしクーにも確かな見方が必要だったのは確かだ。その輸送長が、一つ疑問を呈した。
「しかし妙だ。奴らは外側の爆発を掴んで、戦ってすらいたんだろう?お前が倒したにしても、なんで俺たちのフロアに報告されなかった?」
クーはきっぱりとこう言った。
「都合が悪いから誰もしなかったんです。ああいう、ちゃんとした場であればあるほどね」
「めまいがするな」
「専制主義ってのはそういうもんです。付き合うだけ無駄です」
その時、義眼のマップにアラートが鳴り、ディスプレイ上にドアが開いたことが共有され、丸く紅い点が二つ灯った。クーは、アサルトライフルの銃口を目線まで上げて戦闘を用意しつつ、輸送長に掌を振って指示する。そこで伏せていてほしい。
そして彼のもたれていたコンクリートの柱についたまま慎重に行動する。
今背中を付けた面から次の面へと映ると、義眼の示した一通の場所に、完全武装のモルト兵が立っていた。二人は歩きながらこの視界不良の通路を見渡している。
柱一つ隔てて、クーたちがいる。だがスプリンクラーの雨音と消火スモークの条件は、クーにとって有利に作用している。
クーは銃を持った腕を最小の動きでスイングし、脇を閉めて銃を構えてタイミングを待った。とはいえモルト兵を殺すとその時点で心停止を確認した通信機が異常を知らせてしまう。それはどこに装備しているかわからない以上は、彼らを殺せば遠からず応援が確実な数で殺しに来ることを意味する。
「この通路に生き残りはいないようです」
「もっとよく探せ。連中が反乱者を見つけ出す前に」
「はい」
「首謀者の首を獲らなければ、親衛隊の名折れだ」
「はい」
クーたち工作員の見立て通り、親衛隊内部でも権力闘争が起こっているらしい。
レンの状況も分かった。この連中から引き出すべき情報もない。
その時、カツ、カツと軍靴の音が響いて、三人目が侵入した。
目くばせをすると、輸送長は伏せながら震えていた。
「片目はこの通路の中だ。よく探せ」
「報告があったのですか?」
「ない。だが経路を考えてみればここ以外ありえない」
この時点で、立ち去るのを待つか、殺すかの選択肢が一つになった。
奴らは立ち去らない。このまま見つからなくても、事務所につながればチャムレヴは捕縛されるか、殺される。
「コントロールルームも包囲した。じき我々が掌握する。この騒ぎを収めるのだ」
三人目がそう言うと、先に入った二人は「はっ」と短く歯切れよく答えた。
その時、モルト兵が声を上げた。
「作業員です!」
輸送長が見つかり、銃を突き立てられるのを見た。
「貴様、ここで何をしてる!」
「避難を……」
「嘘をつくな」
「嘘なんてつきようもないでしょうが!」
「ならば証明しろ」
「証明……?」
「この荷捌き場を嗅ぎまわるネズミの一人でないという証明をしろ。ホラ」
「言っている意味が分からない。なぜそんな疑いをかけなければならない?」
「お前たちがモルトランツの住人だからだ」
輸送長がさすがにしびれを切らして、叫んだ。
「あんたらのために尽くしてきた!仕事も全部!砲弾も武器も運んだ!」
「ああ、諸君らがモルトアースヴィッツに貢献したことは確かだ。だがそれを逆手に取る人間がいるのだ。で、今は戦時だ。一人ひとり身包みをはぐわけにもいかん。疑わしきは罰する。不届き物を出したのはお前たちの責任だ」
輸送長がうまく話をつなげている間に。
クーは音もなく背後から近寄る。
馬鹿が並んで、三人立ってる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます