残酷なる姫の深謀

 ロバートとリズに、大切なことをすべて伝え終えた後、クーは仕事に戻った。

 リズは避難民を先導する町内の互助会に入っていたので、好都合だった。


 ロバート以外の二人は、今頃ウィレが上陸する北岸の正反対に位置する南の山村に避難することになっている。都市を武装化するにあたり、モルト軍は住民を人質にするために移動禁止命令を出す可能性もあったが、いまだ発令されていない。

 クーは用心深く事態の推移をうかがっていたものの、いつもの堅苦しいほど規律正しいモルト軍の姿は、この時期には既に見受けられなかった。


 そうであるならば早めに、少なくとも今日より一週間前には何らかの指示を出すはずなのだ。

 ここまであからさまな形で生活圏に武装が運び込まれては、市民たちのいぶかしむ目は消えないというのにも関わらず、だ。

 モルト軍人たちの間に統率が取れない事態が、すなわち内部的な混乱が生じていることを確信し始めたのはそのあたりだった。


「本日も定刻通りだ。始めよう」

『エージェントを認証。通信を承認します。ネフステッド通信。レゾヴレ・システムリンク正常。ようこそ、アルド。コード:バルディロイ、追証しました』

「状況を報告しろ。コード:ライリア」


 クーの耳の中で言語インターフェースがささやく。

 ウィレ軍がモルトランツに上陸作戦を開始することが決定された。モルト軍は都市や拠点を要塞化しているため、我彼に相当数の被害が出ることが予想される。

 しかし……言語インターフェースは今までと違う情報を開示した。

「これは?」

 画面端に表示された別ウィンドウが大きくなると、そこにはモルト兵の配置と防御線の位置が明確に示されていた。

『モルト軍によるリークです。軍の内部文書と見られます。リーク情報にはもう一つ書面がありました』

「それはなんだ」

『我々はこの街を傷つけたくない。モルトランツを無血開城することを望む。我々はルール無用の戦争をする犯罪者集団に堕すぐらいなら、名誉の撤退を試みる決意である。心あるウィレ将兵にこの訴えが届くことを願う』 


 クーは面食らって、思わず目を見開いて問うた。

「何が起こってる?」

 ライリアは……いやジストは、一縷を掴んだような声で、一つの確信を言葉にしているように聞こえた。


『文面の通りだ。アルド、モルト軍の中が割れたことを示している。そしてこの文書はお前の所属する民間軍事会社に送られたものだ。当初の目的から外れたルール無用の集団が、規律のある兵と内紛を始めているとの報告がいくつも上がっている。これはモルトランツだけで起こった現象でもなく、最終防衛ラインが破られた地域から、自軍に失望した兵士達が訴えを起こしているそうだ』

「何が彼らを変えた?」


『人質核だ。撤退が完了すれば核を発動させようとする試みに、あまりにも躊躇いがないことに、前線の兵士たちが苦しんでいる』

「勇ましく優しき月の使者ではいられないか」


『そのようだ。当然ながら、相手もこちらを見ている。上陸軍の中でも全員が触れられる情報ではない。我々の勢力にだけ送られたものだ』


 同じ勢力に属する悪辣な政治権力者の手には、渡せなかったのだ。


「こちらにも悪用してくる奴らがいる」

 だからに頼ったのか。そう口をついて言葉が出た。


『その通りだ。我が勢力はこのリークを行った勢力と手を組み、政治的に不手際なきよう、つつがなく望みを実行する。ウィレの好戦的な人間が踏み入れてはならない場所に上がり込む前にな』

「信じていいのか?」

『ああ。信頼できる。我々が敗けなければ』


 我々、つまりクーも含めた、この通信でつながる者たちのことだ。

 そして我々と意気投合しているはずの敵、すなわちこの街を傷つけたくないと言っている者たちのことをクーは問いただした。


「敵中の味方は仕事をやり遂げられると思うか?」

『彼ら次第だが、志を掲げた以上失敗すれば彼らも全員死ぬことになるだろう』

「とんでもないカオスだ」

『君は当初の予定通り任務を遂行しろ。混乱は我々が作り出す』


 できるかもしれない。

 誰も傷つけず戦争をうまいこと転がすことができるかもしれない。


 その不可能なミッションに沸き立つ心を、あくまで冷静に抑えようと試みながら話すのは、通信している相手を信じ切ることもできないからだ。

 そしてクーに課せられた仕事は、最も汚い部類に属するものだ。

 相変わらず、当初の目的を果たすというのは、あとを残さず逃げていく敵から情報を奪い取るという任務だからだ。


「火事場泥棒はきっちりさせるつもりなんだな」

『当然だ。それが戦争だ』

「勤めは果たすよ。ここでお前に止められたって、やるつもりだった」

 クーは、大人としてそう言った。


『じき指示が飛ぶ。それまでは民間人として生活し、作戦を待て。年明けまでのこの半月が、すべてを決する山となるだろう』

「ああ、そうだな」

『一つだけ忠告がある』

「なんだ?」

『作戦成功のため、任務以外、これから起きる一切の出来事に関与するのをやめろ』


 言い知れぬ違和感がクーを襲ったのはその時だった。


「それはどういうことだ」

『大きな善を為すためだ』

 それは、大きな政治的判断のためには、いかなる重大犯罪も許されるというメッセージに過ぎない。何が起きても黙認せよということだった。

 裏切り行為に近いその言葉に、クーは対抗した。


「お前、何か知っているな?」

『私は今のお前にとって、最良の情報を提供するだけの存在だ』


 友ではない。そのような言い含みがあった。

「知らなくてもいいことは知らせないのが最良か?」

『違う。しかし何万人という単位の無辜の住民を救い、しかも敵の悪事を暴きたてるためにすべきことなら、迷いなくその道を選ぶ』

「何かを失う代わりに何かを得ることを厭わないという訳か?それは俺の周りにいる人間か?それとも俺の働く場所か?」


 その声は、少しばかり笑みを含んでいた。

『何のことだ?私は何も話してはいない』

「ああ、そうかい。これだけは言っておくけど。仕事は抜かりなくやらせてもらうよ。だが俺はもう軍を離れた人間だ。この土地への情からこの役目を買ってるただのサラリーマンに過ぎない。この仕事が終わったら辞表出して、退職してやるよ」


 クーの怒りの声に、ライリアはますます、何故か信頼を得たような声で答えた。

『いいだろう。モルトランツを守る最後の日だ』

「もしお前たちが俺の大切な何かを奪おうとするなら、俺は妥協せずそれも守る」


 もう既に話の意気は投合したことを示すセリフを残して、

『勘違いするなよ、アルド。お前は現役だ』

 通信は切れた。


 彼の言いたいことは、つまり彼の言葉のすべてだ。そしてしばしば彼が伝える裏の意図は、表の意図とは違うところにある。

 ライリアの言葉にクーは、半分口尻を上げながら、半分失望しながら、計画の算段を練ることにする。


か。ありがとよ」

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