クソなダンディズムとまっすぐな瞳


「結婚して、大人になって、あんまり話さなくなって、と言うよりも僕の仕事が大変になって、それで妻のことも息子のこともなおざりになってて」


 何してんだ僕はって思ったときに。

 そんなセリフをロバートが、朝日に向かって言った後、躊躇いながら続けた。


「正直、君がサミーの父親代わりになってることに微妙な感情も抱いたさ」

「今告白したんかい」

「だってさ、僕らは複雑じゃないか。持ちつ持たれつっていうか……」


 シーソーを見ながら、ロバートはひとりごちた。

「そりゃそうだろうなって思ったよ。俺も気を遣ったんだけど」

「でも、いいんだ。リズは君のこと信じてるし、サミーもおっちゃんのことは大好き。僕はね、父がそこまで構ってくれなかった。寂しい幼少期だったからそういう思いをさせたくなくて、君がいてくれて、それも助かってる」

「まあ、普通の幸せは捨ててるからな。俺を使うだけ使ってくれればって思ってた」

「君はモノじゃない。心の中にいつもいた。ケンカした時だって」


 クーは、しかし鋭く一線を置く。

「俺をそこまで買いかぶらないほうがいい。それは君たちのためだ」

「君が幸せになるまであきらめないぞ」

 ロバートはそう言った。


「もう眼は濁ったんだ。過去は変わらない」

「未来は?」

「俺の周りの人間の運命くらいは変えて見せる。俺の運命を変えることは難しい」

「君の運命が変えられないのに、僕らの運命を変えられるのか?」

「逆だ。俺は変えられないから君らは変えて見せる。せめてそのくらいはしてみせる」


「濁ったのは、複雑なものを背負い込んだからだ。手放せよ」

「手放すつもりはない。俺は俺の意志に忠実に生きているだけだ」

「それがリズのために、僕らのためになると思うか?」


「ああ。なるさ。逃げることもできたのに、この土地に踏みとどまって、悪くすりゃ殺されるかもしれないのに他人の看病をすると決めた奴のためにならない事なんて、時間の無駄だろ?そんなことのために人生の時間を費やしたなんてことは、しないつもりだ。そうじゃなけりゃ、この故郷から去るものかよ。好きな女残して、消えるもんか」


「クー。僕が伝えに来たことは。そういう感謝とか、言葉じゃなくて。僕が言いたいことは」

「ああ」

「死なないでくれよ」


 ロバートは、大人である前に、医者である前に、人として友として、それだけが核心であるようにそう言った。


「最初からそう言えばいいのに。お前の悪い癖だ。本心を言わずにガワだけを伝えに来るのはガキの頃からだ」


 あの時もあの時もあの時もそうだったように。

 この住み慣れた土地でサミーが今、友達と手をつなぎあったように、過去、彼らも友達だった。そのときのようなストレートな言葉の投げ合いを、今初めてできたような気がする。大人になって、いろんなことが面倒くさくなった。


 金とか、時間とか、結果とか、経緯とか、付き合いとかその都合の果てに、自分の思いに反するくだらない都合の付き合いの果てに、地獄がある。

 国家と国家の都合がぶつかり合う戦争がある。都合は尊いはずだった一人ひとりの意志を巻き込み、超えてはならない一線をしばしば超える。


 一人の人間の命などこの中では、ただの数字でしかない。

 この戦争のシナリオを描く夢想家は、一人一人の人生のシナリオのことなど頭にない。そうでなければあんなシナリオは描けない。

 しかし。


 その条件の上に、二人はようやく分かり合ったような気がした。

 なんだかそれだけでもう、いい気もしてきた。

 クーと言う人間はいい加減だ。そのいい加減さは今、この上なく良い方向に転がってこの笑顔のまま、去れたら、そう思えてならない。


 けれど人生は、それだけではなくて、無限の出会いを人に与えてそしてその内面を複雑にする。人間はモザイクアートのようだ。

 出会いを繰り返してその全体の俯瞰で人生そのものの色を決し形を決していく。

 彼女にとっても、それは同じだ。


「ああ、来ちゃったよ」

 クーが苦い顔で笑った視線の先には、リズがいた。


 ため息をつく。

「近所だしな、しょうがないか」

 あほな顔をして笑って見せた時、リズは泣きもしないけれど、遠い昔に別れを切り出したときと同じうら寂しい表情をして、こちらを見ていた。

 リズが何も言わないから、変な間になったからクーは言った。

「サミーのところにいてくれ」

「いや」

 リズは一言だけ答えて、そしてクーに立ちふさがるかのように立っていた。

「強いよな。リズィはさ」


 クソなダンディズムを露呈して、クーは戦場でやっていた煙草でも吸いたくなった。


「どうせ諦めてるんでしょ」

 リズは怒っていた。クーは直面した。

「何を?」

「自分で諦めてるんでしょ?友達すらも続けられないって思ってるでしょ。私に幻滅されたって思って傷ついてるんでしょ?自分でどうしたいかなんて、分かってないから流されてるんでしょ?」

「ちょっと待ってくれ、リズ」


 ロバートが慌ててリズを止めに入るが、彼女は聞かない。


「ロバート、わたしはっきりさせたいのよ」


 リズは、クーとの関係を清算したいのだ。そうクーは思っていた。

 この際この微妙で気味の悪い三角関係をどうにかしたい、そんな風にしか彼女を見れなかった、クーの眼はよどみきって濁りきった。軍に入ってから数年で、人間の死体が転がる状況に感情移入してしまう苦しみから自分を切り離すために、ふと湧いて出た親愛の情を矮小化して受け止めることでやり過ごしてきた。


 それは処世の術でしかなかった、または彼のカルマと都合が手を結んで、最も合理的な結論を出してきたにすぎなかった。


 それをリズは、まっすぐに否定した。

 よどみない瞳だった。まっすぐな視線だった。

 逃げることを許さない意志だった。


「私がどう思ってるかなんて聞かないで、あの時と同じようにどっか行くんでしょ?」

「ああ、そうだよ」

「どれだけ乱暴なことができたって、あなたは弱いまま。私に心ひとつ開けない、周りに嘘ついて、それでみんなを守って死んじゃったなんて、言わせないから」


「ああ、そうだな」


 クーは続けた。

「俺は誠実なんかじゃなかった。君からも、ロバートからも逃げ回った」

「僕はそうは思わない」


 ロバートもまた、心からクーに寄り添ってきたが、争いを避けるために妥協するのもまたロバートの悪い癖だと知っていたからクーは、素直に言った。

「いや、リズィの言う通りだ。俺は君達との友情の上っ面だけを舐めて、自分の人生をないがしろにして、だから今があるんだ。それは俺も気づいてた」


 だったらっ……。リズが言葉を詰まらせて言った。

「軍隊じゃないでしょ?周りじゃないでしょ?あなたじゃないの?あなたがどうしたいかじゃなかったの?あの時の事、私忘れてないんだよ」


 朝日が照らし出す冷たい朝の空気、露を一滴こぼす公園の木の葉がサッと揺れながら落ちた時、クーは指を立てながら穏やかな呼吸とともに声を発した。

「一つ、君とロバートとサミーに危害が及ぶ。二つ、俺は囲まれてる。三つ、状況が許さない。状況を飲み込むのが大人だ。そう信じてきた」

 そしてクーは続けた。

「俺は、君たちを護りたかった。この世は地獄だ。それを俺は一番よく知ってる。君を、ロバートもサミーも、絶望させたくなかった。その限りにおいては、俺の仕事は俺自身にぴったりだった。それだけなんだ、リズィ」

 

 クーは、偽らざることだけを二人に語った。

「どんな化けの皮を着ていたとしても、その眼の奥で友達だと思ってる。それが曇ったことは一度もない」

「あなたがあなたであることに変わりない。あなたに代わりなんていない。

 待ってるから。サミーに会いに来て。ロバートに会いに来て、私に会いに来て。いつでもいるから」

 リズは自分の声にまた意味を重ねるように言った。

「生きるから」

 クーは答えた。

 リズを安心させるために、そして友に暗に覚悟を伝えるために。

「そうするよ。できる限り、そうする。でも逃げることはしない。俺にとってはこの街が最後の根っこだから。この風景が好きだからさ」


 モルト軍に潜入した工作員は必定、全滅する運命にある。


 彼らの調査書類は彼らの命そのものだ。極秘ルートを通ってウィレに確実に届けなければならない。少なくともクーは、彼らの遺志を、無駄にしたくはなかった。

 それは捨て石となることを意味する。


 大陸歴2718年12月上旬


 西大陸のウィレ側勢力圏にて、幽霊兵とされたゲリラ部隊による攻撃が繰り返され、ウィレ軍を悩ませる種となる。


 12月11日

【ホーホゼ夜戦】

 西大陸北部、モルトランツ近郊の農業地帯ホーホゼでグレーデン将軍率いる機動部隊が反撃作戦を開始し、結果はモルト軍の戦術的大勝利となる。

 痛撃されたウィレ軍の進撃が停止し、一時は西大陸の北半分をモルト軍が奪還。

 しかしシュレーダーによる撤退命令によって支配地域の大部分を失う。


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