むきエビとペイルエイル


 大陸歴2718年 11月10 日。


 モルトランツ市内を、巨人が歩くようになった。


 月の兵隊たちはこれを高度な治安維持のためと称しているが、既に軍により活動時間が定められた都市部で働く人間達にとって見れば、日中も影を落とすあの黒い鉄の塔のような兵器が、時折鉄と鉄をこすれ合うような音を立てて動いては拡声器で注意を促してくる様は、まだここは我々の領域であると強弁しているように見えて、苦し紛れにさえ思えてくる。

 少なくとも正確無比な情報を耳にして、モルトの敗色を日々確認するクーにとってはそうだ。


 だが、ここからが彼がここにいる存在意義をただされる時間となるだろう。即ち、敵がそうやすやすと撤退することを選ばなかった時、モルトランツを犠牲にしても敵に影響を及ぼそうと企てるとき、彼は本領を発揮せねばならない。

 今クーの中にあるのは、彼が暮らしているこの街の運命だった。


「この街も物騒になってきたもんだな」

「まさかあのでかいのの横で飲んでんすから」

「ああいうでかいモニュメントみたいなの、ガキの頃ショッピングモールとかにあったよなあ」

「ありましたっけそんなの」


 現在は夜七時。

 ストアレコッカレの24時間営業が禁じられ、毎日夜八時までの営業になった。

 最後の運搬を終えたのは夜の五時、事務所に戻って日報を書き、この時間に店を予約した。が、モルトの時間規制の為、あと一時間半しか飲めない。

 先日悶着があった場所は、高度な管理レベルにあり、ここはあの場所に比べればまだ、警察が多くて治安が良かった。


「最近娘さん元気なんすか?」

「反抗期だけどさすがに夜遊びは銃で止められるからやめろっつったら、今はおとなしいよ。勉強とかはしてないけど」

「人育てるって難しいっすよね」

「まあネットで勝手にやる時代だしなあ。興味があるものができればやる気もあるんだろうけど、部屋から出らんから、そもそも俺も女房も話ができんでなあ」


 等と世間話をしつつ、配られた酒と料理が盛られた器を眺める。二本の箸でその器にある野菜の酢のものを突っつく。


「お前奥さんいたっけ?」

「いないっすよ」

「そうなの?やっと教えてくれたな。お前口固いから」

「そうでしたっけ?まあ、そういうのもおいおい、話してもいいかなと」


 グラスレーヴェンが立っている足元にある居酒屋。

 カウンターに輸送長と座っているクーは、前菜の酢の物を口に入れた上司に酸っぱい顔で答えた。なんというか、微妙すぎる先日の出来事を経験してすぐのクーだ。


「てことは何かへこんだことでもあったのか?」


 輸送長の声が、わざとかすれて同情するような色を帯びた。勿論悪ふざけもあるが、この人は人に近づくときにこんな感じで心を開いてくる。仕事をやっている時は頼れる快活な仕事ぶりだが、何か察するとこうやって二人の時間を作ろうとする。しかし、クーは本当の胸の内を今まで一度も明かしたことがない。当然ながら、明かすことなどできない。


「そう言うわけじゃないですよ。淡々と毎日が過ぎてくだけっていうか」

「ハハ、懐かしいな」

「長かったんすか、そういう生活」

「まあ、35までそんなもんだったからな。一人だとそうなる。慣れてくもんじゃあるが。俺も長くいなかったもんで。それで全部終わった後気付くんだ。ああ、俺には猫くらいしかいないなあって」

「そーなんすか」

 クーは酒を飲んだ。勿論、改造されている彼は酔わないようになっている。色付きの苦い汁といったところだ。

「お前くらいのやつなら遊んでてもおかしくないのにな」

「そりゃあ、遊んでるからいないってことですよ」

「まあ、デカそうだしなお前」

「何言ってんすか、女の子も周りにいるんすから」


 輸送長はまた笑むと、酒を飲む。クーはハニートラップを回避するために肉体を改造されているので、性的な興奮を味わう脳の回路を停止されている。

「まあ、固いこと言うな」

「何すかね、でも友達の子供みたいなのと遊んでると親っていいなって思いますよ」

「そんな人間関係あんだ」

「ありますよ、全部一人ってそりゃあ、結構大変じゃないすか」

「確かになあ」

「でも、もう会えないっす」

「何で?」

「その友達、つまり親に幻滅されたっていうか、引かれちゃったっていうか」

「え?お前が?」

「ええ、交友断ったの」

「まあ、ほぼそんな感じっすかね。でもいいんすよ。そんなもんは。こんなヤバい世界じゃないすか、守るもんあったって、かえって不自由でしょ」


 そうか…。輸送長は腕を組み、目を閉じた。無言の時が流れる。周りには少ない人数しかいないが、彼らの話声も、理解できない音量でひそひそと聞こえるばかりだ。


「でも人生、何が起こるかは分からないもんでな。俺なんかは人生最悪の事件の後に、良いことってのは起きるもんだと思ったもんで」

「何すかそれ」

 えー?輸送長は鼻を鳴らすように笑う。クーはわざと口をとがらせる。

「説教はいいっすよぉ」

「ちょっとくらいさせろ、人生訓なんて偉そうなもんじゃないけど、お前くらいにしか正直言えないんだよ。娘にもさっき言った感じだし」

「そうすか」

「そうだよ」

「じゃあ、一言ください」

 クーがそう言うと、輸送長は腕を組んで木造りの天井を眺めた。

「んー。そうだな。希望を持つのが大事」

「なんすかそれ」

「なんとなく上手くいくかも、こんな風に思えたら最高」

「名言なんかじゃないっすよそれ」


 クーが肩を落としながら調子を狂わせたように笑って、輸送長の目を見た。

「まあ、そんで周りにも感謝?」

「疑問形なんすか?」

「まあ、ちょっと足りないかなって」

「自信なさすぎでしょ」

 そう言った瞬間に、二人の間に次の酒のグラスと頼んだ料理が置かれる。


「ペイルエイルとモルパッチァ二人前です」

 黄金に白い雲が乗ったような酒と、むきエビの濃厚なソース和えが、大きな皿で来る。

「旨そうだなあ」

 思わず言った輸送長に、クーは突っ込んだ。

「さっきの名言どっか行っちゃったじゃないすか」

「まあ、いいじゃないかあ、それが名もなき一人のおっさんの繰り言だよ、食え食え」

「理不尽なおっさんだなあ……」

 クーは気にせず箸を使ってむきエビを喰うと、ペイルエイルを飲む。

 食べ飲み放題コースが食料供給制限によって禁止されてから、料理の料金が高騰したために、四品ほどしか食べられないのだが、それでも彩のある旨そうな一品がここに届けられ、その度に二人はうまそうに食って、飲んだ。


「いつまでこんなことができるとは限らんのだから、今を楽しまんとなア、クー」

 その柔らかい輸送長の表情に、クーの表情が相反する形を作ったのを、輸送長は見ていた。


「どうなろうと、職場さえあれば次につながるし、俺は決めたよ、悩んでもしょうがないことは悩まないってさあ」

「そうっすね」

「お前もさあ、分かる時がくるよ」

「そんなもんすかねえ」


 などと息を吐きつつ何の気なく答えていた。実はここまで、仕事についてはしつくすほど話したのに、自分自身のことについて腹を割ったことは一度もないこの関係に、心地よさを感じていたことに気付いた、しかしそれは、輸送長のことも実はよく知らないようにして、自分が彼に深く取り入らないようにするための防御行動でしかない事にも気づいた。

 クーは、人付き合いも人並みにできるが、こと職場では強く友情を感じるような仲間関係を作っては来なかった。

 しかしそれはクーだけの話であって、輸送長はずっとその目線で、彼と出会っていたのだった。そんな当たり前のことに気付いた九時半。


 管理された街で、酒に弱い輸送長の肩を抱きながらタクシーを待った。


「大丈夫っすか?」

「なんの、こんなもん」

「弱いのに飲みすぎなんですよ」

「うるさあい。給料同じでシフト倍にするぞ」

「できませんよ」

 輸送長も、プレッシャーを感じている立場なんだと思ったのは、いびきをかいて彼が立ちながら眠り始めたのを判った時だった。

 ほどなく、タクシーがやってくる。

「あっ、思いついたぞ名言!」

 輸送長が鼻を鳴らしながら叫んだ。するとタクシーのライトが道を照らして、車が止まった。

「なんすかあ」

 うんざりしながらクーが聞くと、輸送長は得意げに言った。


「運命は変えられなくてもなあ、世の中何が起こるか分からないんだから」

 殆ど聞く素振りもなく、輸送長の肩を抱いたまま車両に首を突っ込み、タクシーの運ちゃんに、クーは言った。


「この人、よろしく頼みます。アプリで指定した場所まで」

「わかりました」


「聞いてるのか?クー」

「聞いてますよ」

 クーはクレジットカードで帰りのタクシー代を払った。

「ホントかァ?ホントなのかァ?」

「弱いのに酒癖悪いんすから……」


 と言いつつ輸送長はちょこんと後部座席に座った。

「じゃあなァクー」

「そんじゃ」

「タクシー代はツケけだぁ」

「いいっすよ別にそんな気ぃつかわんと」

 

 輸送長がそんな事を言っている間に、クーは自分でドアを閉めた。

 そして、タクシー運転手に頭を下げた。

 タクシーはそのまま急ぐように、ライトの光芒だけを残して曲がり角を曲がっていく。


 風に吹かれてクーは、気づけば季節が、涼しさから寒さに移ろっていくのを感じた。


 この町の運命も、自分自身の運命も、

 サミーの事も、リズの事も、彼が護りたい全ての事。


 何気ない輸送長の言葉に、結構食らった。

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