愛してる人

「いろいろすまんかったなクー」

 事態を聞きつけたワーリャの謝罪にクーは答えた。


「なんであんたが謝るんだよ。あいつらが悪い」

「まあそうなんだが。このところ連中と折り合いが悪くてな。こちらもレッドラインを超えると武力で脅されることが分かってるから、下出に出ることが多いんだ。とりあえずできる限りの交渉というより、申し入れを行ってる。向こうとしても戦争に注力したいし、戦時中とはいえ国際(SNS)世論からの見た目をよくしたいから俺たちに治安を委託してるんだしな。付け入るスキはそこにしかないよ」

「旗色が悪いな」

「だからお前も助かってる。グレーな案件が増えすぎてるからな。本件もそのように処理される。さすがに件数が多いと月の政府に報告せにゃならんから調子に乗ってこういうことをやるのはやめろ」

「喧嘩する気はないよ。車の中の人を護らなきゃ」


「それを聞いて安心したよ。俺たちもそうだ。今までは話が分かる奴らの方が多かったんだが、急速に事態が悪化している。再補給のために戻ってきてる兵隊はここに馴染みがあるらしいから、ああやって手伝ってもらってるんだよ。彼らには助かってる。それも偉大な閣下のご意向でご威光らしいがな」


「ハァ、そうかい」

「月の連中のメンタルはな。とりあえず連中を宇宙の際まで追いつめられるまでは一応、善人面を保つ学習能力ぐらいはあるとみていいはずだ。心あるものと手を組み、協力しようというのが我々市警の方針だ」


 しかしワービャはそれだけで言い足りないとばかり、追い風のように言った。

「それがな、クー。聞けよ。本当に心ある兵隊だって、中にはいるんだぜ?」

「それは敵にしたくない」

 都合で殺しあいたくはない。

 クーはそう思う。


 つまりはモルト軍の中に、この土地に愛着を持つ者がいるということだ。持ってくれるとは言わない。彼らは独裁国家の強みを……横暴な暴力装置で人を従わせることが簡単にできてしまう立場にいる。


「誰だあんなところに高射砲を取り付けたのは。ああいうのはバカモンのすることだ」


 ワービャが文句を言う建物は小さなクリニックである。

 他のメンバーの報告の通りである裏付けが取れていく。


 モルト軍の都市武装化が進んでいる。

 最悪の場合、モルトランツを人質にした全滅戦に発展しかねない。

 どこに逃げても無駄と言う状況だけは作れない。


 ※


 そしてクーは、『ただのもみ合い』に一通りの解決が図られた後、車に戻った。

 車内の凍り付いた空気は、言うまでもなかった。


「ごめんな」

 クーはチャムレヴじゃなく、リズにそう短く言って、エンジンを入れた。

「いいの」


 車内の薄暗さに顔の輪郭をむしろ際立たせてリズはそう、一言答えた。

 そんな体の使い方をどこで学んだのかとか、私がいない間なにしてたのとか、予想される問いかけはたぶん全部当たっていて、なんとなくはぐらかす技も使えないことも悟っていた。


 ステアリングを握る手は、先ほどよりもゆったりとしていた。チャムレヴはその間、用心深くこちらをうかがうように、何も話さない。

「とりあえずロバートのところに送るから」

「うん」

 そしてクーは今通りを曲がった後、気づいて、リズに尋ねた。

「サミーは?」

「おばあちゃんに頼んで家に来てもらってる」

「ごめんな」

「大丈夫。郊外だし、来たらメール入れるように伝えてるから」

「そうか、よかった」

 

 ああ、そりゃそうと。

「助手席の子、チャムレヴ記者っていうんだ。自己紹介した?」

「したわ」

「そうか、そうだよな」

 クーはモルト兵がうろつく街を流しながら言った。

「君のおかげで助かった」

 チャムレヴもまた、聞きたいことづくめのようだったが、リズとクーの関係性を優先するように黙って、短く答える。

「こちらこそ」


 そんな気まずい車内の中で、あと十分揺られた。


 中央病院のエントランスには人が立っていた。眼鏡をした白衣の男だと分かった。


 車が止まったとたん、リズは逃げるようにドアを開けて、ロバートに抱き付く。

 こちらに背中を向けたリズをそのままに、ロバートはクーを向いたまま、言った。


「診ようか?」

「大丈夫どこもケガしてない。それより、リズを頼む」

「診なきゃ」

「いいよ」

「心配だ」

「……いいから」


 またしても鋭い口調になってしまった。

 だから、にこやかな顔を作って訂正し、断った。


「ほんじゃ、帰るわ」

 ロバートは気を取り直して言った。

「わかった。君のおかげで助かった」


 ああ。それは言葉にならなかった。結局運転席から出ずに、そのままUターンを図ろうとすると、チャムレヴが言った。


「降りて話せばいいのに」

「バカヤロウ、できるかよ」

「なんか複雑な関係ね」

「ああ」

「あなたにはいないの?愛してる人」


 愛してる人、そんなストレートな表現はチャムレヴらしいが、クーには縁遠い。


「いないな。君にはいる?」

「いる」

「そうか。じゃ生きて故郷に帰らないと」


 と言ったとたん、チャムレヴは「死んだから別にそれはどうでもいい」と言った。「ティンヴェスタ。西大陸の東の方」とも言った。

 クーにはその紛争の参加経験がある。

 

 口ごもるクーが作り出す静寂に、チャムレヴは薄く、しかし鋭く言った。

「嘘ついてる」

「嘘なんかじゃない」

「正直になればいい」

「なったところでそうするんだ。これ以上は無理だ。もう、離れたほうがいい」

「言ってたわ、彼女。いきなり居なくなったって。それ軍の養成所でしょ」

「必要なこと以外答えるつもりはない」

「人間だったら心に隙ができる、それを恐れてるの?」

「恐れてない」

「だったら」


 うるせえ。

 そうクーは言った。底知れない圧力に満ちた声だった。こんな女の記者など、話にもならない、暴力に打って出てやりたい……なんて馬鹿な奴だ。

 やめろ。一度戦争に出ればそうしたことが頭をよぎって、どんな危険な事態にも対応できる代わりに心は修羅になる。それは痛いほど学んだ。数々の紛争事案の中に身を置いているうちに、独りが楽になった。


「愛に見返りなんてないわ。だったら誰をどう愛そうがそれでいいんじゃないの」


 クーはため息をついた。

「もうここから離れる気がないのは、あの二人を守るためでしょ」

 チャムレヴはあくまで踏み込んでくる。志とやらを持った人間は、だから危うい。

 俺と言う危険を顧みようともしない。

「あんなに強いのに軍隊も辞めて、それでナイトなんでしょ?あの二人と男の子の」


 屈した、としか言いようがないが、それは誰にも話せないこんなことを彼女にだけ打ち明けた格好になったことに、もう後悔もしないし、できないような諦観が生まれた故に、クーはもう投げやりに近い感情のまま座っていた。


「かっこいいじゃん」

 チャムレヴは声を張った。

「胸張ってればいいじゃん。それでいいんだよ。一方的だからなんだっていうの?」


 そして彼女は最後に言った。

「私なんて、死んじゃったんだよ。デモ起こした人たちに踏まれて、もういないんだ。最後の言葉は、仕事に行ってくるってそれだけ」


 チャムレヴは別に涙声にもならない、乾いた、しかし凛とした声だった。


「だけど彼は生き続けるの。私の心の中とかそんなきれいごとじゃない。綺麗ごとじゃすまされない。彼は今も私を守ってくれてる。そうじゃなきゃ私、こんな世界で生き残ってるはずがないもの」


「誰にも省みられずに死ぬ用意ができてよかったって思ったくらいだ」

 クーは吹けば飛ぶような声で言った。

「長い間独りだ。両親も公都に近くてな。安全圏で自分は関係ないってほざいたから縁を切ってる。だから知り合いっていや、あいつらと君くらいのもんだ」


 クーはそこだけ人間のように語ったのち、いつものように冗談めかそうとした。


「チャムじゃなくて、レヴって呼ぶよ」

「どうでもいいそんなの。はぐらかさないで」

 絶妙な間が流れた。


「あなたに生きてる理由はあるから」

 車内は、移り行く街並みの光が通り過ぎて暗い車内を照らして、しかし暗くなってまた照らされて。


「この辺りでいいわ」

 チャムレヴの言う通り、大通りで彼女を降ろした。モルト軍の影響がない田舎の通りだから、別に問題はない。どうやらこの先にあるホテルの一つに、事情を話して厄介になっているそうだった。モルトランツの声を届けたいと願うチャムレヴ・パカドの心に共鳴する人間は多いから、納得がいく。


 曲がり角に消えた彼女の後姿を見守って、一人残された車内で周囲に見えないように家から持ち出した拳銃のバレルを持って撫でた。

 自分が取り押さえられて車のボンネットに固められた様は衝撃だったろう。

 兵隊をこの車に打ち付けたあの三度の衝撃音は、リズを相当に怯えさせたろう。

 自分がこの、人殺しの道具を持っていることも見せてしまった。


 ふーっと細く長い息を吐く。

 クーは、何も言わず、何もせず、銃を偽装されたシートの中に隠してアクセルを踏むと、ステアリングを切ってそこを後にした。


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