すごい音が三回
「ゴメン。こんなところに呼んじゃって」
「中に乗ってくれ」
クーが発するその声の色は、いつものハイトーンではない。リズはそれを聞いて一瞬固まるように表情を止める。
そして促されるままに車の後部座席に乗った。
チャムレヴが運転席にいるのに戸惑って、小さく頭を下げるとチャムレヴは、彼とはサークルの知り合いで、などと適当に言うのを聞いた。
車のレバーをまたいで、若干無理な姿勢でチャムレヴが助手席に乗りなおすのを見て、そのままドアノブに手をかけたその時、後ろから人が数人歩いてくるのを察した。
「チャム。ばれない様にスマホで撮れ」
「わかった」
三人の親衛隊がこちらに来る。
「そこの者、止まれ」
そこの者って、なに時代だ?
つーかこの軍自体、言葉遣いがよくわからねえ。
「はあ、なんでしょう」
クーが口を半端に開けながらのろまのように答えると、固い返事が返ってくる。
「夜間外出は許可していない」
「わかりました。これでどうです?」
モルト・アースヴィッツの通行許可証を映す画面を相手に見せた。
その数人は皆、肩にいくつもの飾りの紐をぶらぶらさせて、その向こうに軍の紋章を縫い付けてある。そして物々しい軍刀を腰に掛けていた。
これだけで、白いシャツの平和な兵士たちとは役割そのものが違うことが分かる。
つまり彼らが、くだんの何とか隊という訳だ。
ただ。
この通りに着く前にも、その前にも、白シャツのモルト兵の一部か、大多数か分からないが、少なくとも組織の構造上、この親衛隊という連中にこびへつらうことにデメリットはないし、実際にそうしている事も掴んでいる。
誰も信用できないし、信用してはならない。
特にこの目の前にいる輩たちは危険だ。
一人はガタイがいい、クーと同等の体躯で『ガタイ』と呼称。
もう一人はお勉強しかしてなさそうな奴『ガリ』と呼称。
もう一人はキョロキョロして言われたことに従うしかなさそうな浮ついたガキだ。『ガキ』と呼称。
噂には精強な部隊と聞いたが、それだけではなさそうだ。海の向こうがとんでもない争いになっているのにこんな内地にいて警察ともめているだけの連中など、その程度だろう。
「これはなんだ?」
「検問通過時に必要な証明書ですよ?」
「聞いていない。モルトランツ市警が勝手に発行したものだ」
は?と聞き返したいがそうはしない。
「一般市民なんでこれくらいしかわからないんですけど」
「はっ。通行証であります小隊長。我々の到着前に市警と進駐軍が発行したものです」
ガキが杓子定規にそう言った。
頭をぐっと近づけて首を傾げるガタイは、話通じなさそうだ。
「そんなものに意味はない」
まあ、そうだろうよお前なら。
「意味がないって言われても、それ以上何もできないっすよ……ッ」
と言われて車のボンネットに体を押さえつけられたクーは、あー、めんどくせ。
とひそかに白目を剥いた。
それが片目のスイッチだった。物体を透過して周囲を確かめることができる。
車内の微弱な振動から、リズの小さい悲鳴が上がっているのが分かる。
横目で見ると、物体透過能力により影だけになったチャムレヴがリズの口を押えているのを知る。そして彼女がスマホより効果がある何かの準備をしていることを察する。
「貴様あ、言葉を選ばんかァ?」
と言って、軍刀の柄を少しだけ引き抜きながら、小隊長と言われた男は歯を剥くように口尻を上げた。
「誰がこの街を支配していると?」
そう親衛隊のガリが言う。
お前たちに支配された覚えなどない。
「どうしたら許してもらえます?」
よどみなくクーが言った。
存外怯えているそぶりがないような物言いをして、それが相手の調子を狂わせていることも確認した。
そしてクーは、実は今しがた刃を抜いた動作から、この連中が、月ではどうか知らんが、おそらくこの星の重力を伴う接近戦にはずぶの素人であることを見抜いていた。
ボディチェックはくまなくやっていた、足首にもポケットにも大切なものはない。
そこまで調べた親衛隊には、手錠をかける気はなさそうだった。
義眼は戦闘補助モードに切り替わり、街灯の下に配されていたモルト軍のデバイスをハッキングして、この辺りに兵隊の配置がないことを周到に確認した。
そうとも、だからこの連中もこんな大胆な行為ができるのだ。
ガタイもガリも、車内をチラチラと物色しているのが分かる。
親衛隊の人間たちが、実は自分自身よりも車の中にいる女性二人の方に興味があって、自分を取り押さえたのも薄汚い欲望の方便でしかないことを分かっていた。
「今までの統治は温情だ。そしてこれからもそうだ。むしろさらに温まる。モルトランツはモルトに統治されてはじめてその歴史的意義を果たすことができるのだからな」
「戦争が窮迫するならば、モルトランツは協力せねばならん。その意味が分かるな」
「車を接収しようか」
「俺のボロ車でもいいならいくらでも」
「ミスでもして事故でも起こしたのか?」
一つ連中がミスをしたとすれば、クーに真っ先に手錠をはめるべきであった。
「そう、走りすぎたからヤバい方向に曲がってるんです」
ハハハ、親衛隊の人間が笑う。
輸送長、話のタネにしますわ、そう心の中で謝罪した
「このバンパーなんて凹んでるでしょう?うちの上司が酔っぱらってぶつかっちゃって。ほらちょっと人の頭の形っていうか」
「はあ」
隙ができたと見抜いた。
クーはボンネットの奥に手を伸ばした。
ワイパーを引っこ抜くと振り向きざまにガタイをぶん殴り、痛がるより驚いているガタイのえらそうな襟首を掴むと、必中の動きで車のサイドミラーに敵のガタイを振り下ろした。ガタイの体が宙に浮いて、そのせいで余計ひどい音がした。
ガタイが崩れ落ち、昏倒したガタイをそのまま持ち上げてクーは、竦んでいるガリに向かってぶん投げた。
そして股間に開いていたファスナーから拳銃を取り出してガリを威嚇すると、ガリはオタオタしたままだった。
こいつもしょせんは目の前の事態に対応できないずぶの素人。意表をついて撃たずに、銃底でガキの頭を打って、よろけたところを車のやはり運転席の扉に向かって引っ張り回し、車のデザイン上ある突起に当たれと計算して投げた。
またもやすごい音がした。
ステップを踏み、そして重量を最大に乗せたキックで華奢な体を蹴り押す。
三度すごい音がした。
ガリは軍帽ごと頭を潰され、反動でぶち転がってうつ伏せに伏せた。
クーはいまだ怯えたガリが銃を構えて手を伸ばし構えるのを見ると、手を伸ばし一瞬でガリの手首にある自然な可動域を自在に無理な方向に転がして捻挫させ、ガリから銃を奪い、また魚市場のマグロのように転がし、瞬時に馬乗りになって、奪った銃をガリの眉間へ合わせて自然に人質に取ったうえで、倒した人間たちを見下ろした。
まさかの事態に備えたものの、ガリがうめいてばかりいて動こうともしないので、骨もなく、冷めた。
飽きた。
だから思い切りぶん殴ってガリも気絶させた。
以上、五秒の動きだった。
車内からスマホを向けたチャムレヴが見えて、全員が沈黙したことを悟る。
クーがひとっ風呂浴びたように立ち上がった。
「ワイパー弁償しろやバカガキが」
そしてちぎれたプラスチックの棒を蹴り転がした先に、頭を両手で押さえて悶絶する親衛隊員がいる。彼らは起き上がろうとしても、激痛に対する訓練を受けていなさそうだった。お飾りの軍隊ほど調子に乗りたがる。
反吐が出そうになった。
「その時代遅れの武器はお前のナニか?ハァ?」
まだ刀を持とうとしたので、もう一回ガタイの襟首を掴んで今度はホイールに顔面をぶつけてやると、動かなくなった。
「ブチ折れば逃げ帰るのか?」
「折れない……」
「ハァ?もっとデケー声で言え!」
戦場を経験したものにしか出せないドスの利いた声があたりにこだます。
「そっ……それは何をしても折れないっ、折れない!我々の魂だーっ」
頭を抱えながらそれでもこちらを睨むガタイに向かって、冷めきった顔をしたクーは首を傾げると、落ちた片刃の刀を抜いて、直した。
「ああそうかい」
と言って小汚いドブの渦巻く側溝に落とした。
「友達にいい転売屋がいる」
クーは、さらに制服姿の男と数人の男女がこちらに向かってくるのを体越しに義眼で確認した。
「ああ、マジかよ」
そしてまばたきをして義眼の録画モードを切った。なぜならそれは、用意しておいた味方だからだ。
「チャム、ちゃんと撮ったか?……ハッタリ?」
「そんなわけないでしょ。さすがね」
と、リズをかくまうように背を向けていたチャムレヴは、逆手に持ったスマホを見せて手を振った。
「正当防衛だって言って伝わる?」
その場に来た警察官にクーは尋ねた。
「ああ、伝わるかどうかはわからんがあんたがやべえのは分かったよ」
「すみません」
クーは舌を出して頭を下げた。
それはモルト軍とモルトランツ市警の混合警らチームにでも見えた。というより、市警の制服と白いモルトの軍シャツで、そうとしか言いようがなかった。
誰が誰やら、何が正義やら。
少なくともここに立っている人間に、悪い奴らはいなさそうだけど。
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