人妻助けにちょっと街まで
密閉された空間でそうつぶやき、スマホの画面を見た。
通知バーにモルトランツ市警からのお知らせと書いてある。押して通行証が必要であるとの注意書きを見る。
おそらく認証コードによるトラッキングがなされるはずだ。
『行先:モルトランツ中央病院 患者の見舞いのため ノインストリート経由 軽自動車』とモルト人の格式と七面倒くさい書式に付き合うと画面がローディングされてバーコードとモルトアースヴィッツ紋章と、その下に通行証が現れた。
画面を見せて窓を開ける。
誘導灯を持つ警察官が車内を覗き込んだ。経験の浅くて若い警官に見える。
「不要不急の外出は控えるようにご案内してます」
「ちょっと人を迎えに行かなきゃいけなくてさ」
「すいません。認証ページは頂けましたがこれ以上、人流を上げるなと通達されているんです。だから通せません」
「マジかよ。……そうかい。じゃあ迷惑じゃないように別の道を使うよ」
「どの道もダメです」
「一体どうしたんだ?デモでも起きたか?それかここが戦場にでも?」
「ご説明できません。我々も知らないんです」
「飯も買いに行けないのか?」
「最寄りにストアレコッカレがありますでしょ?テレビ見ました?」
民間放送局がストリーミングされているインターネットニュースを見ると、モルトシティの出入りに関する情報が流れていた。
そうなることは知っていたが、今突然か?
一方的な通知で街を封鎖するなど、何らかの理由があるに違いない。
映画のように検問所を切り払って進むなどできない。我々工作員でも察せないスピードの朝令暮改だ。
その時、会話を聞きつけたか、誰かが慌ただしくこちらに走るのが見えた。
「おいクーじゃないか」
彼の顔には見覚えがある、
というより仕事柄、情報収集も兼ねてよく話をする間柄の友人だった。アレクス・ワービャ。この街を知り尽くした定年間際の警察官。彼はクーよりも年上で、背筋の伸びた模範的な男だ。
「こないだ言ってた急病人の身内?」
「通行証見せたのに通してくれないんだよ」
「ホントだ。何で通さない?」
ワービャは部下に対して手を腰に当てて口を尖らせた。
「え、ワービャさん、知らないんですか?もう一台も通せないっておカミが……」
「アホ。うちのおカミはモルトランツ市警本部長だ。軍じゃない」
「モルトランツ進駐軍がそう言ってるんですよ?」
「現場レベルに下りてない命令だ。たぶん親衛隊の奴らが勝手に決めたんだろ」
「また怒られますよ」
「モルト軍の恩情要件 モルトランツ市警:非戦闘員への取り決め!見ただろう」
「見ましたけど」
「だったら怒られても市民の権利を優先すんだよ。現場に降りてない命令など聞けるかバカヤロウが。俺が知らないならそういうことだ」
「……解りました。どうぞ」
すっかり新人警官は肩を小さくしてしまった。ワービャは新人から赤く光る誘導棒を受け取ると腕を回す。クーは無表情だが、実は胸をなでおろすように謝意を示した。
「ベテランさん、ありがとう」
「月の温情に感謝しろクー」
「アンタに酒でも持ってくよ」
鼻で笑うワービャに向かって、クーはもう一声言った。返事は聞かない。
検問所を通過して、窓を閉める。
「街を守ってくれて、すまねえな」
と言ってアクセルペダルを踏むと、軽自動車は弾かれたように道路を噛んでそれから滑り出した。
彼らがぎりぎりの際でせめぎあってくれるから、モルトランツは平和なのだ。
しかし繁華街に向かっていくのに、街頭の明かりしかないのが不安だ。通行証で申告した以上、ロバートの病院には必ず行かねばならない。もしこのまま帰るのが危険なら、ロバートの下にリズを送り届ける。
だからドラッグストアを経由して病院にたどり着くルートを、自分の頭の中に想定し車を走らせた。
「いったい何してるんだ?」
クーの目の前に展開する町並みは、普段そのままあるような穏やかなものではなかった。通りには兵隊の数が増していて、指をさして何かを誘導しそうな動作や、位置取りの話をしているように見えた。
義眼を録画モードにして進んだ。
良くないニュースだ。おそらくこれから街に物々しい車両が運び込み、丁度こんな暗い夜に乗じて、駐車場や施設の中に運び込もうとしているのだろう。
この街が戦場になる準備を再び進めるために、この街を短期間で封鎖したのだと思った。まだリズィのような何も分かっていない市民たちが街にいるから、モルトとしても刺激したくないのだろう。そうクーは思った。しかしこのまま事態が進めば、奴らはここを容赦なく戦場に変える。そのためにロックダウン……都市封鎖から始め、ウィレを迎え撃つ訓練を始めるのだろうと考えた。
もう少しでノインストリートの入り口に付く。そのためにステアリングを切って車の走る方向を曲げ、出会い頭に見た光景に、クーは息を飲んだ。
その木で作られたアーケードの入り口に、リズはいなかった。
代わりに親衛隊とかいう連中が、ほかの仕事をする兵を監視するように歩いていた。
冷静に周囲をうかがう。まだ一般の人が本当にまばらだがいないわけではない。
この中にいる兵士たちから目立たずに、リズィを探す。
運転中に電話はできない。しかしこのままでは埒が明かないから、いっそ堂々とする。
目線の先に女性を見つけ、見つかることを企図して、そうする。
そういうのは身にまとうオーラで分かる。
ああ、マジでラッキー。
お前を待ってたぜ。
「おい、チャム」
「あ。どうしました?」
歩いているところを手を振って止めた。
チャムレヴ記者が振り返って、クーの顔をのぞき込む。
「俺が聞きたいわ、お前に。よく入り込んだな」
「フリーランスの良いところで」
余裕ぶって見せたつもりだが、存外シリアスな口調でクーは尋ねた。
「ごめんな。待ち合わせしてた人を探してんだ。何分か前にここの前で立ってる女性を見なかったか?ショートカットの茶髪の」
「えっと」
「わかる?」
「あそこじゃないといいけど」
と指さしたところ、そこにはまたあの軍服を着た、先ほど見たのと別の男たちが通りを曲がって現れていた。その先にリズがちらちらと周囲を見渡して立っている。
あの男たちを避けて歩かなければならず、予定された目立つ所にいなかったことを理解した。
「おいおいマジか」
クーが言うより先に、チャムレヴが答えた。
「私が行く」
「待て待て」
正義感にかられるこの子では危ない。
「車どこに停めるの?」
「ここでいいよ。お前運転席にいてくれるか?」
「座るだけでいいなら」
「違法駐車って体にならなきゃいいよ」
と言うとすぐに状況を理解したのかチャムレヴは入れ違いに運転席の前に来る。
サイドブレーキの操作を行うように見せかけ、足首のホルスターに銃をしまおうとして、実は股間のポケットの中に入れた。
車のドアを開閉する音で、通りの向こうにいるリズは気づいて手を振った。
すぐにロングスカートに隠れた黄色いスニーカーが、足音を立てて走ってくる。
「ガールフレンド?」
「人妻だ。友達なだけ」
「へえ」
興味津々なチャムレヴを制して、二歩前に出る。
「余計な詮索はするな。あとお前の身分も言うなよ。お前のために」
悪意はないが、そういう言い方をしないと彼女は聞いてくれないだろう。
超複雑だ。
チャムレヴは空気を察してくれたのか、それ以上は発言しなかった。
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