心拍数
大陸歴2718年11月25日。
ビッグママが死んだ。
そのニュースを聞いたとき、クーの心はさながらコンクリートのように冷え冷えと固まったまま、ぽっかりと中空を見て、視線も動かなかった。
「彼女はどうやって?」
『……子供を守るためよ。正確には、不用意に兵隊に近づいた親子連れを守るため』
レンが感情を押し殺して言った。
『アルドさん、最近、街歩いた?』
「ああ。それらしき危険な連中は見たよ。あいつらはいったい誰だ?」
『ウィレの反抗作戦がうまくいったせいで、表向き良心的な兵隊が前線に押し出されて、月側のエリート部隊がモルトランツに降りているの。その名も親衛隊』
「くそったれ」
『連中は前線に立つことなく、後方でただ下っ端のケツを叩くだけの奴らよ』
『シュレーダー将軍はモルト軍の最右翼の人物だってさ、ネット辞典より。遅かれ早かれこうなったさ。ママは頑固者だから……この中で最も勇敢な人だから』
「葬式もなしに。大往生したら出たんだが」
『幸いにして、私たちの繋がりを示すものは掴まれてない。ママったら、もう全部知ってたのね。この騒ぎを大きくしてモルトランツ中に奴らの変化を伝えるために』
レンが送信した画像には、モルトランツの新聞の一面の隅に事件の詳細があり、そこには公園清掃員の女性のスクーターが事故を起こしてモルト軍に逮捕されたとあり、その事故に巻き込まれた家族は軍人の活躍により全員無事とあった。
しかしそのネット記事はあまりにも不自然なものだ。その土地に知識のある心ある人なら、その記事の異常さに気付くはずだと思った。
『民生局で人づてに聞いたことだけど、そのモルト軍人は不用意に近づいたその子供を差別語で無礼だと怒鳴り、話せば分かると思って怒ってきたその子の父親に拳銃を突き付けたそうよ。ママはそこに割って入って、逮捕されて、それで』
『年寄りなのに無理するからだ』
げっそりした声でパルマが言った。
「年寄りだからと思ったからこそ、無理したんだろうさ。そういう人だ。彼女は死んだ。もうどんな気持ちでそうしたのかもわからないけどな」
『俺には理解できないよ』
「お前は何でこの仕事をしてるんだ?」
『インセンティブ』
「わかるよ。学生だしなお前」
『自分のことだけ考えて生きてればいいんだ。ネットっていう稼ぎ場があるんだから。人は人、自分は自分だ』
信念のようにパルマは言った。
「俺もこんな生き方薦めないよ。誰にもな」
「アルドは?」
レンが問いかけた。
『アルドもそうなの?』
「俺は成り行きだ」
するとレンは、凛としてこう言った。
『私は助けたい』
「社交辞令じゃない。みんな無事でいろ。頼むから」
『ええ。無駄には死なない。とにかく、これから不用意な人間との交流を断つべきよ。私たちの周りにいる何の関係もない人を巻き込まないためにもね。でも本当に大切な人には、そうね。夜に不用意な外出を避けることだけ伝えるの。パルマもわかった?』
ゲームじゃないのよ。そう姉のように言うレンに、パルマは努めて気がないような振る舞いを声に込めるように言った。
『俺はリモートで授業受けてるし、ヒトともネットでしかつながってないし、宅配で飯も食べるし大丈夫だよ』
「お前は心配してない」
『友達は多いほうだ』
パルマが念を押すように言って、レンが収める。
『分かってるわパルマ。心配もしてない……とにかくそういうことだから。アルド。お互い孤独だけど、頑張りましょうね』
「ああ。君に励まされると落ち着くよ。じゃあ、また会おう」
そう言ってミーティングは終わった。
「生きてな」
そう言った後、クーは何気なく私用の携帯電話を見て、メールを確認した。
それから分かりきった情報を垂れ流すニュースを流し目に、真実が書かれた自分の端末を見つめ、しばらく椅子にもたれた。
『次のニュースです。モルト政府側要人のラシン家一族が、ウィレ側との停戦提案を受け入れる重要な交渉を受け入れました。この交渉にはウィレ軍側からシェラーシカ、アーレルスマイヤー両将軍が出席しましたが、ウィレ側が投入した最新の破壊兵器により、この交渉は決裂しました。この会談には、戦争以前の両星において影響力を持つ名家同士の縁組まで発展した両家による、惑星間の調停と言う前例なき期待が寄せられていましたが、それは失敗した模様です』
最近は飛び込んでくるニュースが多い。
≪北方州解放作戦の最終段階において、ウィレ軍、ベルクトハーツへ突入。
モルト軍、神の剣とされる大量破壊兵器を連続掃射。大損害を被ったモルト軍は公都へ撤収。シェラーシカ、アーレルスマイヤー両将軍率いる軍はモルトと一時停戦を提案しモルトはそれを受諾。シェラーシカ、ラシン家と会見。
一時停戦で合意するも、その最中に神の剣、第二射し損害状況は不明。調査中≫
うつろに天井を眺めていると、私用のスマホからメールを着信する音で起き上がり、スマホからそのアプリを開く。
『クー。今いい?』
リズからだった。
『サミーが夕方から熱っぽいの。今薬局に行こうとしてるんだけど』
「車?」
『歩き。職場にロバートが持って行ったからバスのつもりなんだけど』
「開いてるのか?薬局」
『それが閉まってて。突然閉店でさ。明かりはついてるんだけど人もいなくて、ロバートも今日仕事で帰ってこれないらしいの』
家に常備してないのかと聞きたかったが、その話はあとだ。
サミーは健康そのものだったし、寒さ知らずで野を駆け回るような子だし、風邪薬なんてのは半年保たない。たぶん大人の分しかないのだろう。
ロバートは医者だ。
当直なら今日は、体の悪い人の看病をしているだろう。薬局は戦況が変化してなのか大きな店以外は閉まっていて、薬品は戦地に優先的に送られている。したがって、サミー家がある郊外からはバスを使わなければならない。
このメール内容はモルトのサーバーを通してやり取りされる。
自分が分かっている情報を解っているものとして流せない。クーはバスごときモルト軍がいつでも止めることができるのを知っていて、問いかけた。
『バスがあるんじゃないのか?』
『それが止まっちゃっててさ。ものすごく時間がかかるの。ごめんけど、近所でしょ。家のポストに鍵置いておいたから、サミー見に行ってくれない?結構ひどいから。本当に申し訳ないんだけど』
『通り、軍人さんいる?』
「結構いる。ちょっと怖い。正直睨まれたりしててさ。それもあって」
ああ、まずい展開だ。そしてリズィはしゃべりすぎているかもしれない。これ以上は文章にも残せない。
これを凶暴な連中に見られているとしたら。
『とりま君を迎えに行くよ。場所だけ教えてくれ、土地勘あるから文章だけで』
位置情報や画像はいらない。そういう意図を裏にしてそう答えた。
『ノインストリートの東側』
ということはトゥリースドラッグ、ノインストリート店か。
『車で行くよ。待っててくれ。あとサミーのことも俺が連絡するから君はトゥリースドラッグの建物の前に戻っててくれ。そのあたり車で走ったことなくてさ。でもそこが一番目立つ場所だし拾いやすいだろ?』
「うん。分かった」
本当は頭の中に精密な地図を持っている。
その場所が一番明るく、誰の目にもとまる安全な場所だと知っている。
クーはリズとの会話を終えるとすぐにサミー家の据え置きの電話に向かって番号を入れた。
数回のコール音の間に、耳栓のようなイヤホンを耳に差して家を出る支度を整えていく。片方の肩をいからせてスマホを挟み、無線がコネクトするまでその姿勢で車のカギを持った。
一応、荒っぽいことが起きてもいいようにカーゴパンツとシャツと、必要だと思うものを用意する。
家をあわただしく動いてコール音を聞きながら歩く。
イヤホンがコネクトしたことを確認すると携帯をポケットに入れて部屋の隅を見た。
何気ない棚であり過ぎて、誰も気づくそぶりもなさそうな穴倉から堅牢な繊維でできた旅行カバンを引きずり出したクーは、その中のファスナーを下して手を入れ、そして鈍い金属の音を立ててそこから一つを掌の上に出した。
ウィレ軍制式拳銃の一つ、ガルァのショートバレル、消音機付きだ。モルトランツは銃社会ではない。しかしこのガルァは最も一般流通している自然な銃だった。
これが必要な場合があるだろう。街の情報を聞いていれば特にだ。
気の弱い兵士なら脅すしかない場合がある。
そのうちガチャリと音がして、小さく高い声の主が電話に出た。
「マーフィンです」
『サミー』
「おっちゃん?」
ケホ、と咳をするサミーにクーは声をかけた。
クーは拳銃を音もなくポケットに入れる。
「あー、カゼ?」
『うん』
「きつい?」
『うん』
「今日はお父さんもいないしツラいなあ」
『うん』
「オッケー。君の所に行きたいが、今からお母さんを迎えに行くからもう少しまっててほしいんだ。一人でできる?」
『できるよ、サフィも一緒にいるもん』
サミーはプレゼントで渡したロボットのおもちゃと一緒にいる。あのロボットに音声を吹き込んで、サミーの補助をしてもらうこともできたから、母親はそれを試したんだろう。
「そりゃよかった。もしゲーゲーのときはトイレに行けるよな」
『うん』
「えらいぞ」
『だいじょうぶだよ。小学生なったもん』
こうだから大丈夫、こうなったもんと言うサミーは、自分ができたことをクーに認めてほしいんだろう。そう受け止めて、クーは言った。
「よし、じゃあお母さんとすぐに帰るから。できれば椅子にゆっくり座っててくれ。ゲーゲーの時、のどに詰まっちゃうといけないし」
『うん』
「よし。じゃあまたな」
『ありがとね、じゃあね』
バスで行き返り十分の道が、帰るだけでこんなにも遅れるとは、サミーも災難だ。
クーはサミーが電話を切るまで待って、通信が切れるとドアを開いて廊下に出る。すると、ほんの少し歩いてすぐの車庫にあるショボい外装の軽自動車に乗り込み、拳銃を車内の偽装されたマットの下に隠して、エンジンを入れて走り出した。
運転しながら考える。
そんなに急に兵隊のやり口が変わるものかよ、落ち着けという想いと、自分が兵隊だったときに味わったあの戦場にある、一瞬の変転を予感してやまない自分とがせめぎあって揺れる。重要なのは実は兵隊ではない。モルトシティの住民の半モルト軍感情だ。
自分だけならいくらでもいいが、マーフィン一家のことになればクーは本気に出せる。いつもの車道が細い山道のように思える。
クーは思い切りアクセルを踏んだ。
ビッグママにリズィを助けてくれと懇願する。
そして赤い光のまとまりを見て停止動作を行ったクーは、頭を抱えた。
「クソが。検問だよ」
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